2007年のノーベル賞についての雑感
2007年10月18日
(これまでの 小島寛之の「環境と経済と幸福の関係」は こちら)
今年のノーベル賞について、感じたことを書いてみたい。もちろん、これらは、ごく個人的な感想・駄話であって、「論じる」というようなレベルのものではないことは事前にお断りしておく。
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何より驚いたのは、ゴアとIPCC(気候変動に関する政府間パネル)にノーベル平和賞が与えられたことだ。地球温暖化の問題が、ノーベル賞の舞台に乗ったことは画期的なことだし、これが今後の国際的な取り組みを後押しすることにもなるだろうし、そういう意味で喜ばしいことだ。
もともと平和賞というのは「戦略的」な色彩の強い賞であるから、その「恣意性」に異論をはさむつもりは毛頭ないのだけれど、それでも少々違和感が残った。それは、「物理学賞」でも「化学賞」でも「経済学賞」でもなく、なぜ「平和賞」か、ということだ。つまり、「二酸化炭素の排出→気温の上昇→南極の氷が溶ける→・・・→紛争が起きる」という風に、「風桶原理」にもう何項目か加えて、「紛争が起きる」にたどりついていることである。起きるかもしれない紛争を未然に防いだから「平和賞」というわけなのだ。
完全な数学的演繹(確率1.0で成り立つ因果)でない限り、原因と結果を「→」でつなげばつなぐほど、その蓋然性は低くなって当然だ。おおざっぱに見積もるなら、「→」の因果の(条件付)確率をpとすると、n段階目の結論の正当性はpの(n−1)乗程度の低さになってしまう。だから、このような形で安易に「→」をいくつか加えることには違和感をぬぐえない。
そんなわけでぼくは、この「違和感」を次のように「期待感」に昇華させることにした。これは我が師・宇沢弘文に、「地球温暖化の経済理論」に貢献した功績で遂に経済学賞が授与されることの前兆なのだ、そうに違いない、と。宇沢は、実際、何度も経済学賞の候補者になりながら逸して来た経緯がある。いよいよその日が来たのだ、と。
ノーベル経済学賞についてぼくが残念に思っていることは、いまだに女性の受賞者と日本人の受賞者がいないことだ。女性については、ジョーン・ロビンソンが有望視されていた時期があったらしい。ロビンソンは、「不完全競争理論」の先駆者であり、ケインズの弟子で宇沢の師にあたる人だった。彼女が受賞を逸したのは既存の経済理論に挑戦的な傾向があったため、と経済学者の間で噂されている[*1]。今年は、Lena Edlundというスウェーデン人の女性経済学者が有望と、あるブックメーカーがオッズの上で予想を表明していた(記事はこれ)。
さて、そんな妄想を抱きながらの経済学賞の発表。受賞者は、残念ながら、女性でも日本人でもなかった。
今年の受賞者は、ハーウィッツ、マスキン、マイヤーソンの3人であった。授賞の理由は、ゲーム理論の中の「メカニズムデザイン」という分野を樹立したことである。メカニズムデザインという分野を平易に紹介するのは難しいが、手短にいうと、「経済の参加者の一部が私的情報を持っているとき、彼らがその情報的優位を利用して戦略的に行動することで、取引相手に損害を与える可能性がある。このとき取引相手がどういう契約(メカニズム)をデザインすれば、彼らに適切なインセンティブ(あめとむち) を与えることができるか」ということを分析する分野である。もうちょっと詳しい解説は、別の回にする予定だ。
宇沢師匠の受賞というぼくの夢はまた持ち越しになってしまったが、個人的にはプチ嬉しいこともあった。それは、ぼくが共著者たちと書いた3本の論文のうちの2本が、今回の3人のうちの2人に端を発する研究であったことだ[*2]。(そのうち、マイヤーソンを発端とする協力ゲームにおける「マイヤーソン値」に関する研究は、タイムリーなことにも、刊行されたばかりのぼくの本『数学で考える』(青土社)に収められているので参照されたし[*3])。
もちろん、受賞者たちはメカニズムデザイン以外にも多くの分野で輝かしい業績を残しているから、彼らと研究領域が接触するのは不思議ではないが、それでもだだっぴろい経済学の中で受賞者と同じ領域に関わっている事実は誇らしいことだ。なにせぼくは、経済学者になるまで、長い間塾の先生をやっていて、「一生、受験問題を解いて暮らして行くのかな」などと卑屈な気持ちでいた人間だ。その頃は、ノーベル賞などまるで別の惑星の出来事に思えていた。でも今は、少なくとも同じ惑星の中でのできごとぐらいには感じることができるようになったのだ。そんな中での今回の授賞は、ぼくにとってプチ嬉しい人選なのであった。
ハーウィッツは、なんと90才での受賞であるから、宇沢師匠にもまだまだチャンスはある。以前、世田谷区の環境問題に関する市民運動で宇沢先生とご一緒したとき、帰りの電車の中で、先生は弟子だったスティグリッツの受賞を心から喜んでおられた。「スティグリッツは正義感の強い学者でね」、そんなニュアンスのことを笑顔でおっしゃったように記憶している。
* * * * *
[*1]ハートマッカーティ『ノーベル賞経済学者に学ぶ現代経済思想』日経BP
[*2]一本は、
Kajii,Kojima,Ui, "Coextrema Additive Operators" (2007)
これはハーウィッツの提唱した「ハーウィッツ基準」の基礎付けを一般化する研究。
もう一本は、
Kajii,Kojima,Ui, "A Refinement of the Myerson Value"(2006)
これは、協力ゲームにおける「シャプレー値」の発展としてマイヤーソンが導入した「マイヤーソン値」を拡張する研究。
これらの論文は、梶井厚志のHPや宇井貴志のHPからダウンロードできる。
[*3] まあ、与太話ではあるが、(ブログなんだからいいよね)、ぼくが著作で経済理論を紹介すると、その理論の提唱者が受賞することが多くて、我ながら驚いている。『サイバー経済学』のときは、直後に本で紹介したアカロフとスペンスの受賞になった。また、『確率的発想法』で紹介したオーマンもすぐ後受賞になっている。昨年は、『使える!確率的思考』でのフェルプスが的中。そして今年はマイヤーソン、というわけ。宇沢師匠のことも毎度毎度書いてるんだがなあ。予言力が届かなくて無念。
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