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松浦晋也の「モビリティ・ビジョン」

今後、テクノロジーの発達に伴い大きく変化していく”乗り物”をちょっと違った角度から考え、体験する。

A-bike 徒歩の移動を補助してくれる道具

2008年8月22日

(これまでの 松浦晋也の「モビリティ・ビジョン」はこちら

昨年、A-bikeという折り畳み自転車が発売された。直径6インチ(15cm)という極小径のタイヤを使うユニークな乗り物だ。A-bikeという名前は、フレームを横から見るとAの形に見えるところから来ているという。開発者はイギリスの発明家サー・クライブ・シンクレア。往年の8ビット・パソコン「シンクレア ZX81」で知られる人物だ。

A-bikeの特徴は、折り畳んだ時の小ささと、軽さにある。折り畳み時の寸法は66cm×16cm×30cm。しかもその状態では大きな突起もない。重量は5.7kg。通常のお買い物用自転車(通称ママチャリ)は10数kgはあるから、非常に軽い。市販車最軽量だ。軽い車体の代償は体重制限だ。85kg以上の人は、A-bikeに乗ることができない。

A-bikeは、サイズも重量も、ちょうど専用ケースに入れたテナーサックスと同程度である。エレキギターやベースに比べればずっと小さく、かさばらない。学生時代にバンド活動をしていた人ならば、その大きさと重さは容易に実感できるのではないだろうか。高校生の頃、せっせと持ち歩いていた楽器と同じサイズ、同じ重さで、展開すれば自転車として走り出すのである。

小さいので、電車への持ち込みも楽だ。通常の折り畳み自転車を袋に入れて電車に持ちこむと、かなり車内でかさばる。他の乗客にぶつからないよう注意しなくてはならないし、混雑時を避けるといった工夫も必要になる。A-bikeはそのような配慮をほとんど必要としない。専用のバッグにいれて、気楽に電車で持ち歩くことができる。

私は1年半ほど前に、発売されたばかりのA-bikeを入手し、その後便利に使っている。異形の自転車ながら、A-bikeは少々の慣れで使いこなすことが可能だ。自転車に乗れる人ならば大した苦労もなく使いこなせるようになる。走りはスムーズ。高圧6インチタイヤの転がり抵抗は小さく、各部の加工精度も高い。

安全面では、通常の自転車よりも気をつけることが多い。まず、組立時にすべてのロック箇所をきちんとロックする必要がある。部品点数を減らすべく考え抜かれた設計なので、ひとつでもロックが緩んでいると破損の原因になる。そしてタイヤが小さいために、当然ながら段差には注意しなくてはならない。ホイールベース(前輪と後輪の間の距離)も短いので、通常の自転車より転倒しやすいことは間違いない。とはいえむやみに怖がる必要はない。要は慣れである。

この小さなタイヤの自転車で、どれぐらいの速度が出せるかに興味を持つ人は多いだろう。結論から言えば、必死に飛ばせば25km/hぐらいまでは出る。とはいえ実用的には、15km/hぐらいまでで使うのが適当だ。この速度は、そこら辺を走っているママチャリ程度のスピードだ。つまり、普通のおじさんおばさんが乗るママチャリ程度の速度は楽に出る。もちろん歩くよりはずっと速い。

坂道もまあまあ上れる。ギアが比較的軽い設定になっているためだ。その分早くは走れないわけだが、決して安定性が良いというわけではないので、スピードが出ないことは安全性が高いということでもある。通常の自転車はクランクが165〜170mmの長さがあるが、A-bikeのクランクは140mmしかない。このため力を込めて踏み込む漕ぎ方では疲れてしまう。力を抜いて丸く足を回す乗り方をするほうが、疲れないし速い。

これまでの経験では、最長15kmほどをA-bikeで一気に走った。東京駅を中心に半径15kmの円を描くと、東京23区のほぼ全域が入り、三鷹市など一部市部も入る。23区内の移動はA-bikeで用が足りてしまうわけだ。しかし実際問題として15kmを15km/hで、1時間かけて移動するのは現実的ではないだろう。最高速度15km/h、信号待ちなどがあるので3〜4kmを20分程度で移動するというのが、実用的な扱い方だろう。

この距離の移動は、東京ならば地下鉄を使うことが多い。都営大江戸線や東京メトロ半蔵門線など、地下鉄はより大深度の地下に敷設されるようになっている。地下に降りるにせよ、地上に出てくるにせよ、うんざりするほどエスカレーターに乗らなければならない駅も少なくない。A-bikeを使えば、延々と地下に降りていく必要はなくなる。そのまま地上を走行していけばいい。天候が悪ければ使えないが、その時は畳んで地下鉄に乗ればいいのだ。

もちろん運賃を支払う必要もない。日本での販売価格は5万8000円。東京メトロの初乗り運賃160円で、目的地の往復は320円。毎日320円を東京メトロに支払うとすると、182日で元が取れる計算になる。もちろん毎日使うわけでもないだろうが、数年も使えば十分元を取ることができるだろう。そこには自転車を使った有酸素運動でもたらされる、健康的な肉体というおまけもついてくる。

東京でA-bikeを使う問題点は、A-bikeそのものではなく、道路にある。タイヤが小さなA-bikeは段差に弱い。自動車を恐れて歩道を走行していると、交差点のたびに歩道を降り、また歩道に上がることになる。この小さな段差がA-bikeにはつらい。都内の歩道は、その全てが十分な幅を持っているわけではない。歩行者に遠慮し、段差に注意しながら走るのはかなりのストレスだ。

むしろ思い切って車道を走った方が走りやすい。もともと自転車など軽車両は法律で車道通行が基本となっているのだから遠慮をする必要はない。確かに自動車は怖いのだが、都内の幹線道路は比較的道幅が広く、事前に予想したほどの危険性は感じなかった。バス優先レーンが設定されていると、乗用車が入ってくることも少ないので伸び伸びと走ることができる。

それにしても、車道を走ると、これまでの道路行政が徹底した自動車優先で行われてきたことを実感する。「道幅はこんなにあるのに、なぜ自転車も歩行者もこんな隅に追いやられているのだろう」──そう思うのだ。

A-bikeは、なかなか便利に徒歩による移動を補助してくれる道具だ。しかし、問題点も存在する。一番の問題は、5.7kgという微妙な重さだ。畳んだA-bikeを専用のバッグに入れ、様々な人に持って貰った。中身が自転車だと教えた人は一様に「これは軽い」と言ってくれたのだが、中身を教えずに持たせた人は全員が「何をこんなに重いバッグを持ち歩いているのか」とあきれた顔をした。自転車としては軽い、しかし、日常持ち歩く道具としては重い、というところにA-bikeは位置している。

「もう1kg軽ければ」とも思うが、そのための投資は10万円では済まないだろう。自転車の軽量化は、基本的に高価な材料を使った軽い部品に交換することで行う。数十gの軽量化のために万円オーダーのお金が飛ぶのは当たり前の世界だ。ここは5.7kgの重さで、適当な価格での商品化に持ちこんだ開発者の手腕を称えるべきだろう。

A-bikeはすでに販売を終了しており、改良型のA-bike Plusの販売が始まっている。日本でもこの秋から販売される予定だ。基本部分を強化した一方で、重量は300g増加した。5.7kgと6kgの差が、携行性にどれぐらい影響を与えるのかは今のところ不明である。

もうひとつ注意すべきこと。現在、主に中国製の「A-bikeもどき」が市場で大量に出回っている。価格は1万円ほどと、本物より大分安い。中国のB2Bサイト「アリババ」日本語版を観ると、あきれるほどの種類のニセモノが、日本との貿易を期待して掲載されている(詳しくはこちらにまとめた)。

ネットにおける評判を見る限り、これらのニセモノは、部品の精度も強度も低い。すぐに壊れるそうだ。命が惜しければ、本物を買うべきであろう。自転車は命を預ける乗り物だ。安いというだけで買ってはならない。

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プロフィール

ノンフィクションライター。1962年、東京都出身。日経BP社記者を経て、現在は主に航空宇宙分野で執筆活動を行っている。著書に火星探査機『のぞみ』の開発と運用を追った『恐るべき旅路』(朝日新聞社)、スペースシャトルの設計が抱える問題点を指摘した『スペースシャトルの落日』(エクスナレッジ)、桁外れの趣味人たちをレポートした『コダワリ人のおもちゃ箱』(エクスナレッジ)などがある。

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