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松浦晋也の「モビリティ・ビジョン」

今後、テクノロジーの発達に伴い大きく変化していく”乗り物”をちょっと違った角度から考え、体験する。

ユーザーとショップが作り上げた“理想”

2008年11月 7日

(これまでの 松浦晋也の「モビリティ・ビジョン」はこちら

折り畳み自転車の話を続ける。折り畳み自転車にとって、1)軽いこと、2)畳んだときに可能な限り小さくなること――が必要だという話をした。その限りにおいて、a)折り畳んだり広げたりの手順が複雑ではなく、簡単にできること、b)走行性能が良いこと――が実現できれば言うことはない。

市販自転車のカタログを漁って、そんな自転車を探してみる。おそらく一番理想に近いのはダホンのHelios SLだろう。ペダルを除く重量は8.8kg。普通のペダルは片側200g以上あるから全装備重量は9.2〜9.3kg程度だろう。タイヤの大きさは20型なので、走行に不便を来すほど小さくない。9速の変速機が付いているので走りも悪くはないだろう。ただし、80kgという体重制限が付くあたりでひっかかる人もいるかも知れない。価格は16万2750円。安いショップを探し回れば12万円台で買えるといったところか。まあ、普通にサラリーマンをしているならば、ボーナス時の物欲で買ってしまえそうな額ではある(昨今、“普通のサラリーマン”の地位もかなり危なくなってきているが)。

同じダホンには、Mu XXvという重量7.5kgの軽量モデルもあるが、こちらは価格が39万9000円とかなり値が張る。世界250台限定というから、ちょっと足代わりに使うというよりもコレクター向け限定モデルだ。

Helios SLを除くと、市販品で10kgを切る軽量折り畳み自転車というのはなかなか存在しない。

が、かつて日本には6.5kgという軽量折り畳み自転車が存在した。「した」というのは、今年の秋で残念ながら製造を中止してしまったからだ。パナソニック系列の自転車メーカーであるパナソニックサイクルテック社が販売していた「トレンクル6500」である。6.5kgという重量は、この連載でも扱ったA-bikeに対してプラス800g。新型のA-bike plusに対してプラス500gだ。それでいて、トレンクル6500は普通のママチャリのように乗れ、ママチャリ程度には走った。

トレンクル6500は、14型の小さなタイヤにチタン製の軽量フレームを組み合わせた小振りな自転車だった。元々はパナソニックとJR東日本とが「駅のコインロッカーに入るおしゃれな自転車」として開発したもので1998年に発売された。コインロッカーに入るのだから、折り畳んだ時の大きさも非常に小さい。カタログによると、折り畳み時の寸法は、550×325×583mmだ。これはデパートが用意する大振りの紙袋程度の大きさである。先に例に挙げたダホンのHelios SLは折り畳み時寸法が360×640×810mmだから、トレンクルがいかに小さいか理解できるだろう。

フレームにチタンを使っているということから分かるように、トレンクルは決して安くはなかった。最終モデルの価格は18万4800円だった。最初の狙いが「電車で手軽に運んで出先で軽いサイクリング」というものだから変速機はついておらず、ギアは単段だった。

が、トレンクル6500はフレームの素性が良かった。踏んだら踏んだだけ前に進む感覚を搭乗者に与える、“スジの良いフレーム”だったのだ。こうなると、自転車マニア達が色々考え出す。「これに多段変速機を付けられたら、きっと軽くて良く走る自転車になるに違いない」と。その結果、需要のあるところに供給ありで、高い改造技術を持つ一部専門ショップが色々な工夫を始めた。

10年もの間販売し続けていたものだから、その間に専門ショップの側にも安全性を損なわずにトレンクル6500に多段変速機を装着するノウハウが蓄積していった。その結果、販売末期にはそんな専門ショップに注文すれば、8段、あるいは16段の変速機を装着したトレンクル6500が買えるという状況になっていた。

とはいえ特殊な自転車なので、どこの専門ショップでも対応できるというものではない。東京では和田サイクル、大阪では工房赤松が、それぞれトレンクル改造の雄として有名になった。価格は車両込みでだいたい25万〜30万円といったところ。もちろん、さまざまな改造を追加すればプライスタグは天井知らずになる。

そうやって作り上げた改造トレンクルは、重量がだいたい8kg未満。中には軽量化パーツを使えるだけ使って5kg台まで軽くした車両もあったという。

そんなトレンクルに入れ込んだ一人に、イラストレーターの加藤直之氏がいる。加藤氏は夫婦で3台のトレンクルを購入し、次々に改造し、さらには改造トレンクルによる長距離サイクリングまで行った。加藤氏のトレンクルのページには、様々な改造が掲載されている。氏の車両データを見ると、改造を加えた2台のトレンクルの重量は8.2kgと8.5kgとなっている。これは様々なサイクリング用の装備を追加した上での重量だから、トレンクルがいかに軽くできているかが分かる。

ホームページによると加藤夫妻は、何度も改造トレンクルで100km以上ものサイクリングを行っている。最長で一日116kmを走っているから、これはもう単なる軽量折り畳み自転車の域を超えて立派な長距離サイクリング用の自転車と言ってもよい。こちらの人のインプレッションを読むと、足に自信さえあればロードレーサーにも迫る走りもできるようだ。

「トレンクル6500 多段化」で検索すると、様々な人々がトレンクルを改造してけっこうな長距離を走っていることが分かる。例えばこの改造トレンクル6500で伊豆半島をサイクリングする人の装備からは、トレンクルの軽さ、小ささ、さらには改造した場合の走行性能の高さなどを端的に感じ取ることができるだろう。

改造トレンクルは、パナソニックやJR東日本の思惑を超えて、サイクリングを愛する自転車マニアと一部の自転車ショップとが協力することで作り上げた理想の折り畳み自転車といえるだろう。実は海外を見渡しても、このような小さく軽く高性能の自転車というのはほとんど例がない。ありがちな言い方だが、改造トレンクルは日本人特有の縮み志向が生み出した逸品なのかも知れない。

実際問題としては(例えば工房赤松のblogなどによれば)、あまりの小ささ、軽さ故の扱いにくさや壊れやすさはあるらしいのだが、それにしてもこれだけの性能を発揮する折り畳み自転車が存在し得た、それもユーザーニーズが主導する形で――ということに感嘆せざるを得ない。

もちろん、「そんな性能は駅まで通勤するには不要だ」と言ってしまえばそれまでだし、「30万円もする自転車、ましてや簡単に持って行かれそうな小さな自転車を駅の駐車場に放置できない」というのも事実だ。それでも、改造トレンクルで2駅、3駅分を走り、疲れたり面倒になったりしたら畳んで電車に持ちこんで通勤というのは、ちょっとばかりやってみたいライフスタイルではないだろうか。ましてや、改造トレンクルならば、電車に乗らずに会社まで自転車で通勤し、職場では小さく畳んで置いておき、帰りがけに飲んでしまったら、畳んだまま電車で持ち帰るということも楽々できる。「自転車で通勤したからには、自転車で帰らねばならない」ということもないし、「自転車で帰るから夜の付き合いはナシ」ということもない。乗り物として非常に柔軟性が高い使い方ができるのである。

25万〜30万という価格は確かに高い。しかし、自転車メーカーであるダホンが作り上げたMu XXVが39万9000円もすることを考えれば、ショップが一台ずつ手作りで改造するトレンクルを高いとは言えなくなる。トレンクル6500については、マニアの間で多段化改造が流行しているのを見た雑誌「バイシクルクラブ」誌が、パナソニックの協力を得て、メーカー純正の多段改造トレンクルを25台限定で販売したことがあった。この時の価格は34万8000円だったから、少量生産ではどうしてもこの程度の価格となってしまうと考えるべきと思う。

もしも需要があり、量産されたらもっと安くなるかといえば、これはかなり微妙なところだろう。トレンクルのフレーム素材であるチタンは加工が難しく、量産効果がどこまで出るかは分からない。そしてトレンクルそのものにしても改造トレンクルにしても、すべての部品を一品物で製作したわけではなく、大量生産されている市販パーツを多数使用している。

個人的な感触ではあるが、たとえ改造トレンクルがメーカーによって量産されたとしても20万円を切ることは難しいのではないかと思う。問題はそれを高いと思うか、安いと思うかの、我々の価値観だろう。

残念ながらトレンクル6500は、パナソニックのカタログから消えてしまった。今のところ私達は、次に6.5kgの折り畳み自転車をどこかのメーカーが出してくれるのを待つしかない。それが、多段変速機が付いていればいいなと思うし、もちろん安ければもっと素晴らしいなと夢想するのである。

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プロフィール

ノンフィクションライター。1962年、東京都出身。日経BP社記者を経て、現在は主に航空宇宙分野で執筆活動を行っている。著書に火星探査機『のぞみ』の開発と運用を追った『恐るべき旅路』(朝日新聞社)、スペースシャトルの設計が抱える問題点を指摘した『スペースシャトルの落日』(エクスナレッジ)、桁外れの趣味人たちをレポートした『コダワリ人のおもちゃ箱』(エクスナレッジ)などがある。

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