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松浦晋也の「モビリティ・ビジョン」

今後、テクノロジーの発達に伴い大きく変化していく”乗り物”をちょっと違った角度から考え、体験する。

ローラースルーGOGOの新たな可能性

2008年9月26日

(これまでの 松浦晋也の「モビリティ・ビジョン」はこちら

前回はローラースケートやキックボード、スケートボード、さらには一輪車などを交通機関として利用できないかを考えてみた。結論から言えば、ゲリラ的に少数の個人が利用するならともかく、日本において社会に根付いた交通機関として利用するのは少々難しそうだ。

だが、今から33年前の1975年、これらの持つ欠点を解消し、自転車と徒歩との間を埋める可能性を持った乗り物が日本中を走り回ったことがあった。元気の良い大手自動車メーカーが開発し、子供用の遊具として発売されたそれは、全国の小学生の間で大流行したが、発売からわずか1年弱で市場から姿を消した。

幻の乗り物の名前は、ローラースルーGOGOという。本田技研工業の技術者が開発し、関連会社から発売された乗り物である。

ローラースルーGOGOは、キックボードを前2輪、後ろ1輪の3輪にしたような形状をしている。ただし、後輪には独特の駆動機構が付いている。後部に付いたペダルを踏み込むと、チェーンが引っ張られて後輪を回転させるという仕組みだ。前の2輪はスケートボードの車輪と似た取り付け方法をしており、体を傾けると傾けた方向に車輪が切れ込んで曲がるようになっている。ブレーキは後輪だけタイヤの表面に押しつける簡単なものが付いている。

後ろに足をけり出すようにして使う駆動機構が、ローラースルーGOGOの一番の特徴だ。ペダルは左右対称になっており、右足でも左足でも使える。疲れたならば足を交代することもできるわけだ。

この駆動機構のおかげで、ローラースルーGOGOはかなりのスピードがでる。発売当時、私はもう中学生だったのでローラースルーGOGOに乗る機会はなかったが、近所の小学生達が競うようにして走り回っていたのを覚えている。確か、相当速かった。子供が16インチ程度の子供用自転車を力一杯こぐのと同じぐらいのスピードが出ていた記憶がある。時速15km以上は出ていたのではないだろうか。

ローラースルーGOGOには、制限体重45kgの「ローラースルーGOGO」と同60kgの「ローラースルーGOGO7」とがあった。重量はそれぞれ4.6kgと7.3kg。

私が、ローラースルーGOGOに新たな乗り物の可能性を見る理由は、その高速性と軽量さにある。オリジナルのローラースルーGOGGOのフレームは、鉄のパイプとプレス部品でできていた。今ならば軽量のアルミ合金や、値段を気にしなければ炭素繊維強化樹脂を使い、大幅に軽量化することが可能だ。最新技術を使えば、おそらく折り畳み機構を組み込んでも4kg台、なおかつ体重80kg以上の大人も乗れるローラースルーGOGOを作ることが可能だろう。

時速15kmも出れば朝の通勤時に駅まで走るのに十分だ。駅に着けば自転車のように専用駐車場に入れることなく、折り畳んで車内に持ちこめばいい。キックボードなみに小さく折り畳め、A-Bikeよりも軽く仕上がるならば、それは理想的な交通手段となる。

なによりも、ローラースルーGOGOならば、前回書いた法律の壁を突破することができそうに思える。道路交通法は自転車を「自転車 ペダル又はハンド・クランクを用い、かつ、人の力により運転する二輪以上の車」と定義していた。ペダル式の駆動機構を持つローラースルーGOGOは、この定義にあてはまる。

また、内閣府令の道路交通法施行規則は、自転車の基準として「制動装置が走行中容易に操作できる位置にあること」という項目を規定している。オリジナルのローラースルーGOGOにも簡単なブレーキはついていた。直径6インチのタイヤを持つA-bikeが、よく効くブレーキを装備していることからも分かるように、今の技術ならローラースルーGOGOのすべての車輪にブレーキを装着するのは容易であろう。

実際問題として今の日本では、このような乗り物が「遊具」なのか「自転車」なのかの判断は、かなりの部分が警察の裁量に委ねられている。私が間接的に聞いた話では、警察はほとんどの新しい乗り物は「遊具」としたがる傾向があるそうだ。そのほうが面倒が少ないからだろう。しかし、ローラースルーGOGOは、法律上は立派に自転車として認められるだけの素質を持っている。

ホンダのホームページにある1975年12月25日付けのGOGO7のリリースによると、ローラースルーGOGOは1975年春に発売され、12月までに110万台を売るヒット商品となった。春に発売したもののなかなか売れず、11月に入ってからテレビコマーシャルを集中的に打ったところ爆発的に売れ出したのだった。GOGO7を発表した1975年12月、その前途は洋々としているかに見えた。

しかし1976年2月、ローラースルーGOGOのブームは突如終息する。ホンダは国内販売を中止し、在庫はアメリカに遊具として輸出された。

一体何が起こったのか。

ローラースルーGOGOについては、開発の当事者で、独特の後輪駆動機構の考案者でもある吉岡伴明氏が、わが息子ローラースルーというページを公開している。吉岡氏は、ローラースルーGOGOが突如市場から消えた事情を以下のように書いている。

「どうした!」と言う私の問いかけにLPL(プロジェクトリーダー)は「大変なんですこれです、、」と言って新聞のコピーを差し出したそれには「ローラースルーで男児死亡事故!今度の入学式を目前の悲劇」という文字が目に飛び込んで来た、私は一瞬背筋に水を被せられたようにゾーっとして立ちすくんだ。
(中略)
予想もしない追い討ちの事件が起きたのは丁度5日後の朝のことだった。食事を取りながら開いた新聞には大きな見出しで「ローラースルー又死亡事故!」、「入学を来月に控えた幼児が再び悲劇!!」「警察ではローラースルーの安全性を検証を始める」、、私は新聞を見たまま本当に立ちすくんでしまった、手が戦慄くのを感じた、「なんで又、、、同じ、、、」言葉にならなかった。

ローラースルーGOGOで起きた交通事故に乗じて、新聞がバッシングを始めたのだった。当時、まだインターネットはなく、マスメディアには社会を動かす大きな力があった。売れ行きは瞬時に止まり、ホンダは生産中止を余儀なくされた。

ローラースルーGOGOでなくとも交通事故は起きる。本当にローラースルーGOGOが原因で事故が起きたのかは、冷静にきちんとした分析を行わなければ分からない。しかしマスメディアは事故をきっかけに、ローラースルーGOGOのバッシングに走ったのである。

その背景には、ローラースルーGOGOが、あまりに爆発的に売れ、普及したということがあったのだろう。人間の本性は保守的だ。生活の中に異物が入り込んでくると本能的に警戒感を抱く。そしてマスメディアは大衆の本能にすり寄ることで、販売部数を増やすものだ。一気に普及したローラースルーGOGOは、人々の本能的警戒感を刺激し、結果としてマスメディアのつけいる隙を作ってしまったのだろう。

なんという惜しい、愚かなことをしてしまったのだろうか。この時、新聞の的はずれな正義感は、新たな交通システムの誕生に決定的なダメージを与えてしまったのである。

この件について私は、かつてホンダ関係者から「実は当時、チェーンに子供が指を挟んでの切断事故が起きていた」という話を聞いたこともある。しかし、聞いた相手もローラースルーGOGOの発売当時にホンダに在籍していたわけではなく、社内の“伝説”を知っていたに過ぎなかった。

そして、たとえ指切断事故が事実であったとしても、ローラースルーGOGOの基本設計に欠陥があるというわけではない。チェーンカバーをつければいいだけの話だ。それは製造コストの問題である。

実のところ、私はまだ希望を捨てていない。誰でもいい。どのメーカーでもいい。きちんと自転車として公道を走ることができるローラースルーGOGOを作ってくれないだろうか。それは、徒歩と自転車の間を埋める、素晴らしい乗り物になるはずだ。

重量4kgで折り畳み機構を持った大人向けローラースルーGOGOが5万円で売り出されたら、あなたは買うだろうか。私は買う。絶対に買う。買って喜んで走り回るだろう。

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プロフィール

ノンフィクションライター。1962年、東京都出身。日経BP社記者を経て、現在は主に航空宇宙分野で執筆活動を行っている。著書に火星探査機『のぞみ』の開発と運用を追った『恐るべき旅路』(朝日新聞社)、スペースシャトルの設計が抱える問題点を指摘した『スペースシャトルの落日』(エクスナレッジ)、桁外れの趣味人たちをレポートした『コダワリ人のおもちゃ箱』(エクスナレッジ)などがある。

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