自戒と韜晦
2010年4月28日
(これまでの 小田切博の「キャラクターのランドスケープ」はこちら)
2009年1月に京都の国際マンガミュージアムでおこなわれた同名のシンポジウムをベースに編まれた論集『マンガは越境する!』(大城房美・一木順・本浜秀彦 編、世界思想社)に収録された小野耕世「増殖するマンガ」というテキストを読んで、ひどく複雑な気分になった。
この本は日本マンガ学会の海外マンガ研究部会のメンバーによる発表を下敷きにしたもので、特に第Ⅰ部は「マンガのグローバル化」がテーマになっている。小野は70年代から国内への海外マンガの紹介、国外への日本マンガの紹介の両面で常に最前線に位置し続けてきた第一人者であり、マンガ学会、その海外マンガ研究部会、それぞれの創設メンバーのひとりでもあることから本書に名を連ねていることもほぼ当然だといえる。
しかし、このテキストはこの論集全体の中ではかなり変則的なものであり、ある意味ではっきり浮いている。
この論集のベースになったシンポジウムは大学から研究費を取得しておこなわれた研究プロジェクトの一環として開催されたものであり、寄稿されたテキストも小野のもの以外は注釈や参考文献などのリファレンスが整備された論文の体裁をとっている。対して小野のテキストは意図的かどうかは不明だが、そうした形式を無視したエッセイの形態をとっており、まずこの点がはっきり異質である。
そして、「日本マンガ」の海外への影響を強調する他の論者たちのテキストとは違い、リアルタイムな読書経験として世界各国における「マンガスタイル」の現在を語る小野のテキストは、「表現様式としてのマンガ」そのものの世界化現象を主題とするジャクリーヌ・ベルント「グローバル化するマンガ」と並んで異彩を放っている。特に最後のパラグラフは読んでいて胸が痛くなった。
二〇〇九年三月十六日、第五九回芸術選奨の贈呈式と祝賀会が催された。私がかかわったのは、新しくできたメディア芸術部門の選考であり、〇八年に上野の森美術館で画期的な展示を行ったマンガ家の井上雄彦氏を私は強く推した。パーティーの会場で、私は久々に青木保氏(文化人類学者でタイで僧侶の資格を得た人)に久々にお会いした。あいかわらずメディアは、日本のマンガが海外でいかに人気があるかという現象を追って騒ぎがちですね。新聞も、日本のサブカルチュアが海外で評価されると、第一面で大きくとりあげるのが当たり前になりました。でも、そうした論評をする人たちも、海外のマンガそのものは、あまり読もうとしないのですね、といった話をする。「いやあ、日本では評論家がいちばん遅れているね」と、青木氏に言われてしまった。ほんとうにそうなのかどうか、実のところ私にはよくわからない。ただ、自戒のことばとして受けとめるほかなかった。
(「増殖するマンガ」、小野耕世、『マンガは越境する!』、大城房美・一木順・本浜秀彦 編、世界思想社、63〜64P)
先にも述べたが、小野は70年代からアメリカ、ヨーロッパはおろか、アジア、中東、アフリカと世界中のマンガを読み、世界中のマンガ家と交流を持ちながら、作品や作家、海外の諸事情を日本国内に紹介し続けてきた人物である。おそらく現在国内で青木が述べたようなことを「自戒」とする必要がない人物は、当の小野以外に存在していない。
いっぽうそれを述べた青木は前文化庁長官であり、「クールジャパン」という言葉を用いて小野が批判的に言及しているような風潮を積極的に推進してきた代表的な人物のひとりである。
なんでよりにもよってそんな人物に小野耕世がこんなことをいわれなければならないのか。そして、なぜ小野のほうがそれを「自戒」の言葉としなければならないのだろう。
ここには現在の日本におけるマンガやアニメといったサブカルチャーを巡る倒錯した状況がよく出ている。
小野の苛立ちは「海外のマンガ」が「マンガ」としてまともに読まれていないことに向けられているのだが、その批判を向けられた相手はそもそもそんなことにまったく関心を持っていないため、自分たちが批判されているのだという当事者意識自体をまるで持とうとしない。ここにほの見えるのはそうしたディスコミュニケーション、すれ違いの構図である。
こうした構図を念頭に置いた上でこの論集全体を見返したとき、作品・作家紹介を中心にしたエッセイである小野のテキストが、「論文」の中に一本だけ並んでいることの強烈な批評性が見えてくる。
小野自身がそれを意図しているかどうかにかかわらず、そこには常に最前線にいた先駆者の「批評、研究などという前にまずちゃんと作品を読んでから語ってくれ」という悲痛な叫びが聞こえるような気がする。
私自身は「批評家」などと名乗る気もないし、自分が「遅れて」いようが「進んで」いようがどうでもよいが、そこに読んでしまった小野の無言のメッセージはそれこそ「自戒」としないわけにはいかない。
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