第11回 株価はなぜじわじわあがって、ドーンと落ちるのか
2007年7月31日
(小島寛之の「環境と経済と幸福の関係」第10回より続く)
このところの世界同時株安はすごいものがある。一説には、アメリカのサブプライムローン(低所得者向け住宅ローン)のこげつきが原因といわれるが、本当にこれが震源地なのかは、株の専門家ではないぼくにはわからない。
けれども、株価の乱高下についてのとても面白い経済理論の論文を見つけたので、今回はそれをタイムリーに紹介してみたいと思う[*1]。その論文は、「株価は上昇するときはじわじわ上がるのに、下落するときは急落になるのはどうしてか」ということを説明したもので、書いたのはロチェスター大学のEpsteinとNYUのSchneiderという2人の経済学者だ[*2]。
このような現象について、ぼくは実証的な裏をとったわけではないので、本当にそういう事実があるのかは知らない。でも、このところの株の値動きを見ていると、そういうふうに見えることは確かだ。どちらにせよこの論文は、「いつでもそうだよ」ということを主張するものではなく、「もしもそういう傾向があるなら、それは合理的に説明できるよ」という程度のものだと理解したほうがいいだろう。
Epstein&Schneiderのいいたいことは、要するに、「人々はネガティブな情報のほうに強く反応する」、ということなのだ。つまり、株取引にとって総合的に良いニュースにはそれほど強く反応しないが、悪いニュースに対しては激烈な反応を示しがち、ってことをいいたいわけ。株価の変化の非対称性はここから出てくる、そう彼らは主張している。
このことは、実は、難しい経済理論を持ってこなくても、かなり人間の常識的な性向だと理解して良いようである。先日、大学の同僚たちと議論していたら、心理学を専門とする同僚から、そういう実験事実が確認されているらしいことを教えてもらった。例えば、ネガティブな映像(きもちの悪い動物の映像など)を見せながら作業をさせると、人間の作業効率は目に見えて落ちるが、ポジティブな映像(ご想像におまかせする)を見せたからといって、集中力の変化はあまりないのだそうである。
まあ、これで納得してしまった人には蛇足になるかもしれないが、せっかくなので、Epstein&Schneiderによる理論的説明を見ておこう。
彼らが持ち出してきたは、「不確実性回避」という、いってみるなら「人間の認識の癖」のようなものである。エルスバーグという人が昔行った有名な実験に、次のようなものがある。ツボAにもツボBにも100個のボールが入っている。ツボAのボールは50個が赤で50個が黒とわかっているが、ツボBのほうは赤と黒だけで構成されていることしかわからないとする。このとき、あなたはどちらかのツボを選び、赤か黒かどちらかを予言して、でたらめにボールを取り出すとする。色が当たったら10ドルをもらえる。果たしてあなたはどちらのツボのどちらの色に賭けるだろうか。多くの実験によって、色については赤と黒に対等に賭けられるが、ツボについては圧倒的にツボAのほうが好まれることがわかっている。(読者はどうだったろうか)。ツボAにおいて色を当てる確率が2分の1で対等であることは明らかだが、ツボBだって、色について対等であると考えられるだろう。だって、どちらが有利という根拠がないのだから。なのにほとんど人がツボBに賭けるのをいやがる、というのだ。
これが、「不確実性回避」と呼ばれる現象である。つまり、人々は、「確率のわからない環境」を「確率がわかっている環境」より嫌うと考えられるのだ。
この現象を、「人間ってナゾだね」で済ませないで、数理的に説明しようとしたのが、SchmeidlerとGilboaという2人の経済学者である[*3]。彼らは、この「不確実性回避」というのを、「人は、確率がわからない環境に対して、複数の確率のセットを割り当てるんじゃないか」と考えたのである。例えば、さっきのツボBに対しては、「ツボBで赤を引く確率は、0.4かもしれないし、0.5かもしれないし、0.6かもしれない」と3種類の可能性を想定している、みたいな感じである。その上でSchmeidler&Gilboaは、「人間は最も悪い可能性を気にする」ものだ、と考えてみた。するとどうなるだろう。ツボBで赤に賭けると、最も都合の悪い確率0.4を気にする。また、黒に賭けると、最も都合の悪い「赤の確率が0.6」(つまり、黒の確率が0.4)が気になる。こうなると、ツボBで赤に賭けても、黒に賭けても、確率0.4が危惧されてしまう。これはツボAでどちらかに賭ける(つまり当たる確率ははっきりと0.5だね) より分が悪く思えるので、それでツボBを嫌う、と説明するわけである[*4]。
さて、Epstein&Schneiderは、このSchmeidler&Gilboaの考え方を株式市場に援用したのである。具体的には、何かのニュースによって、将来の株の収益の見通しが変化するとき、(専門的にいうなら、ベイズ更新すると)、悪いニュースに対しての変化と良いニュースに対するそれとは非対称性になってしまうことが示される。もうちょっとだけ詳しくいうと、良いニュースのときは、そのニュースの精度が低い(分散が大きい) と感じ、したがって、あまり真に受けないが、悪いニュースのときは、精度が高い(分散が小さい)と 感じて狼狽する、というわけなのだ。
さて、今回の株価急落はどうなるんだろうか。この論文の考えが事実なら、逆張りによって儲けられるかもしれない。でも、損をしたからといって、ぼくは一切関知しないことをここで宣言しておくからね。
* * * * *
[*1]前回続きを書くといってたケインズ理論の話は、マニアックすぎということで、編集者と相談の結果、没になることになった。ほんのわずかにいるであろう、続きを期待してた人には申し訳ないが、今年の秋ごろに刊行される予定の本に意地でも収録するので、そっちを待っててほしい。
[*2]論文は、 "Ambiguity, information quality and asset pricing,"(2006) forthcoming in Journal of Finance
[*3]彼らの議論の詳しいことは、拙著『確率的発想法』NHKブックスで知ることができる。
[*4]。このような考え方は、専門的には「複数信念におけるマックスミン意思決定」と呼ばれる。
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小島寛之の「環境と経済と幸福の関係」
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