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小田切博の「キャラクターのランドスケープ」

マーチャンダイジングの観点から、マンガ・アニメ・ゲームなど、日本の「コンテンツ・ビジネス」の現在を考える。

「マンガ研究」ってなに?

2009年8月25日

(これまでの 小田切博の「キャラクターのランドスケープ」はこちら

最近ちょっと事情があって大学の先生とか学生さんと話をする機会が多い。

で、そういうときたまに「海外のコミックス研究はどうなってるんですか?」的なことを聞かれるようになった。

ほんの10年ほど前までは、そもそも海外にマンガ研究が存在することすらまるで認知されていなかったことを考えれば、これは喜ぶべき状況の変化だといえるが、反面「なんだかなあ」と思わなくもない。

私自身はもともと研究者になろうと考えて欧米の研究書を読むようになったわけではない。ライターとしてアメリカンコミックスを日本の読者に紹介するために、オーバーグラウンドなアメリカ社会の中でのコミックスを巡る状況や、アメリカのコミックスそのものについて知る必要を感じたから、いやいや研究書を読みはじめただけだ。現在、欧米の研究書を集めるのが趣味みたいになってるのはご愛嬌、単なる「結果」であって、個人的に研究者や批評家を志向してきたわけではない。

そういう立場の人間として、現に職業として大学の先生やってるひとや研究者志望のひとから「やっぱり海外の状況って重要ですよね!」とか目をキラキラさせていわれると、それはそれで困惑せざるを得ない部分はある。

実際にはマンガに限らず「海外」についての情報が重要か否かは相対的な問題だろう。

「輸出産業としてのコンテンツ産業振興」を訴えたり、比較文化論的にマンガを研究するなら海外の状況を知らなければ話にならないが(そして、どう考えても現状そういう話にならない事例がひどく多いのだが)、国内の読者向けに特定の日本作家やその作品について論じるだけなら海外について知っている必要性はさして高くない。

ごく当たり前の話として「何をやりたいか」によって必要な情報は異なる。

たとえば大友克洋とメビウスの比較論をやりたいなら、メビウスやその背景となるフランスのコミックス事情について知らないのは単に致命的だが、大友克洋を論じるために必ずメビウスを引き合いに出さなければならないわけではない。メビウスやフレンチコミックス(B.D.)について知らないなら、それについては論じなければいいだけの話だ。逆に「それでは大友論としてはダメだ」とそのひとが思うのであれば自分にとって必要な範囲を調べればいい。

個人的には「こういうことをやるためにはこれについて調べるのは重要だ」という具体的な目的と切り離した一般論として「海外のマンガ事情を知ることの重要性」を主張するのはバカバカしいと思う。

そもそも「マンガ研究」というのは洋の東西問わず、それ自体がひどく曖昧なものである。

いちおうの専門学会である「日本マンガ学会」が設立されたのが2001年7月、欧米でも「コミックス研究」自体はせいぜい3、40年程度の歴史しか持っていない。それ以前は美術や文学、メディア論、教育学、社会学、心理学といったバラバラな領域で散発的におこなわれてきたのであり、そこでは文学研究や美術研究のように研究手法やテーマの体系、制度はきちんと確立されていない。

いっぽうマンガやアニメに対しては、ファンや商業媒体レベルで批評やトリビアルな情報の蓄積は熱心になされてきたため、現在の「マンガ批評・研究」のイメージは、そうした場で流通する書き手やテキストの「批評らしさ」、「研究らしさ」によって決定付けられているといっていい。

具体例を挙げれば私自身の肩書きがそうだ。

最近。私は「フリーライター、アメリカンコミックス研究家」というプロフィールを使うことが多いのだが、じつは「アメリカンコミックス研究家」のほうは、ある雑誌で編集者に勝手につけられたものである。「そう見えるならそれでもいいか」という考えで以降必要に応じて使っているが、事実として私は大学その他のマンガの研究機関に属している/いた事実はまったくないため、この呼称に現実的な根拠はいっさいない。イメージとしての「それっぽさ」だけが、私が「研究家」と自称したり、呼ばれたりする唯一の根拠だ。

こうした自分の置かれた状況についてシニカルな感慨もなくはないが、そういうこととは無関係に、特にいま大学やミュージアムなどの現場にいるひとたちにとっては、現状こうしたひどく曖昧で実体のないものでしかない「マンガ研究」によりはっきりした具体性を持たせ、制度として確立していくことこそがより重要な課題なのではないか、という感想は持つ。

大学教育現場での経験から「マンガとはなにか?」という根本的な問いを形にしたササキバラゴウの『M.ヴィユ・ボワ』『まんがはどこから来たか』といったヨーロッパプレコミックス期の作品の自費出版による研究紹介。90年代以降活発化し、「メディア芸術センター」問題の背景にもなっている「ミュージアムでのマンガ」の問題を、その現場の人間たちがリアルな問題意識とともに論じた論文集『マンガとミュージアムが出会うとき』表智之・金澤韻・村田麻里子(臨川書房、2009年)など、そうした問題意識を具体化した仕事も実際に出てきている。

その意味で現在はいまだ「マンガ研究」にとっては草創期なのであり、それが「確立されたものではない」という自覚や一般的な認識こそが必要なのだと思う……あんまりわかってもらえないんだけど。

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プロフィール

小田切博

ライター、90年代からフィギュアブームの時期に模型誌、フィギュア雑誌、アニメ誌などを皮切りに以後音楽誌、サブカル誌等、ほぼ媒体を選ばず活動。特に欧米のコミックス、そしてコミックス研究に関してはおそらく国内では有数の知識、情報を持つ。著書として『誰もが表現できる時代のクリエイターたち』、『戦争はいかにマンガを変えるか』(ともにNTT出版刊)、共編著に『アメリカンコミックス最前線』(トランスアート刊)、訳書にディズニーグラフィックノベルシリーズがある。

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