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松浦晋也の「モビリティ・ビジョン」

今後、テクノロジーの発達に伴い大きく変化していく”乗り物”をちょっと違った角度から考え、体験する。

交通を巡る社会の穴

2008年8月 8日

私達が日常で利用している移動手段には、「穴」が存在する。普段は気が付かないが、移動の効率ということを考え出すと、気になる穴が。ここでいう「穴」とは、「すこし頑張れば、小さな道具立てで済むのに、ついつい大がかりな道具立てとなってしまうケース」を意味する。

2つ例を挙げよう。ひとつは歩行と自転車の間の穴、もう一つは自転車と自動車との間の穴だ。

おおざっぱに速度と一回の移動距離で、人間の移動手段を分類してみよう。人間は2本の脚で移動する能力を持つ。歩けば4km/h、走れば20km/h。移動距離は、文明に浸りきった我々の日常生活では長くとも1〜2km程度だろうか。

自転車は、種類によってかなり速度も移動距離も幅がある。ここで問題にしているのは日常生活の中での移動手段なので、ママチャリを例にとることにしよう。日本のママチャリは、低速で走ることに特化した、世界的に見ると異常な方向へと発達した自転車だが、まあ15km/hから20km/h、距離は10km程度だろうか。

自動車になると、自転車以上に幅が大きくなる。が、街中ならば50〜60km/h、距離は数十から100kmとといったところだろう。

道具立ての規模からいえば、歩行が一番小さく、次いで自転車、そして自動車という順番で大きくなっていく。

たとえばあなたが駅から2kmの場所に住んでいるとしよう。成人男子の脚ならば、歩けば30分もかからない。おそらく20〜22分ぐらいだろう。健康維持の観点でも、歩くのに適した距離だ。しかし、朝、一分でも長く寝ていたい多くの人たちは、歩いて駅まで通勤しようとは思わない。自転車で駅までの所用時間を10分以下に短縮しようとする。

わずか2kmの距離に重量10kg以上の自転車を持ち出す結果が、駅前の放置自転車だ(Wikipedia:放置自転車)。交通を妨げ、景観を悪化させることになる。国土交通省や地方自治体は様々な対策を打ち出しているものの、問題解決にはほど遠いのが現状だ。(国土交通省の対策東京都板橋区・豊島区における社会実験)

徒歩以上、自転車未満の移動手段があれば、この問題を解決できるのではないだろうか。

あるいは、買い物だ。昨今は駅から離れた場所に、大規模なショッピングモールが建設されることが増えた。自動車で乗り付けて、食料や日用品を大量に買い込むことを日課としている人も多いだろう。

では、あなたの家からそのショッピングモールまでどれぐらいの距離があるだろうか。ひょっとして数km程度のところにあるショッピングモールにも自動車で行ってはいないだろうか。「たくさん買い物をするかも知れないから」といって、実際には数kg程度の買い物ということはないだろうか。ティーンエイジャーのころからの体重の増分にも満たない買い物のために、重さ1トン以上の自動車を繰り出してはいないだろうか。

最近の自動車は、衝突安全性の確保と、消費者が豪華装備を求めるという2つの理由から重くなりつつある。軽自動車でも1トン、普通乗用車では1.5トン程度の重量があるのが普通だ。あなたの体重+数kgの買い物を移動させるために、その10倍以上の質量を、燃料の燃焼により高速移動させるのは、なんともエレガントさに欠ける。

自転車以上、自動車未満の移動手段ならば、1トン以上の自動車を振りまわすのとは異なる、省エネルギーな生活を実現できるのではないだろうか(平成19年度環境・循環型社会白書によれば交通部門の二酸化炭素排出量の約半分が自家用乗用車によるものである)。

このような「鶏を割くにいずくんぞ牛刀を用いん」的なミスマッチは、ちょっと意識を変えれば解決できる。朝30分早く起きて駅まで歩くとか、ちょっと頑張ってショッピングモールまで、自家用車ではなく、いつもは駅までの通勤に使っている自転車で買い物に行くだとか。

問題は、本来怠け者の人間にとって、その「ちょっと」が非常に難しいということだ。

移動のための道具はかなり柔軟に使うことができる。駅まで歩いていくのと同じ脚で、日本列島を縦断することができる。駅まで20分を10分に短縮する自転車で、世界一周をすることもできる。自動車が、ありとあらゆる用途に対して便利に使えることはいうまでもない。その柔軟性が、逆に移動手段の「穴」を見えにくくしているといえるだろう。

しかし逆に考えてみよう。自宅から駅まで移動するのに最適な道具も、間違いなく十分な柔軟性を備えているはずだ。これは、郊外のショッピングモールまでちょっとした買い物に行くのに最適な道具も同じである。

ここに、新たな道具の可能性を考察する余地が発生する。

「朝、自宅から駅まで移動するのに最適な道具はどんなものか」「郊外のショッピングモールまでちょっとした買い物に行くのに最適な道具はどんなものか」

このように考えることで、今まで存在しなかった新しい乗り物、新しい移動手段を入手できるかも知れないわけだ。

「穴」は、今回紹介した2つには限らない。便利さの影にかくれて、我々の社会交通システムにはいくつもの穴が空いている。

これから、これらの穴と穴を埋めるべき乗り物について、あれこれを考えてみたり、体験してみたり、調べてみたりすることにする。

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プロフィール

ノンフィクションライター。1962年、東京都出身。日経BP社記者を経て、現在は主に航空宇宙分野で執筆活動を行っている。著書に火星探査機『のぞみ』の開発と運用を追った『恐るべき旅路』(朝日新聞社)、スペースシャトルの設計が抱える問題点を指摘した『スペースシャトルの落日』(エクスナレッジ)、桁外れの趣味人たちをレポートした『コダワリ人のおもちゃ箱』(エクスナレッジ)などがある。

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