「ヒルベルトのホテル」と年金問題
2007年8月 7日
参院選は与党の大敗に終わった。
敗北の原因として指摘されている問題の中で、ひときわ「経済問題」なのが、いわゆる年金問題である。今回はこの年金問題について書こうと思っている。とはいっても、経済学者のぼくも、残念ながらこの問題を解決するうまい知恵は全く持ってない。それどころか、「どうしてここまでほっておいたのですか」、と末期の患者の前で嘆くドラマの中の医者のような気分である。
じゃ、いったい何を書くのか、といえば、「年金問題の数学的構造」などという、まるであさっての方向の話である。そんなわけで、過大な期待をせず、単なるエンタティメントして読んでほしい。
ヒルベルトという19世紀から20世紀に活躍した世界最高の数学者の出した喩え話にこんなのがある[*1]。
ここに、一軒のホテルがあるとせよ。このホテルが満室のところに、一人の旅行者がやってきて、どうしても宿泊したいと申し込んだ。支配人は満室です、と一度は断ったが、旅行者がごねたので、仕方なくその希望をかなえてあげることにした。宿泊者全員に今いる部屋から別の部屋に移ってもらうことで、一部屋を空室にしたのである。
どうしてそんなことが可能なのかって?
そう、部屋数が無限にあるからなのだ。1号室の客には2号室に、2号室の客には3号室に、という具合に、n号室の客には(n+1)号室に移動してもらう。すると、現在の宿泊者がみんな隣の部屋に移動することで、1号室が空き、来訪した旅行者をそこにチェックインさせたわけ。(ついでながらいうと、来訪した旅行者が一人ではなく無限人であっても全員を追加的に宿泊させることが可能だ[*2])。
これこそがまさに「無限の本性」だ、とヒルベルトはいいたかったのだ。つまり、無限とは、自分自身全体を自分の一部に収めることができる不思議な器なのである。彼はこのように無限というものを一般人にわかりやすく説明することで、当時非難を浴びていた「カントールの無限集合論」を擁護したかったのだろう[*3]。
唐突に聞こえるだろうが、「賦課方式」の年金の問題の本質は、実はこの「無限ホテル」と同じなのだ。
ここで、賦課方式(Pay As You Go)というのは、現役の勤労者の支払う年金保険料をそのままスライドしてリタイア世代への年金の支払いに転用することであり、日本の現行制度はこれである。(それに対して、過去に支払った年金保険料の積み立てによってまかなうのが、「積立方式」(Funded)である)。賦課方式の年金制度が、「ホテル無限」の構造と同じであることを明らかにするために、現実を単純化した次のようなモデルを使うことにする。
今、年金制度開始の世代を第1世代と呼ぼう。賦課方式では、この第1世代がリタイアしたあと、彼らの年金を現役の勤労者である第2世代の保険料でまかなう。第2世代がリタイアしたとき、彼らの年金をまかなうのは、第3世代の勤労者である。このことがずっとずっと「無限」に続いていくわけだ。
この単純化されたモデルの中で注目してほしいことは、第1世代が「年金保険料」を全く納めなくてよかったことだ。彼らのリタイア後の生活資金は、手品のようにどこかから現れた。しかも、その後のどの世代もぜんぜん損はしていないのだ。すべて、自分の納めた額の年金をリタイア後にちゃんと手にしている。どうして、こんなことが可能なのだろう。それは、これこそが「無限の本性」だからであり、ヒルベルトの「無限ホテル」だからである。そればかりではない。もしも人口が増加し、一人あたりの保険料が一定なら、どの世代も「納めた保険料よりも多い年金額」を得ることができる。
このことを著名な経済学者ポール・サミュエルソンは、「社会保障制度の素晴らしさは、それが年金数理的な会計上は破綻している、というまさにその点にある」と述べている[*4]。つまり、賦課方式の年金は、「決して破綻しないねずみ講」なのである。そう、人口が減少しさえしなければ・・・
もう一度繰り返すが、この年金制度の一番の魔法は、「第1世代が年金保険料を支払う必要がない」という点にある。ということは、これは第1世代にこの政策を施行させようとする強いインセンティブが生じる、ということでもある。
実際、アメリカの年金制度は、19世紀の終わりに南北戦争の北軍軍属に対する恩給として始まり、その後、社会制度化されたとのことである。当初は、積立方式を施行しようと計画していたのだが、時期がちょうど大恐慌と重なった不運のため、賦課方式にならざるを得なかった。なぜなら、業績の悪化した企業がリストラの対象としたのが高齢者であり、失業の長期化で貯蓄の尽きた高齢者には、積立保険料を支払う余力がなかったからだ。このような状況は、当然、政治的な圧力として現れるだろう。民主党も共和党も競って高齢者への手厚い保護を打ち出したのである。実際、アメリカにおける社会保障年金の受給者第1号となった女性は、100歳で死亡するまでに、総額2万3000ドルの年金を受け取り、それに対して支払った年金保険料はわずか25ドルだったそうだ。極端な例なのだろうが、第1世代の恩恵がここに端的に表れている。
もうわかっていただけたと思うが、賦課方式の年金は、ごねる旅行者に負けて「無限の魔力」の手を借りてしまったホテルの支配人の行為と全く同じ、ということなのだよ。そして、部屋数がもしも有限だったら、誰か遠くのほうの部屋の宿泊者が部屋を追い出される、という悲惨な結末が待っているのだ。
* * * * *
[*1] スタニスワフ・レムのSF小説『泰平ヨン』シリーズの一作にこれと同じ話が収められているらしいが、たぶん、オリジナルはヒルベルトだと思う。
[*2] n号室の客を2n号室に移動させれば、奇数番の部屋がすべて空室になる。
[*3] 無限集合論については、拙著『数学オリンピックにみる現代数学』が詳しい。ただし、この本は高校生向けであるとはいえ、数式を使って書いてあるきちんとした数学書だと、一応事前に断っておくからね。
[*4] タネ本は、竹森俊平『世界経済の謎〜経済学のおもしろさを学ぶ』東洋経済新報社
今回のエッセイの年金部分の記述は、すべてこの本によっている。この本は、経済学者であるぼくが読んでも相当面白いし、ずぶの素人であるつれあいもめっちゃ面白かったといっていたので、万人ウケするみごとな本である。一読を強くお勧めする。
小島寛之の「環境と経済と幸福の関係」
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