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松浦晋也の「モビリティ・ビジョン」

今後、テクノロジーの発達に伴い大きく変化していく”乗り物”をちょっと違った角度から考え、体験する。

悩ましきコミュニティバス

2009年12月24日

(これまでの 松浦晋也の「モビリティ・ビジョン」はこちら

 前回、都市交通としての路面電車に新たな利便性が出てきたという話を書いた。しかし、日本ではまだまだ路面電車が普及し始めたとは言い難い。1970年代の廃止の嵐を生き残った地方都市の路面電車は、少しずつ低床型の新型車両を導入し、利便性の向上に努めているが、新路線は富山市の富山ライトレール「ポートラム」(2006年4月29日開業)ぐらいである。逆に岐阜市では、名鉄岐阜市内線が2005年4月1日に廃止となっている。

 確かに路面電車は地下鉄やモノレールに比べると建設コストが安い。しかし、いかに建設コストが安くとも一定以上の利用客が見込めなければ黒字運営にはならない。公共交通機関には地方自治体が助成金を出すのが普通だが、どこも財政事情は厳しい。

 鉄道や路面電車、モノレールのように専用軌道を持つ交通手段では採算が合わないとなると、次なる交通手段は路線バスということになる。が、いまや過疎地域では路線バスすら廃止の対象となっている。バスは鉄道と比べて定時運行性が劣る。吹きさらしのバス停で、当てにならない時刻表を頼りにいつ来るか分からないバスを待つのは非常なストレスだ。しかもバスは自家用車よりも遅い。自家用車が使えるならば、そのほうがはるかに便利だ。かくして路線バスもまた利用者が減少し、廃止が議論されるようになる。

 その状況下で、徐々に増えているのがコミュニティバスというものだ。路線バスよりも小さなマイクロバスを、幹線道路から外れた細い道まで走らせ、きめ細かなサービスを提供しようというものである。利用者の利便を考えて、多くの場合運賃は安く抑えられている。ワンコイン、ないし2コイン、100〜200円の定額運賃というのが一般的だ。当然のことながら採算性の面ではかなりきびしい運行形態であり、多くは地方自治体からの補助で成立している。

 コミュニティバスは、1995年に東京都武蔵野市が導入した「ムーバス」の成功で一気に全国に普及した。武蔵野市は、東京近郊の繁華街であるJR中央線・吉祥寺駅近辺を抱える人口稠密な地域だが、幹線道路を離れると路線バスが入れない狭い道が多い。ムーバスは、1)路線バスから200m以上離れた地域、2)路線バスの本数が1日100本以下の地域──という2つの条件を満たす地域に、小回りの利くマイクロバスの路線を構築した。運賃は全路線100円のワンコイン。運行形態はバス会社への委託だが、発生した赤字は武蔵野市が補填する。

 ムーバスは爆発的な成功を収めた。乗客数は順調に増え続け、2000年度に事業は黒字転換した。ムーバスの成功を見て、日本全国でコミュニティバスが運行されるようになった。Wikipedhiaの「日本のコミュニティバス一覧」を見ると、コミュニティバスが一気に普及したことが分かる。

 ここでちょっと私の体験談を書こう。この11月、名古屋方面に赴いた私は、空いた時間を使ってかがみはら航空宇宙博物館に行ってみようと思い立った。交通を調べると、ホームページには名鉄各務原線の各務原市役所前駅から、コミュニティバスの「ふれあいバス」を使えと書いてある。そこで、岐阜から名鉄で各務原市役所前駅に行くと、なんとコミュニティバスはちょうど出たばかりだった。しかも次のバスは2時間後である。きちんとバスの時刻表を調べれば良かったのだが、携帯電話の狭い画面で見ていたので、「行けばなんとかなるさ」と調べることをしなかったのが敗因だった。
 仕方ないので、私は博物館まで歩いた。距離はおよそ5km。1時間ほどかかるが、それでもバスを2時間待つよりもいい。

 博物館では、まず帰りのバスの時刻を調べた。こちらも2時間に1本だけである。乗り遅れないように注意し、博物館を見学後、名鉄犬山線の新鵜沼駅に出るコミュニティバスに乗車した。
 すると、バスは各務原市内をくねくねとあちこちに走り回り、一向に新鵜沼駅に近づかないのである。細い路地に入り、山道を抜けて新興住宅街を走り、市民会館の駐車場に入ってしばらく停車し──途中で降りようかとも思ったが、地理が良く分からないので降りようがない。
 新鵜沼駅に到着するまでおよそ1時間半。バスは各務原市のかなり広い地域を走り回り、私は強制的に各務原市の地理に詳しくなったのであった。多分、「私たちの郷土」といった副読本を社会科の授業で使っているであろう地元小学生と同じぐらいには。

 各務原市のふれあいバスのページに掲載されている時刻表と路線図を見ると、どうやら自分は一番遠回りになる路線に乗ってしまったらしい。これは自分のミスであり、「だからコミュニティバスなんて使えない」と断言する根拠にはならないだろう。しかし、いつ目的地に着くかも分からないいらだちのなかで私が見たのは、バスの乗客が自分を含めて3人以上には決して増えなかったことである。お年寄り、お年寄り、ごくたまに学生。完全に採算割れを起こしているのはまず間違いないという雰囲気だった。
 コミュニティバスのすべてが、武蔵野市の「ムーバス」のようにうまくいっているわけではないらしい。

 ここで「ムーバス(武蔵野市)」「ふれあいバス(各務原市)」を比較してみよう。一見して分かるのは、ムーバスが15分間隔と稠密な運行ダイヤを組んでいるのに対して、ふれあいバスは平日であってもほぼ2時間間隔の1日6便しか走っていないということだ。そしてふれあいバスのほうが、路線が明らかに長い。ムーバスは1路線の走行時間は20分程度であるのに対して、ふれあいバスは1時間20分から1時間50分近くもかかっている。

 ここでそれぞれの自治体を比較すると、武蔵野市は面積10,73平方kmで人口約14万人。人口密度は約1万3000人/平方km、一方各務原市は人口は約14万人で武蔵野市と同程度であるものの、面積は87.77平方kmとはるかに広い。人口密度は1650人/平方kmとなる。
 これらの数字と、ムーバスが黒字営業を達成していること、そして私が見た空っぽのふれあいバスを考え合わせると、コミュニティバスの特徴が見えてくる。

 コミュニティバスは、人口稠密地域にこそ向いた交通手段なのだ。道路事情などで人口稠密地域の中に発生する公共交通機関の空白地域を埋めることに、コミュニティバスは威力を発揮するのである。お年寄りにとって、家からちょっと歩けばバス停があり、最大でも15分も待てば次のバスが来て、最寄りの駅まで最大でも20分程度で行くことができるコミュニティバスは、便利この上ない乗り物であろう。潜在的な需要が存在する場所に新たな利便性を提供できたからこそ、武蔵野市のムーバスは成功したのである。

 一方、乗った実感と、路線図・時刻表を考え合わせると、各務原市のふれあいバスの利便性は、ムーバスに比べるとはるかに劣る。2時間に一本という本数の少なさ、そして1路線の走行時間が1時間を超えるということは、「めったにバスは来ない。来ても目的地までの乗車時間が長い」ということを意味する。不便だから乗客数は増えず、いつまでたっても採算性は悪いままだろう。

 ふれあいバスの本数の少なさも走行時間の長さも、共に各務原市の広さと人口密度の低さが根本的な原因だろう。広く薄く人々が居住している地域では、コミュニティバスはその特質を十分に発揮し得ないのである。

 コミュティバスの採算状況が分かる資料はないかと調べてみると、なんと私の住む神奈川県茅ヶ崎市のコミュニティバスえぼし号のページに行き着いた。えぼし号の利用状況に掲載された各路線の財務状況を見ると、かろうじて1路線が、市の運行経費負担が30%程度となっている。残る路線は市の負担割合が9割近いという状況だ。

 茅ヶ崎市は、面積が35.7平方kmで人口は23万5000人。人口密度は6560人/平方kmだ。もっとも採算性の良い路線は30分に一本の運行間隔で、始発から終点までの走行時間は30分。つまり、大成功した武蔵野市の半分の人口密度で、運行間隔は2倍。路線の走行時間もほぼ2倍である。それで、市の運行経費負担率が30%というわけだ。

 私には、このあたりが継続的にコミュニティバスを運行できる分岐点ではないかと思える。地方自治体が運航コストを補填すると行っても限界がある。無い袖は振れないのだ。
 それぞれの地域で特有の事情があるだろうからすこしおまけをしたとしても、コミュニティバスを維持できる人口密度は5000人/平方kmあたりが限界なのではないだろうか。

 そう考え、あらためて<Wikipedhiaの「日本のコミュニティバス一覧」を見ると、どう考えてもコミュニティバスの特質を活かせるとは思えない過疎地域でも、地方自治体がコミュニティバスを運行している。このことは、一気に増えたコミュニティバスの内実が決してバラ色ではないらしいことを示している。おそらく、相当数のコミュティバスが地方自治体からの補助金でやっと運営できている状態なのではないだろうか。

 どうやらコミュニティバスは、東京都武蔵野市という人口稠密地域で成功したという実績とはうらはらに、人口過疎地の公共交通手段としてに導入が進んだらしい。1987年に国鉄が民営化され、分社化されたJR各社は不採算路線を切り捨て、廃止していった。廃止後は同じ経路をバスが走るようになったが、今やそのバスすら採算が取れないとして廃止されるようになってきている。その一方で、地域の高齢化が進み、公共交通機関の必要性は増えてきている。

 そのような状況の中で、住民の日常生活の足をどのようにして確保しようかと苦慮していた自治体が、「これこそが少ない負担で地方自治体が実施できる公共交通サービス」と考えて、コミュニティバスに飛びついたのではないだろうか。
 だが、たとえコミュニティバスであっても、採算性を無視しては成立しない。鉄道も路線バスもなくなった地域にコミュニティバスを導入したとしても、次に来るのは、「とてもコミュニティバスを維持できない」という廃止論議なのではないだろうか。

 この状況を打破するには、追加コスト最小限に留めつつ、コミュニティバスの利便性を上げるしかない。バスの利便性は基本的に、運行間隔を詰めることと目的地への所要時間を減らすことだ。そのためには、「もっとも効率的な路線設定」が大変重要になる。なるべく多くの顧客が住む地域と、多くの人が行く駅などの生活拠点を最短距離で結び、その分運行間隔を詰めるのである。しかし、人口密度が低い地域では、それは容易なことではない。

 新たな技術を導入することも利便性向上の一手段だ。GPSと携帯電話のデータ通信などでバスの現在位置を常に顧客に知らせることや、場合によっては顧客からの予約によってルートを変更するといったことが考え得る。しかし、便利な技術の導入には資金が必要だ。また、柔軟なルート変更となると、おそらく道路運送法などに抵触しないかどうかのすりあわせが必要になるのではないだろうか(私はこの分野の法制面には詳しくないが、時として日本の法律や省令が恐ろしく硬直化していることは知っている)。

 コミュニティバスは、ある程度以上の人口稠密地域では高齢化する住民の利便性向上に大きな役割を果たすだろう。しかし、過疎地域の公共交通手段としてどうかと言えば、私は悲観的である。
 逆に言えば、ここは知恵の出しどころだとも言える。真の意味で過疎地域にとって便利な公共交通機関を案出することができたなら、それは大きなビジネスチャンスになることは間違いない。

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プロフィール

ノンフィクションライター。1962年、東京都出身。日経BP社記者を経て、現在は主に航空宇宙分野で執筆活動を行っている。著書に火星探査機『のぞみ』の開発と運用を追った『恐るべき旅路』(朝日新聞社)、スペースシャトルの設計が抱える問題点を指摘した『スペースシャトルの落日』(エクスナレッジ)、桁外れの趣味人たちをレポートした『コダワリ人のおもちゃ箱』(エクスナレッジ)などがある。

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