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木暮祐一の「ケータイ開国論」

ケータイの最新情報を押さえながら、今後日本のモバイルサービスが目指すべき方向を考える。

小中学生ケータイ所持問題、報告書に異議あり

2008年6月 3日

(これまでの 木暮祐一の「ケータイ開国論」はこちら

 前回のコラムで指摘させていただいた教育再生懇談会の動向だが、結論として5月26日に「小中学生がケータイを所持しないよう保護者や学校関係者に求める」という提言を盛り込んだ形で第1次報告がまとめられた。有害情報対策のほかに、英語教育などに関しても提言が盛り込まれているが、ここでは「小中学生のケータイ所持」の議論について問題点を振り返りたい。

 報告書では、必要のない限り、小中学生がケータイを持たないよう、保護者や学校をはじめ関係者に協力を求めている。やむを得ずケータイを持つ場合は、通話機能などに限定した機種が望ましいとし、通信事業者に対して通話やGPS機能に限定した機種の開発と普及を促す、というもの。

 正直なところ、現状のケータイ利用上の問題点が明確に洗い出されていないし、実際に利用している小中学生の保護者の声が全く反映されておらず、利用者を無視した結論のように感じる。

 では実際、どれくらいの小中学生がケータイを所持しているのだろうか? 文部科学省が実施した平成19年度全国学力学習状況調査によれば、小学校6年生で3割程度、中学校3年生で7割程度がケータイを所持していることが分かっている。かなりの普及率である。すでに子どもたちにとって、ケータイは日常的なツールとなっているといえる。

 もちろん、ケータイを子どもたちに持たせるようになった経緯は家庭によりまちまちであると考えられるが、多くは学校や塾への登下校時の「安全」「安心」を目的として利用されているのである。実際に、中学生の子どもにケータイを持たす親の声(都内在住)を聞けば「塾の帰りが遅くなるので、連絡用に持たせるようになった。学校にも持って行かせたいが、最近はケータイの持ち込みが禁止となり、昼間は家に置いていかざるを得なくなった。ケータイの意味が無い」というような声がちらほらと聞こえてきた。

 確かに、子どもたちのケータイ利用で問題は少なくない。その要因は「メール」と「インターネット」だ。メールは、子どもたちの間では「即座に返答すること」が友情の証であり、返信が遅れればイジメの原因にもなりかねないという。「おやすみ」のたわいないメールから返信が繰り返され、寝不足になる生徒も後を絶たない。

 ケータイ上の「インターネット」の問題は、すでに「フィルタリング」という方法で解決策を模索しはじめている。業界一丸となり、子どもたちが「安全」「安心」にケータイを利用できるよう仕組みを考えている真っ最中に、「所持禁止」で片付けられてしまうのは、まるで寝耳に水のような話であろう。

 1999年にケータイはインターネットにつながった。筆者はこの時から「ケータイはメディアである」と説明してきた。2001年、ケータイでJavaアプリが動作するようになった。これによりケータイは「持ち歩けるコンピュータになった」といえる。こんなことは、ケータイ業界関係者は誰でもが認知していることである。しかしながら、一般のケータイユーザーに対しては、まだまだ訴求が足りないということなのだろうか。

 ケータイを「メディア」と捉えれば、そこに氾濫する情報とどう向き合い、吟味するべきかを論じていけばいい。それがフィルタリングへの取り組みの趣旨といえる。もちろんケータイサイトの中には、有益なコンテンツも山ほどある。教育再生懇談会は、こういった有益なコンテンツをも否定しようとしているわけである。

 メディアという点では、ケータイはテレビやラジオと一緒である。ならば、言い換えれば「小中学生はテレビの視聴禁止」というのと同じことになろう。また、メディアであるからこそ、そこで発信される情報は表現の自由が保障されるべきものである。業界側が自主的に小中学生向けに有害情報をフィルタリングするのならまだしも、政府主導で一方的に小中学生の利用が「禁止」されてしまうのは、ともすれば政府による情報統制とも捉えられかねない問題である。

 ケータイサイトは、一般の社会空間と同じである。有益な情報やサービスがある一方で、危険な場所や、誘惑も少なくない。しかし、一般の社会空間においては、「危険な場所に行ってはいけない」「知らない人に付いていってはいけない」と言って、子どもに指導をするであろう。ケータイサイトを使う上でも、同じように指導が必要である。これについては、通信事業者が「ケータイ教室」を展開するなど地道な努力を続けてはいるが、こんなことは本来、保護者や学校の関係者が指導・教育すべきことといえる。

 情報教育の一環として小中学校でコンピュータを学ぶ機会は増えているというが、コンピュータの操作を学ぶなら、そこにケータイの操作についても触れるべきである。ケータイはもはやコンピュータなのである。さらに言えば、インターネットへの最も身近な入り口は、もはや「コンピュータ」ではなく「ケータイ」なのだ。

 この諸問題で提言させていただきたいことをまとめれば、「ケータイをメディアとして捉える」こと、そして「利用についての教育体制を考えていく」ことに尽きる。さらに小中学生の保護者に対しては、どういう目的でケータイを所持させるのか、どういうふうに使えばいいのかを親子でよく話し合うことも重要である。上手に使えば、便利で「安心」「安全」な道具になる。使い方を誤れば、トラブルに巻き込まれないことも無いが、これは別にケータイに限ったことではないだろう。

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プロフィール

1967年東京都生まれ。携帯電話研究家、武蔵野学院大学客員教授。多数の携帯電話情報メディアの立ち上げや執筆に関わってきた。ケータイコレクターとしても名高く保有台数は1000台以上。近著に『Mobile2.0』(共著)、『電話代、払いすぎていませんか?』など。HPはこちら

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