コンテンツはどこから来たか
2009年3月24日
(これまでの 小田切博の「キャラクターのランドスケープ」はこちら)
もうほとんど忘れ去られていることのような気がするが、「コンテンツ」というのは日本社会においては90年代も後半になってから一般化した言葉である。
実際に過去の新聞報道での用例を追ってみると、このことははっきりわかる。
80年代の新聞報道で登場する「コンテンツ」の語は、アメリカ議会に1982年提出された「ローカルコンテンツ法」(自動車部品の現地調達を義務付ける法案)に関するものにほぼ限られており(例外として海外の学術誌のタイトルや論文名、分析手法などの専門用語の一部として使われているケースはある)、ウェブページの内容などを示す「デジタルコンテンツ」に限った用法としても、せいぜい90年代はじめまでしか遡れない。
今回試験的に日経四紙と朝日新聞紙上での「コンテンツ」の語の使用を追ってみたが、もっとも早かったのは92年4月24日付けの日経産業新聞に掲載された当時のアップルコンピュータ社長、武内重親氏による「マルチメディア時代」と題した日経産業新聞セミナーの採録だった。
この記事の中で武内氏は今後のコンピューター産業について「九〇年代は四つのCがキーワードになる。コンピューター、コミュニケーション、コンテンツ、コンシューマーの四Cだ。」と語り「コンテンツは日本語に直すと番組」だと説明している。
つまりこの言葉は、まず当時の成長分野であった情報処理産業における「ローカルな専門用語」として輸入されたものなのだ。
この点で興味深いのは「コンテンツ」の語の一般化に先んじて起こっている、先のセミナーのタイトルにもある「マルチメディア」という言葉のニュアンスの変質である。
日経産業新聞は90年代に「マルチメディア革命」と題したシリーズ記事を連載しており、この内容を元にしたと思われる『マルチメディア革命』(日本経済新聞社刊、1993年)、『マルチメディア革命95』(日本経済新聞社刊、1995年)という二冊の書籍を「日経産業新聞/編」として出版している。このうち前者には「コンテンツ」の語は登場せず、後者ではそれなりに使われているのだが、これは「コンテンツ」という言葉の浸透というよりは、前者と後者ではその扱う内容がかなり異なるためである。
93年版ではケーブルテレビやデジタルAVといったハードウェアが主に問題にされているのに対し、95年版ではゲームやCG、インターネットといったソフトウェアが主題にのぼってきている。「マルチメディア」という言葉のニュアンス自体が、この間にコンピュータ本体や家電といったハードウェアを中心とするものからソフトウェアを意識したものへと変わってきているのだ。
翻って考えれば、流行語としての「マルチメディア」は80年代に使われていた「ニューメディア」のあとを受けたものだといえる。大雑把にいえば80年代に「ニューメディア=先端技術」とされたもの、ファックス、パソコン通信、ケーブルテレビなどが、90年代に「マルチメディア=情報共有のプラットフォーム」としてインターネット、携帯に代表されるかたちで一般的な普及を果たし、これが90年代後半のソフトウェア産業の発展と00年代前半のITバブルにつながる。
「コンテンツ」という言葉の普及は、このうち90年代後半から00年代前半までの状況を受けてなされたものだといえるのではないかと思う。
おもしろいのは、このような意味で「マルチメディアからコンテンツへ」時代が転換していく端境期に出版された『アエラ』96年7月22日号(朝日新聞社刊)において、「マイクロソフト社の日本買いまくり作戦 デジタルの版権求め触手」と題する記事が掲載されていたことだ。
この記事は、当時の日本でマイクロソフト社が音楽、映画、アニメ、出版などの、いまでいう「コンテンツ産業」に対してそのデジタル版権獲得を狙って盛んにアプローチしている動きを報じたもので、一般紙である朝日新聞紙上には「コンテンツ」の語が前年の95年に登場したばかりの当時の日本では、記事中で「画像だけでなく、音楽でもゲームでも何でもコンピュータに取り込みたいわけですよ」と語られるこのマイクロソフトの動きは、ずいぶん浮世離れしたものに映ったのではないかと思う。
その後のハードウェアの急速な発達とネットワークの高速化によって、あっという間に携帯でも普通に動画が見られる現在の状況がもたらされた訳だが、96年の時点でマイクロソフトがこうした活動を活発化させていた事実は、たとえば現在のGoogleの「ブック検索」を巡る問題などにつながるものだといえる。
少なくともビジネスマターとしての「コンテンツ」問題とは、その最初の時点から「ライセンス管理」を巡る問題だったのである。
小田切博の「キャラクターのランドスケープ」
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