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小島寛之の「環境と経済と幸福の関係」

数学エッセイストでもある経済学者が、経済学の視点から、環境問題、そして人の幸福 について考える。

人を正直にするのは高くつくのだ〜メカニズムデザインの考え方

2007年10月27日

(これまでの 小島寛之の「環境と経済と幸福の関係」は こちら

前回にも触れたが、今年のノーベル経済学賞は、「メカニズムデザイン」という分野を樹立した3人の経済学者ハーウィッツ、マスキン、マイヤーソンに与えられた。経済学に関する連載を持っている身として、この理論がどんなものかを読者に伝える社会的使命が多少はあると思うので、この分野は専門外だけれど、がんばって、これから何回かで解説してみようと思う。

「メカニズムデザイン」という分野が論じようとしているのは、ぶっちゃけていえば、「どうやれば人に何か社会的に見て適切な行動をするインセンティブを与えることができるか」ということだ。例えば、「どうやったら子供に、勉強しているフリではなく、本当に一生懸命に勉強させることができるか」、あるいは、「どうやったら従業員に、手抜きではなく、熱心な仕事をさせることができるか」、といったことである。

世の中難しいのは、一生懸命に勉強したのにいい成績がでないこともあるし、しゃかりきに働いたのに結果がうまくないこともある。だから冴えない成果に終わったとき、その人が本当に努力したかどうかを知っているのは当の本人だけであり、その人のボスにはそれはわからないのが一般的だ。このような本人だけの知る情報のことを経済学では「私的情報」と呼ぶ。もしもあなたが、「私的情報」を持っている誰かとなんらかの取引をするなら、巧妙な契約を作って、彼らの私的情報が露わになるように仕組まなければならないだろう。別のことばでいえば、彼らが私的情報を戦略的に利用してずるく立ち回ることをしないような、そういう適切な契約を作ること、それこそが「メカニズムデザイン」なのである。

このようなテーマは、「社会主義の中央計画当局が、労働者に熱心に働くインセンティブを与えたり、消費者から本当に欲しいものが何かを聞き出すには、どうしたらいいか」というスケールのでかい問題にも、「橋を建造することについて、住民がどの程度の費用負担なら合意するか」などの現実的問題にも、そして「職場で加湿器を買うのに、みんながそれをどの程度欲しているかの本音を聞き出すにはどうすればいいか」といった卑近なレベルの問題にも共通するものだ。

今回は、上記のような問題に、グローブスという経済学者が与えた解答、「グローブス・メカニズム」、について解説することとしよう[*1]。

今、A、B、Cの3人の職員から成る職場で、互助会費を使って加湿器を購入するかどうか、という問題が浮上したとする。加湿器はとりあえず30000円としよう。加湿器を購入するべきかどうかは、加湿器を置くことに職員各人がどのくらいの価値を見出しているか、それに依存する。3人の加湿器に見出している価値の和が30000円を超えているなら、購入するのが正しいし、下回っているなら購入するのは無駄である。

だから、購入の是非を決めるには、加湿器にどのくらいの価値を見出しているか3人に尋ねてまわる必要があるのだが、問題は3人が「自分にとっての加湿器の本当の価値」という私的情報を正直に申告するかどうかである。加湿器に高い価値を置いている人は、過大に価値を申告してなんとか購入される方向に持って行こうとするであろうし、逆の人は、過少申告をするだろう。このような現象は、専門的には「ただ乗り(フリーライダー)問題」と呼ばれる。

グローブスは、このような問題設定において、彼らに「自分にとっての加湿器の本当の価値」を正直に申告させるための妙案を思いついたのである。どうやるのか。

あなたが3人の職員A、B、Cのまとめ役だとしよう。あなたは、3人に次のような提案をするのである。「自分が加湿器に見出している価値を申告してください。合計が30000円以上なら、購入します。さらに、購入が達成されたあかつきには、かつその時に限り、どの人にも、他の2人の申告額の合計から30000円を引いた額のボーナスを私のポケットマネーから進呈します」

奇妙きてれつな提案であるが、これをゲームと見なし、A、B、Cが合理的なプレーヤーであるとした場合、彼らの最適な戦略は「自分が加湿器につけている価値を正直に申告する」ことだと証明できるのだ。

このことを証明するために、Aの立場になってAの思考をたどってみよう。Aは加湿器に20000円の価値を見出しているものとして話を展開する。

Aは、B、Cの申告額を例えば仮に、「ともに10000円ずつだ」、と仮定して思考をスタートする。こうである根拠は何もないが、仮にそうして思考をすすめる。(一般化はすぐあとに与える) 。このときに、Aは自分しか知らない私的情報「自分にとっての加湿器の価値は20000円」を使って、次のように応じ手をたてるだろう。

もしも加湿器が購入されることになれば、その価値20000円に加えて、まとめ役から「BとCの申告額の和」−30000円=10000+10000−30000=マイナス10000円を受け取ることになる。(要するにまとめ役に10000円支払うことになる)。したがって、自分にとっての加湿器購入の正味の価値は、20000−10000=10000円である。これは購入されない場合の利益(0万円) を上回っているので、購入されるように申告をするのが正しい戦略である。購入を成立させるためには、30000−(10000+10000)=10000円以上の額を申告すべきである。10000円以上ならなんでもいいが、大事なのは自分にとっての加湿器の本当の価値である20000円もその候補者である、という点なのだ。

以上のプロセスを抽象的に行ってみよう。

B、Cの申告額をそれぞれy円、z円とする。このとき、加湿器が購入されたときのAの得る正味の利益は20000+(y+z−30000)だ。これがプラスないしゼロなら、購入されるような申告をすべきだし、マイナスなら購入されないように申告すべきである。ところで、Aが価値xを申告したとき、x+y+z−30000が0以上なら購入が実行されるし、マイナスなら購入されないのだから、したがって、取るべきAの応じ手は

20000+(y+z−30000)≥0ならx+y+z−30000≥0となる任意のx を申告すべき
 20000+(y+z−30000)<0ならx+y+z−30000<0となる任意のx を申告すべき

ということになる。これをちょっとだけ変形すると、
 20000≥(30000−y−z)ならx≥(30000−y−z)となる任意のx を申告すべき
 20000<(30000−y−z)ならx<(30000−y−z)となる任意のx を申告すべき

となる。これを眺めていると、Aにとって、B、Cがどんなy,zを申告しようが、(それを知ってる必要はなく) 、x=20000円を申告すれば常にこの応じ手に合致していることがわかる。(あとの式にx=20000を代入してみよ) 。しかも、すべてのy,zの組合せに対して統一的にこの応じ手に合致する申告額はこのx=20000円だけなのである[*2]。さて、この20000円というのはAにとっての加湿器の本当の価値であったことを思い出そう。Aは「自分にとっての本当の価値を正直に申告する」というのが、BとCの申告の組合せすべてに対して統一的に最適な応じ手となっているわけだ。だから、Aはその私的情報を正直に申告すべきなのである。このことは、BとCにとっても同じだから、結局、まとめ役であるあなたに対して、3人とも正直な申告をするのが合理的な戦略となるのである。

以上が、グローブス・メカニズムである。手品にだまされた気分になるだろうが、数学的には(ゲーム理論的には)とても面白いとぼくは思う。

でも、読者の中にはきっと、「こんなのに実際的なじゃない。机上の空論だ」という人がいるに違いない。なぜなら、例えば仮に、3人ともそれぞれ20000円の価値を加湿器に見出している場合、その数値を聞き出すために、あなたは各人に20000+20000−30000=10000円ずつのボーナスを進呈しなければならないからだ。加湿器を購入するためにこんな余計な出費をするのがばかげている、と読者はいうことだろう。

でも、このことは、見方を変えれば、こういう風にも解釈できる。つまり、「人に本音を言わせるのは、ただでは無理で、場合によってはとても高くつく」、ということ。だから、社会においてその構成員に正しいインセンティブを与えるためには、非常に大きいコストを要する可能性が高く、効率的な経済活動というのは口でいうほど簡単ではない、ということなのだ。

* * * * *
[*1] Groves,T., ``Incentives in teams'' ,(1973), Econometrica.
あるいは、
Fudenberg and Tilole, ``Game Theory'', pp271-272
[*2] 要するにx=20000は、「支配戦略」ということだ。

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プロフィール

1958年生まれ。帝京大学経済学部経営学科准教授。数学エッセイスト。著書に『サイバー経済学』『確率的発想法』『文系のための数学教室』『エコロジストのための経済学』などがある。

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