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松浦晋也の「モビリティ・ビジョン」

今後、テクノロジーの発達に伴い大きく変化していく”乗り物”をちょっと違った角度から考え、体験する。

甦る路面電車

2009年10月15日

(これまでの 松浦晋也の「モビリティ・ビジョン」はこちら

 ここまで、歩行者から始めて、歩行者と自転車の間、自転車、自転車とその他の動力付き乗り物の間にあたる輪行、と筆を進めてきた。次の段階として、自転車と、自動車・鉄道の中間にある乗り物について、そのモビリティを考察してみたい。手始めとして、路面電車を取り上げよう。

 路面電車というと、今でも時代遅れの乗り物と思っている人は多いかもしれないが、実際には1990年代以降、世界的に路面電車ルネッサンスというべき、路面電車復活の気運が続いている。日本でも2006年4月に、富山ライトレール株式会社が、富山市で新線「富山港線」を新規開業させた。初年度から黒字を出しており、営業実績も上々だ。富山では、路線の延伸工事を行っており、今年12月にはさらに営業距離が延びる予定だ。現状の路面電車は、時代に取り残された過去のものではなく、これからの乗り物なのである。
 では、一体どの時点でどのような理由から、「過去」から「未来」への逆転が起きたのだろうか。

 路面電車と通常の鉄道との違いは、あまりはっきりしたものではなく、連続したものである。単純に「道路に敷設された線路を走る」ということでは分類できない。例えば、神奈川県の藤沢から鎌倉を結ぶ江ノ電は専用の軌道を持つ鉄道だが、観光地の江ノ島付近では路面を走っている。あるいは、東京唯一の路面電車と言われる都電荒川線も、かなりの部分で専用軌道を走っている。
 現状では、道路に敷設した軌道をも使用し、主に市街地や市街地と郊外を結ぶ鉄道というのが、適当な定義だろう。

 歴史的に見ると、路面電車は、煤煙を発生しない電動モーターが実用化したことから都市内交通の手段として普及した。東京の都電こと東京都電車を例に取ると、1960年代初頭の最盛期には41系統、総延長200kmを超えていた。Wikipediaの東京都電車の項目には、1961年4月時点での路線図が掲載されている。これを見ると、現在の地下鉄網に近い、場所によっては地下鉄以上に稠密な交通網が構築されていたことが分かる。現在の東京の地下鉄のかなりの部分は、都電路線が荒川線を除いて廃止された1972年以降に建設されたものだ。だから、歩行者の視点からすると、東京都内の交通は都電の廃止により一気に不便になったものを、30年以上かけてやっと地下鉄が代替できるところまで来た、と考えることができる。

 都電の速度は駅が多いこともあり、そんなに速くはなかった。現存する都電荒川線は12.2kmを53分かけて走っている。当時の時刻表が見つけられなかったので推定になるのだが、例えば池袋あたりから銀座に出るというように山手線の描く環を横断すると、40分以上かかったのではないだろうか。これが地下鉄だと、東京メトロ丸の内線は池袋と銀座を18分で結んでいる。Yahoo!の乗り換え検索で調べると、池袋・銀座間は地上との往復も含めて所要時間23分と出てくる。

 もうひとつ、都電は輸送力が小さかった。都電全盛期に使用された6000形車両は、乗車定員が96人。もちろん1両1編成である。一方、地下鉄はこれも丸の内線で比較すると、現行の02系車両は、先頭車の定員124人、中間車の定員136人の6両編成であり、1編成で792人を運ぶことができる。

 遅い、輸送力が限られているという問題があるところに、1960年代の日本では急速にモータリゼーションが進んだ。都電は自動車の邪魔だということになり、1967年から1972年にかけて撤去され、荒川線を残すだけになった。
 路面電車の廃止と撤去は、1960年代の一般的傾向だった。Wikipedhiaの路面電車の項目によれば、1932年には日本各地の65都市で路面電車が走っていたものが、2009年現在は18都市の19路線のみとなっている。
 この時期、路面電車の廃止は世界的な傾向だった。

 世界的に見ると、路面電車復活の先鞭を付けたのは、ドイツ(当時は西ドイツ)のカールスルーエだった。1970年代初頭から、路面電車路線と広域鉄道網の相互乗り入れを積極的に進めたのだ。路面電車は市街中心部を走っているので、郊外住民が直接市街地と行き来することができるようになり、市街地は活性化し、同時に自動車通行量も減った。カールスルーエでの成功は、「カールスルーエ・モデル」と呼ばれるようになり、その後欧米の各地で採用されるようになった。

 だが、路面電車の利点は、市街中心部の路線網だけではなかった。
 都電最盛期を知る人に聞くと、都電には、現在の地下鉄にない便利さがあったという。「表通りに出て、そのままぽんと乗ることができた」というのだ。
 階段の上り下りがない——これは路面電車の大きな利点だ。地下鉄だと、地下まで降りて行かなくてはならず、目的地に着いたならば、また地上に上っていく必要がある。しかも、都営大江戸線や東京メトロ・副都心線のような最近開通した地下鉄は、大深度地下を利用しているので、ホームに降りるのも、地上に出てくるのにも時間がかかる。路面電車のような、「通りにでて、すぐに乗って、目的地で降りたらすぐに相手先の玄関」という簡便さにはほど遠い。

 この面で先鞭を切ったのはフランス東部の都市、ストラスブールだった。1994年、新しい路面電車、通称「ユーロトラム」を開通させたのである。

 私は1996年6月にストラスブールを訪れたことがある。そして、開通間もない斬新な路面電車に一切の予備知識なしに遭遇し、本当にびっくりしたのだった。

 1994年に開通したばかりだったストラスブールの「ユーロトラム」は、まさに驚異の乗り物だった。それはのろのろと重たげに走る従来の路面電車のイメージとは全く異なっていた。まず、余計な突起のない、美しい流線型をしており、窓を大きく取ったモダンなデザインを採用していた。
 そして速かった。車体が軽いのだろう、きびきびと加減速し、通常の電車に近い速度で走行できた。
 最大の特徴は、異様なまでの床の低さだった。私たちが通常利用している、日本の歩道の段差。あれぐらいの高さのところに床がある。駅のプラットホームは、歩道程度にしか高さがない。そこからするりと一切の段差なしに乗り降りが可能だった。車体の乗降口も大きく、車椅子であっても介助なしで乗り降りができるように設計されていた。
 つまり、「ユーロトラム」は、車椅子であっても介助なしに乗り降りができるように設計されていた。
 あまりの床の低さに、一体車軸がどうなっているのか、私は何度も車体の下をのぞき込んだが、地面ぎりぎりまでカバーされており、車輪を見ることはできなかった。どうやら左右の車輪はつながっておらず、独立に懸架することで、客席の床の高さを車輪の回転軸よりも下にもってきているようだった。

 乗るためにはまず5枚一つづりの切符を購入する。駅は無人で改札は存在しない。設置してあるパンチングマシンで、自分の切符に自分で刻印を入れる。刻印の時刻から1時間は乗り放題。ただし、車内は頻繁に検札が回っており、無賃乗車や1時間を超えた切符を使用していた場合は、目の玉が飛び出るほど高額の罰金を科せられる。「管理はゆるく自己責任で。罰則は厳しく」というわけだ。切符のあり方はストラスブールのトラムというページによると、今は「SUICA」「ICOCA」系のICカード乗車券が導入され、幾分変わっているようである。

 ストラスブールの「ユーロトラム」は、路面電車から新たなメリットを引き出した。低い床の車両によって、路上から階段の上り下りなしに乗れるということを徹底させ、バリアフリーを徹底したのである。低床設計を取り込むことにより、路面電車は幼児にも、老人にも、身体機能に障害を持つ者にも優しい乗り物になったのである。

 だが、ストラスブールにおける路面電車の意味は、バリアフリーに留まるものではなかった。

 あまりに流麗な車体に興奮した私は、ユーロトラムの端から端までを乗ってみた。現在、ストラスブールは5系統の路線が走っているが、私が行った1996年にはまだ1系統しか開業していなかった。最初の路線、A系統の終着駅で私が見たのは、巨大な駐車場だった。パーク・アンド・ライドだ。「市街地には自動車で来るな。終着駅の駐車場に自動車を置いて、路面電車に乗ってこい」ということである。
 このような交通政策は、単に路面電車や駐車場を整備しただけでは意味がない。それに呼応した市街中心部の交通規制や、都市計画と組み合わせ、「そこに住む人と行き来する人の双方にとって快適な街作り」を実施する中で、初めて効果が出てくる。実際、ストラスブールでは路面電車の整備と共に、自動車の市街地走行を規制し、駐車場だった土地の有効利用を図るなどの政策が実施された。その結果、市街地に人が戻り、新たな店舗の出店が相次いで、街は活性化した。
 新たに路面電車を敷設するという判断は、「まず路面電車というハードウエアありき」ではなく、「ストラスブールという街にとって望ましい都市内交通はどのようなものか」という都市計画の側から導き出されたものだったのである。

 ストラスブールの例に見るように、路面電車は、市街地の活性化を目指す都市計画の中に有機的に組み込んでいくべきものだ。逆に都市計画の側も、路面電車のメリットを生かし、デメリットを最小限に留めるための工夫が必要になる。

 ここで、路面電車のメリットとデメリットをまとめてみよう。モータリゼーションの進展と共に路面電車が廃止された背景には、以下のようなデメリットが存在した。

  1. 速度が遅い
  2. 自動車と路面を共有するので、自動車交通の邪魔になる
  3. 輸送力が小さい

 一方、メリットとしては、以下の項目を挙げることができるだろう。

  1. 市街地に稠密な路線網を敷設することができる
  2. 路線敷設コストが低い
  3. 階段の上り下りなしに、路上から直接乗降できる

 ストラスブールの例は、都市計画、さらには技術開発をも組み合わせて、路面電車のメリットを最大限に引き出し、デメリットを最小限に留めるよう配慮されている。
 「速度が遅い」という問題点は、軽量で高速走行可能な車両を開発することで解決した。「自動車の邪魔になる」というのは、逆に自動車交通を規制し、路面電車に人々を誘導することで、自動車交通が巻き起こす問題の解決手段として路面電車を使用することにした。

 輸送力が小さいということは、ストラスブールの場合は問題にならない。ストラスブールの人口は2007年の段階で約27万人で、周辺都市を含めると45万人となる。この程度の人口ならば、路面電車の輸送力はむしろ適正規模であり、地下鉄と比べると路線敷設コストが低いというメリットが効いてくる。ストラスブールにもしも地下鉄を建設したら、乗車人数を確保できずに赤字経営となるだろう。
 一般に、路面電車と地下鉄のどちらを整備すべきかの分岐点は、地域人口約100万人である。それ以下なら路面電車、以上なら地下鉄が有利になる。東京の場合は、明らかに地下鉄が有利なわけで、1960年代末の都電廃止は、正しい交通政策だったのだ。

 一方、「路線敷設コストが低い」というメリットと同時に、ストラスブールでは運航コストの低減も追求されている。「管理はゆるく自己責任で。罰則は厳しく」という乗降管理システムだ。このやり方なら、改札が不要になる上に、駅設備もパンチングマシンだけで済む。
 「階段の上り下りなしに、路上から直接乗降できる」というメリットは、都市計画の中に路面電車を組み入れるにあたって重要な要素だ。ストラスブールでは、低床式の新型車両を導入して、メリットを徹底追求すると同時に、低床式車両を前提として都市計画による街作りを実施した。これにより公共交通機関のバリアフリー化が達成され、市街地に人の流れが作り出された。

 ストラスブールのユーロトラムのような、新たなコンセプトによる路面電車は一般的にLRT(Light Rail Transit)と呼ばれている。この言葉は、当初「鉄道より小規模でバスよりも大規模な公共交通機関」を意味する造語だったが、現在は主に「新型路面電車」といったかなり広い意味合いで使われている。

 LRTは、都市計画の中に組み込んで使うべきものである。そして、この場合の都市計画の目的は「自動車中心交通の是正」と「市街地に人を呼び戻す」ということにある。渋滞からの開放とシャッター商店街からの脱出——LRTは地方都市再生の鍵となりうる乗り物なのだ。

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プロフィール

ノンフィクションライター。1962年、東京都出身。日経BP社記者を経て、現在は主に航空宇宙分野で執筆活動を行っている。著書に火星探査機『のぞみ』の開発と運用を追った『恐るべき旅路』(朝日新聞社)、スペースシャトルの設計が抱える問題点を指摘した『スペースシャトルの落日』(エクスナレッジ)、桁外れの趣味人たちをレポートした『コダワリ人のおもちゃ箱』(エクスナレッジ)などがある。

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