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小島寛之の「環境と経済と幸福の関係」

数学エッセイストでもある経済学者が、経済学の視点から、環境問題、そして人の幸福 について考える。

第2回 「環境にやさしい」は、めぐりめぐって自分の損になる

2007年5月29日

前回は、「環境問題を解決しようとすると、それがめぐりめぐって、自分たちに不幸をもたらすかもしれない」、そういうことを書いた。今回は、それがどうしてか、経済学の立場から解説しよう。

その理由はとてもシンプルなことだ。一言でいうなら、「経済というのは、究極的には物々交換であって、自分が誰かの生産物を必要としないなら、自分の生産物も必要とされなくなる」、そういうことである。

例えば、世界にはAさんとBさんしかおらず、Aさんはバナナを生産し、Bさんはオレンジを生産し、お互いの生産物を交換して消費生活を営んでいるとしよう。ある日Aさんは、エコ意識に目覚め、Bさんが防腐剤を使っていることが気に入らなくなり、Bさんのオレンジをいらない、といい出したとする。AさんがBさんのオレンジを需要しないのだから、物々交換は行われず、BさんもAさんのバナナを手に入れることはできない。だからAさんのバナナは、Bさんに買ってもらうことはできず、Bさんに売ろうと生産した分のバナナは(自分で食べないなら)廃棄するしかない。

この寓話に対しては、読者はこう反論するかもしれない。「それはAさんがBさんの反エコ生産が気に入らないのだから、Bさんとの取引が成立しなくても仕方ない。我慢すべきだろう」と。でも、もうちょっと寓話の世界を広げると、話はそう単純ではない、とわかってくる。つまり、自分の環境配慮の帰結としての災いが思わぬところからやって来る、そういう可能性のことである。

今、世界にはAさん、Bさん、Cさんの3人しかいないとしよう。Aさんは、歌を歌うライブを販売している。Bさんは、タクシーの運転手で、Cさんはレストランを経営している。ここで、Aさんが欲しいものはBさんによるタクシー送迎で、Bさんが欲しいのはCさんのレストランでの食事、Cさんが欲しいのはAさんのライブを聴くことであると仮定しよう。

まず、一対一の物々交換では、彼ら三組の交換がうまく成立しないことに注意しておきたい。AさんはBさんのタクシー送迎を欲しがっているが、Bさんは別にAさんの歌を聴きたいとは思っていないから、物々交換には応じない。これは、BさんとCさん、CさんとAさんの関係でも同様である。このような状況を経済学では、「欲望の二重の一致」が欠如している状態、と呼ぶ。これが生じている場合、単純な物々交換では取引がうまくいかないのである。

だけど人類は、この問題を解決するうまい利器を発明した。それが「貨幣」なのである。

今、Aさんは貨幣(単なる肖像画の描かれた紙切れ)を1枚持っているとする。そして、これが重要な仮定なのだが、「誰でもこの貨幣となら商品を交換してくれる」となんだかみんなが信じている、としよう。AさんはBさんに、この貨幣とタクシー送迎との交換を申し出る。Bさんは応じるはずだ。なぜなら、自分の欲しいレストランの食事とこの貨幣が交換できることを確信しているからである。Aさんはタクシー送迎をまんまと手に入れ、Bさんはそれと交換に貨幣を所得として得ることになる。続いてBさんは、貨幣を手にCさんのレストランに向かう。そして、Cさんのレストランでの食事と交換にCさんに貨幣を渡すことになり、貨幣はCさんの所得となる。最後に、Cさんは自分の貨幣とAさんのライブとの交換を申し出る。これでCさんはライブを聴くことができ、Aさんの手元に貨幣が戻ってくることになった。結果として、全員が自分の生産物によって貨幣1枚分の所得を得て、それで購買した財を消費したわけである。

この寓話は、貨幣が社会で果たしている役割を明快に描写している。一般には、社会に「欲望の二重の一致」など全くないといっていい。(恋人同士でさえ、互いの欲望が一致してることは稀なものだ)。だけど、貨幣を使えば、物々交換はみごとに成し遂げられる。貨幣がAさんから出て、Bさんへ、Cさんへと順に手渡って、ぐるっと一周してAさんに戻ってくるだけで、あら不思議、物々交換が上手に達成されるのである。経済とは、こういう風に成り立っているものなのだ。これが理解できると、貨幣というのがいかにすごい発明かを思い知ることだろう。

さて、本題に戻ろう。

今、歌手のAさんが、エコ意識に目覚め、二酸化炭素を排出するタクシー送迎の購入をやめたとしよう。Aさんは、きっと内心こんな風に思うに違いない。「環境にやさしくした上、しかも、貨幣1枚分の節約ができた。エコロジーって、ほんとにエコノミー」。けれども、Aさんへの災いは思わぬところからやってくるのだ。そう、今まで自分の歌を毎日聴きに来てくれたCさんが、ぱったりと来てくれなくなったではないか。それによってAさんは、歌手を失業することになってしまった。ある日、道でCさんにばったり会ったAさんは、Cさんに、「最近、つれないんじゃない?」などと媚びてみると、Cさんはこう返答するのだ。「いやあ、最近、うちのレストラン、客がいなくなっちゃって」

なぜ、Cさんの店で閑古鳥が鳴いているのか、理由は簡単だ。Aさんがタクシー送迎を購入しなくなったために、Bさんの所得(貨幣のことだね) がなくなってしまった。それでBさんはCさんのレストランで食事をできなくなってしまったからだ。

このとき、Aさんは、まさか自分のエコ意識への目覚めが、Bさんの所得を減らし、それがCさんの所得を減らし、めぐりめぐって自分の所得を減らしているだろう、などとはとうてい想像がつかないだろう。そして、エコを理由に覚悟して関係を切ったBさんとの間柄ならまだしも、エコとは無関係に見えたCさんとの関係がぎくしゃくしてしまっていることに、いわれのないいらだちを抱くかもしれない。その不満は、いったいどこにはけ口を求めることになるのだろうか。

こんな風に、自分の節約に端を発する災いは、背後から、思いもかけぬ形で襲いかかってくるかもしれないのだ。それは、経済というのが世界中を網の目のようにつないでいるものだからだ。でもあなたは、そもそもの発端が自分であることに気づきもしないで、溢れ出る正義感で、どこかの仮想「悪者」に正義の鉄槌を下すかもしれない。

もちろん、この寓話に対して、次のような反論をすることも可能ではある。「Aさんが、節約した貨幣を、別のところで使えばいい」。あるいは、「Bさんが環境にやさしい職業に転職して、またAさんに購入してもらえばいい」など。もちろん、それはそうなんだけど、そんなうまい具合に行くのだろうか。

まず、最初の反論に対しては、こう考えてみて欲しい。エコ節約がAさん一人の行動なら、確かにそうかもしれない。世の中、買う商品は一杯あるから、Bさんの商品をよけて通っても、貨幣は別のルートで結局自分のもとに戻ってくるだろう。でも、世界中のたくさんの人がこれをいっぺんにやったらどうなるだろうか。あらゆる経路に、目詰まりが生じてしまって、物々交換の連鎖は止まってしまう可能性も否めない。

それから、二番目の反論に対しては、こう答えることにしたい。つまり、経済における生産での役割ってそんなに簡単に転身できないってことだ。それを専門のことばで、「可塑性(マレアビリティ)がない」という。ある生産物が「可塑的」というのは、その生産物を現在とは別の用途に転用するのに費用も時間もかからない、ということである。新古典派と呼ばれる学派の経済学では可塑性が暗黙に仮定されちゃったりしてるのだが、現実のナマの経済における生産要素(労働力も含む) は、一般には「可塑的」からはほど遠いものだろう。不要だから別の用途に転用せよといわれても、すぐにはうまく行かないのは目に見えている。とすれば、エコ意識の芽生えによる「不要業種」の別用途への転身が速いか、お金の目詰まりが連鎖して不況が襲いかかってくるのが速いか、その競争の結果は考えるまでもないのではないか。

もちろんぼくは、「だからエコなんてやめてしまえ」、などとはいわない。むしろ、願いはまるで反対で、地球温暖化はくい止めるにこしたことはないし、エネルギーは大事に使った方がいいに決まってると思っている。でも、その方針の受け入れが、「節約」という形式がもたらすであろう災いと抱き合わせでの合意でないなら、それはとても危ないことだと思うのだ。環境と経済にはある種のトレードオフ(あちらをたてればこちらがたたず)が存在している。そのトレードオフを覚悟の上で、できるなら災いへの処方箋も携えながら、ぼくらは美しい日本だか清らかな地球だかに、向かうべきなのだ。なぜなら、覚悟しなかった災いは、人々をパニックに落とし、それこそ不毛で面倒ないさかいの原因を作るのが歴史の常だからである。

さて、以上の論理は、基本的にケインズ発案の「不況の経済学」に足場を置いたものである。次回からは、この「不況の経済学」について再検討をしようかと思っている。そして、そこでも、今回解説したような「貨幣」が重要な役割をするのだ。乞うご期待。


(参考文献) 今回の議論は、主に、拙著『エコロジストのための経済学』(東洋経済新報社)を基礎にしている。もっと詳しく考えてみたい人は、この本を参照して欲しい。

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プロフィール

1958年生まれ。帝京大学経済学部経営学科准教授。数学エッセイスト。著書に『サイバー経済学』『確率的発想法』『文系のための数学教室』『エコロジストのための経済学』などがある。

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