大人向け、子ども向け
2010年8月24日
(これまでの 小田切博の「キャラクターのランドスケープ」はこちら)
たしか橋本治だったと思うが、以前『ライ麦畑でつかまえて』は主人公が成熟を拒否して子どもの代表者面して語ってるのが気に喰わない、といった趣旨のテキストを読んだ気がする。うろ覚えだから本当にそういうテキストが存在するかすら曖昧な話で恐縮だが、最近なんとなく感じていることのひとつに、ここでいう「成熟」や「大人/子ども」といった問題設定が有名無実化してきているのではないか、という感覚がある。
もともと日本においてマンガ、アニメなどを論じる言説は、それらが「子ども向け」であることを前提にしていた。
実際にはこれは現在でも存在している観点であり、マンガの性描写を巡る議論や「ゲーム脳」といった指摘が俎上に上がってくる背景には「子ども(の教育)への悪影響」という問題意識が常に存在している。
親や教育者といった「大人」が抱く「子ども」向けのはずのマンガやアニメが過激なセックスや暴力を描くことへの忌避感がそこにはあり、逆に60年代後半から70年代にかけて「大人」になってもそれらを当たり前に消費しようとする層があらわれると、彼らはマンガやアニメなどのメディアや表現自体は「子ども」向けではない、ということをその主張の力点に据えた。
たとえば70年代末の『宇宙戦艦ヤマト』、『機動戦士ガンダム』の人気に呼応したアニメブームではそれらの作品の物語が「単なる子ども向け」のものではないことが主張されたが、そのような主張がなされねばならなかったのは、当時「テレビアニメは子ども向けのものである」という認識が社会通念としては一般的だったからである。あきらかに「子ども」向けのものだったからこそ、そうではない「大人」がそれを観る際にはその正統性が積極的に主張されねばならなかったのだ。
80年代にアニメやマンガの市場が巨大化すると、それらを「子ども」向けに限定して考える社会通念自体が実態とそぐわなくなり、それらはなし崩し的に「大人」も消費することが当たり前のものになっていくのだが、作品単位でそれらが「子ども」向けである/ないという言説自体は、そのような社会通念の変化とは無関係にそれぞれがある種のステレオタイプな言説として主張され続けている。
前述したように「子ども」への悪影響という視点は時代が変わっても常に主張されているものであるし、逆に『週刊少年ジャンプ』連載の少年マンガや『新世紀エヴァンゲリオン』などのアニメ作品を同世代的な共通体験として擁護しようとする際には「子ども向けを超えた」というロジックが現在でもしばしば用いられる。
しかし、そもそも「大人」しか読めないはずのポルノコミックの「子ども」への悪影響が主張されるのは変だし、『ジャンプ』や『エヴァンゲリオン』を「子ども」しか読んだり、観たりしていないなどとはおそらく誰も思っていないだろう。
それでもこうした主張がなされ続けるのは、ひとつには社会通念の変化が存在するにも関わらず、それが明示的なかたちで自覚されず、形骸化した「子ども」向け認識が生き残り続けているためだろうが、いっぽうでコンテンツやプロダクトの消費において「子ども」向けであることそのものが曖昧化しているのではないかとも思える。
たとえば仮面ライダーの変身ベルトはそのCMを観れば過去から現在に至るまであきらかに男子児童向けの玩具なわけだが、現在ではこれをコレクションする「大人」のマニアが存在することは(特に正統化が必要とされるとも考えられていない)当たり前のことになっている。『コロコロコミック』や『ケロケロA』といったマンガ誌はあきらかに児童向けのものだが、ドラえもんやケロロ軍曹といったそれらに掲載されるマンガ作品のキャラクターの関連商品は必ずしも子ども向けに限られるわけではない。
しかも『ケロケロA』のタイトルキャラクターでもあるマンガ『ケロロ軍曹』などは開始当初はマニア誌向けの作品だった。青年誌連載のギャグマンガだった『クレヨンしんちゃん』がアニメ化に際して「子ども」向けのものとして認知されていったのと同様に、テレビアニメの放映によって児童向けのコンテンツ化していったものなのだ。
つまり「子ども」向けとされながら「大人」が消費しているものも、「大人」向けだったはずなのにいつの間にか「子ども」が主要な消費者層になってしまったものも、双方ともにじつはごく当たり前に存在している。
「大人」とはなにか、「子ども」とはなにか、というおそろしく基本的なラインまで立ち戻って考えないと、「子ども」向け、「大人」向けということは本当はいえないのではないかという気がするのだが、こういう問題意識自体が現状では理解されにくいかもしれない。
小田切博の「キャラクターのランドスケープ」
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