龍珠狂想曲(ドラゴンボール・ラプソディ)
2009年4月28日
(これまでの 小田切博の「キャラクターのランドスケープ」はこちら)
「あの日本の人気マンガがついに待望の実写映画化!」
「実写化不可能といわれたあの作品がついに!」
……という感じで09年3月一本のハリウッド映画が日本で公開された。
まーこれだけいえば、あとは書かなくてもわかるような気がするが、国内での人気ピーク時には日本経済にも影響を与えたという鳥山明のメガヒットマンガ『ドラゴンボール』のアメリカ製実写映画化作品『DRAGONBALL EVOLUTION』の話である。
この作品についてはじつにいろんなことがいわれている(いわれていることのパターン自体はじつは5種類くらいしかない気もするが)ので、ここでわざわざ映画の内容についてどうこういう気はない。
取り上げたいのはこの映画の公開までの経緯である。
話題作だけあって経緯のほうも割りと日本語のニュースになっているが、公開もされ興行収入の結果も出てきてる現在、時系列に沿ってその辺を振り返ってみるのも、今後日本のキャラクター文化を考えていくためにはいいんじゃないかという気がする。
さて、ことの起こりは2002年3月、二十世紀フォックスが『ドラゴンボール』の実写映画化権を取得したというニュースだ。このニュースでは制作は『プラダを着た悪魔』なんかをつくってるフォックス2000ピクチャーズの担当ってことになってるのに、公開されたら無関係になってるのが若干不思議だが、この映画の場合、その程度のことは不思議のうちに入らないような気がする。
だいたいこの記事では「初の実写化権取得!」と書いてあるが(そしてそれは事実なのだが)、調べてみたら今回の映画以前(1993年)に中国で無許可でつくられた実写映画があったらしい。いや、国内の販売くらい取り締まれよ、フォックス。
次にニュースが伝わってきたのは2004年6月、98年の映画『ビッグ・ヒット』で脚本デビューを飾った新進ライター、ベン・ラムジーが脚本に決まったという『ヴァラエティー』掲載のニュース。この映画のことはカケラも知らないんでいちおうググってみたらなかなか愉快な評判を得ているようだ。
いかにもハリウッドらしくそのまま三年ほど音信不通だったが、2007年11月、ようやくプロデューサー、監督、主要キャストが発表された。プロデューサーに『少林サッカー』の監督チャウ・シンチー、『Xファイル』の脚本を書いてたジェームズ・ウォンが監督というこの時点ではどうこういいようのないスタッフだ。
クランクインは2007年12月。この時点では2008年8月公開予定だったが、例によって公開が延びて2009年4月に。しかし、奇怪なことにその公開予定だった2008年8月になぜか実写『ドラゴンボール』お蔵入り説がネットを流れる。この事件は日本でも報じられたから覚えているひともいるかもしれないが、奇態な話である。
そして2008年10月『マックス・ペイン』公開にあわせて予告編を公開予定だったが、直前に公開がキャンセルされ、にもかかわらずインターネットに公開予定だったと思われる予告が流出。これがけっこうな騒ぎになった。
のちに大猿の画像が出たときにもかなり話題になったが、このとき議論の的になったのはピッコロの色だ。12月にようやく公開になったオフィシャル版トレーラーと比べてみるといい。
この時点ではピッコロは緑ではなかったのだ。
どう考えてもあとからいちいち全シーン緑に塗りなおしてるわけで、これはプロダクションデザインがどうなっていたのかを是非知りたい。
ここまででじゅうぶんいろいろ疑問なのだが、一番不思議なのは2008年12月までこの映画はオフィシャルサイトがまったく存在しなかったことだ。ファンサイトのURLに「thedragonballmovies.com」などというものが平気であることから、ドメインネームも押さえていなかったと思しい。
この12月の公式予告公開を期に正式タイトルを『DRAGONBALL EVOLUTION』に改めてオフィシャルサイトもオープンしたわけだが、この辺からジャンプフェスタでのプロモーションなど日本サイドが本格的に動き出す。中でも一番驚いたのは原作者の鳥山明自身に「別次元の『新ドラゴンボール』」と原作との関係を切断するコメントを出させ、それを予告編冒頭に組み込んでしまったことだ。
しかも、この映画の制作とはまったく関係なかったはずの鳥山明をいつの間にか「製作総指揮」としてあとづけでクレジットに入れ込んでしまった(これは完全な日本独自の「プロモーション戦略」でアメリカの映画系サイトにこの種の記述は一切ない)。
しかし、この映画の制作費は1億ドル説と5000万ドル説があるらしいんだが、その差はいったいどっから出てくるんだろうか(w
以上、いろいろ書いたが、私個人は鳥山明にも、集英社にも、フォックスにも、この映画のスタッフにも含むところは何もない。ただ、今回のこの事例はキャラクタービジネスにおいて、いかにプロパティー管理や契約が重要かということのあまりにも明らかな証左ではないだろうか。
小田切博の「キャラクターのランドスケープ」
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