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小島寛之の「環境と経済と幸福の関係」

数学エッセイストでもある経済学者が、経済学の視点から、環境問題、そして人の幸福 について考える。

チケ取りの経済学

2007年8月14日

先日、BS放送でストレイテナーというバンドの幕張メッセでのライブを観ていたら、その中のインタビューでアーティストが、「観たい人がチケットを取れるようにこの会場を選んだ」というようなニュアンスのことをいっていた。なるほど、そうだったのか、ぼくは思わずうなってしまった。なぜなら、ぼくがこのライブに行かなかったのは、他ならぬ幕張メッセだったからである。ぼくは、このバンドのファンだし、いつもはなかなか手に入らないチケットがこの回は手に入りそうなことは知っていたのだが、結局、行こうとは思わなかった。なぜなら、そこが幕張メッセだからだ。

ストレイテナーは、Mステ出演の際、「今最もチケットが取れないバンド」と紹介されるような破竹の勢いのJポップバンドだ。数年前までは、下北沢シェルターとか渋谷クアトロなどの小さい小屋で演奏していたのだから、そのブレイクぶりは目を見張るものがある。

ぼくは別に、こういう小さい小屋で観ることにこだわっているわけではなく、近場(東京都内)でやってくれるなら、武道館でも東京ドームでもホイホイと出かけていく。でも、幕張となると根性が出ない。もう、そんな年だよ、と自分にいいわけする。たぶん彼らは、そういう「根性のないファン」が少なからず存在していることを知っていて、「本当に観たい人」全員にチケットが渡るようにわざと幕張を選んだ、そういうことなのだろう。そして、ぼくは彼らにまんまとふるい落とされたわけだ。

ライブチケットの売買には、教科書的な「需要と供給の法則」は当てはまらない。その法則とは、「取引は需要と供給がつりあうところで成立し、そのとき、その価格で買いたいという人はもれなく買うことができる」というものである。しかしライブチケットの場合、その価格で買いたい多くのファンが入手できない状態になる。では、もうちょっと専門的な「独占の経済学」がフィットするか、というとそれも違う。独占とは、過小供給の戦略によって価格をつり上げ需要と供給のつりあいよりも大きな利潤を得ることだが、ライブチケットの場合、価格をつりあげるどころか、むしろ反対に安い水準に抑えて、超過需要を生み出すのである。

なぜ、アーティストは(あるいはプロモーターは)、価格機構を使わないのだろうか。

以下は、ぼくの憶測にすぎないが、価格機構を働かせると「本当に欲しい人」にチケットが渡らないからだろう。ミクロ経済学では、「より欲しい」という性向は価格に顕示される、と論じる。つまり、「本当に欲しい人は高くても買う」ということだ。それはそうなんだけれども、厳密には、もうちょっと考えるべきことがある。それは資産(所得といってもいい)の存在である。「その財を欲する気持ちの強さ」がどの程度価格に反映するか、ということは、資産の違いにも大きな影響を受けるはずだ。例えば、資産を十分に持っている大人にとっては、チケットの価格が数倍になってもなんてことないが、少年少女にとってそれはとても手の届かない価格を意味してしまうだろう。つまり、もしも価格調整によってチケットが販売されたら、すごく欲しているが資産をもたない少年少女にではなく、そんなに欲しかないが資産を十分に持っている大人がチケットをゲットすることとなるだろう。

これは、ファンだけでなく、アーティスト側にとっても避けたい結果なのだ。ライブというのは、音楽CDの販売にも直結するものであり、また、長期的にファンでいてもらうためにも重要なイベントだからである。もっというなら、「そんなに欲していない人」がライブに多く来ることは、ライブの質にも影響する。非常に昔の話だが、マイケル・ジャクソンが人気絶頂だった頃、日本公演のチケットの最前ブロック分をどこかの企業が商品の抽選景品にしたことがあった。このときのライブは、最前ブロックのリスナーの態度が悪く、どっちらけなものとなり、アーティストにも他の観客にも不愉快な気分を与える顛末となったのだった。

このように、価格機構が「需要の強さ」をきちんと反映しないような財については、価格とは異なる購入者選別の方法が取られるのが一般的だ。これを、経済学者・林敏彦は「疑似価格機構」と呼んでいる[*1]。

典型的なのは医療だ。医療は、本当にそれを必要とする人を、価格ではなく「待ち時間」であぶりだす。なぜなら、軽い鼻風邪の治療を高価な代金で買う人のせいで、重い病気の治療が後回しになってはならないからである。医療における「疑似価格機構」は「待ち時間」というわけなのだ。この観点でいうなら、チケット販売の「疑似価格機構」は、「チケ取りの電話をつなげる時間と努力」や「当日券に並ぶ体力」や、そして、「ちょっと遠くて条件のよくない会場に出向く気合い」などだろう。

ここからはぼく個人のチケ取りの思い出話になるので、興味がない人は読まなくていい。

ぼくがチケ取りに奔走したことは、何回かある。

最初は、キングクリムゾンの初来日の浅草公演の4日全日程を手に入れたとき。このときは、毎晩、朝刊が来るまで起きていて、コンサート欄に広告があるかどうかをチェックしてから寝る、という生活を繰り返した。広告を確認したときは、そのままプロモーターの事務所まで始発電車で行って、整理券を入手したのである。

U2の二度目の来日のときも同じ手を使ったが、このときは、アーティストに何か問題が発生していたとかで、なかなか新聞広告がなされなかった。長い昼夜逆転の生活で疲弊したぼくは、チケットゲット後に倒れて入院するはめとなった。

野田秀樹率いる劇団「夢の遊眠社」の解散公演「ゼンダ城の虜」のときは、すでに2回行ったにもかかわらずどうしても千秋楽が観たくて、当日券の電話予約に挑戦した。当時、ぴあ につなげるには自宅電話より公衆電話のほうが確率が高い、というまことしやかな噂が流布していたので、ぼくは公衆電話でアタックした。硬貨を入れては受話器を置く、ということを路上で数十回繰り返すぼくの姿は、さながら公衆電話でパチスロをやっている謎のオヤジに映ったことだろう。しかし、人目を気にする余裕はなかった。このときは運良く、チケットを手に入れることができた。

最近のJポップは、本当にチケットが手に入らない。バンプ・オブ・チキンとドラゴン・アッシュはなんとか悲願かなって先日観ることができたが、エルレガーデンは、全く手に入らないままだ。虫のいい大人のいいわけかもしれないが、「職業人としてGDPに貢献しているためにチケットを手に入れる余裕がない誠実な大人」のための疑似価格機構を誰か考案して欲しいものだ。

 
* * * * *

[*1] 林敏彦『需要と供給の世界』日本評論社

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プロフィール

1958年生まれ。帝京大学経済学部経営学科准教授。数学エッセイスト。著書に『サイバー経済学』『確率的発想法』『文系のための数学教室』『エコロジストのための経済学』などがある。

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