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小田切博の「キャラクターのランドスケープ」

マーチャンダイジングの観点から、マンガ・アニメ・ゲームなど、日本の「コンテンツ・ビジネス」の現在を考える。

点と線

2008年11月18日

(これまでの 小田切博の「キャラクターのランドスケープ」はこちら

去る2008年11月11日、今年6月にマンガ家の雷句誠が自身の作品の出版元である小学館に対し、貸与していた原稿のうちカラー原稿5枚を紛失したことに対して損害賠償を求めて起こした提訴が被告である小学館側が過失を認め、謝罪と255万円の和解金の支払いをすることで判例としては「和解」のかたちで決着した。

6月にこの事件が公表された際には、雷句が提訴を公表した自身のブログエントリにおいてかなり激しい調子で担当であった少年サンデー編集部を批判していたこともあり、じつに大きな反響をネットの内外で引き起こしたが、当時の過剰気味な熱気に比べると今回の和解成立に対しての反応は驚くほど淡白だ。

これはおそらく、この事件に対する一般的な興味がその提訴事由である「出版社の原稿紛失に対するマンガ家からの損害賠償請求」の部分にはなく、「マンガ家と編集者の確執」といった、普段読者が見ることのない部分へ集中してしまったためではないかと思うが、じつは今回のこの起訴の和解による決着は、これまでも度々問題になってきていながら、曖昧なまま棚上げにされ続けてきた、マンガに関する重要な問題を改めて示したものだといえる。

雷句自身が「「美術的価値」は、今回の裁判の一つの焦点でした」といっているのを見てもわかるように、この裁判の重要な争点のひとつは「マンガ原稿の美術の著作物としての価値を認めるか否か」という点にあった。結果的に雷句の主張は容れられなかったわけだが、じつはこの「マンガ原稿の美術の著作物としての価値」、さらにいえばマンガ原稿というものがどういうものなのか、どう扱うべきなのか、ということ自体がこれまでいくつかの起訴で問題にされ続けてきた。

たとえば、1998年には他社からの再販のために預けていた原稿の返却を求めたマンガ家が、出版社から返却を拒否され、原稿の返却とこれによって生じた損害の賠償を求めて提訴した事件が起きている。この事件は、ほぼ原告の申し立てが認められるかたちで結審しているが、一般的には出版社側がなぜ「原稿を返さない」のか自体が理解しがたいだろう。だが、2002年に起きた別なマンガ家が原稿を紛失した出版社を訴えた事件において出版社側は「原稿の授受自体が買い取り契約だった」と主張している。

結果的にはこの出版社側の申し立ては否定されているが、普通に考えれば自明なことのように思われるマンガ原稿の所有権ですら、それがマンガ家のものであるかどうかは、じつは司法の判断を仰がねばならないほど曖昧なのだ。
このことは2003年に発覚した倒産した出版社、さくら出版から大量のマンガ原稿が専門古書店「まんだらけ」へと大量流出した事件でさらに明確になった。この事件で「まんだらけ」の店頭で自身の原稿が販売されていた事実を「発見」したマンガ家渡辺やよいは、店頭販売を差し止めるよう「まんだらけ」に求めたが、「売られている原稿が盗品かどうか判断できない」として差し止めを拒否され、当初は「原稿の所有権が渡辺にあるのかが不明確だ」という理由で、警察でも盗難届けを受理されなかった。

この事件の詳細については、事件についての自身の体験をまとめた渡辺やよいの著作『走る!漫画家~漫画原稿流出事件』(創出版刊)に詳しいが、こうしたマンガ原稿を巡る問題点を、この事件をきっかけにさくら出版の被害者を中心に組織された「漫画原稿を守る会」(2004年当面の役割を終えたとして解散)に広報的な立場で参加していたマンガ家/小説家のすがやみつるが、その体験をまとめたブログエントリの中でかなりクリアにまとめてくれている(漫画原稿を守る会顛末記(8)(9)(10))。
この一連のエントリで、すがやが指摘しているように、今回の起訴で雷句が主張したようなマンガ原稿の美術の著作物としての価値(財産権)が認められた場合、じつは税の問題などにおいてはマンガ家側にとっての不利益も多い。

私自身はマンガ家ではないし、「だから雷句の主張は間違っている」などという気はさらさらないが、現在のマンガを巡る言説の最大の問題点は、こうした個々の事件があたかも孤立した点のように個別に消費されてしまい、それぞれの事件が持つ共通した問題を結び合わせ、固有の文脈を持った線として報じられないことにあるのではないかとは思う。

ま、この件に関する個人的な関心は、この「原稿の問題」とはまたちょっと別なところにあったりするんだが、その話はまたそのうち。

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プロフィール

小田切博

ライター、90年代からフィギュアブームの時期に模型誌、フィギュア雑誌、アニメ誌などを皮切りに以後音楽誌、サブカル誌等、ほぼ媒体を選ばず活動。特に欧米のコミックス、そしてコミックス研究に関してはおそらく国内では有数の知識、情報を持つ。著書として『誰もが表現できる時代のクリエイターたち』、『戦争はいかにマンガを変えるか』(ともにNTT出版刊)、共編著に『アメリカンコミックス最前線』(トランスアート刊)、訳書にディズニーグラフィックノベルシリーズがある。

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