このサイトは、2011年6月まで http://wiredvision.jp/ で公開されていたWIRED VISIONのコンテンツをアーカイブとして公開しているサイトです。

木暮祐一の「ケータイ開国論」

ケータイの最新情報を押さえながら、今後日本のモバイルサービスが目指すべき方向を考える。

無線通信機能も内蔵した、今時の心臓ペースメーカ事情

2008年11月26日

(これまでの 木暮祐一の「ケータイ開国論」はこちら

 ケータイの電磁波が「心臓ペースメーカに悪影響を与える…」と大騒ぎしていたのは、もはや“昔の話”になろうとしているのかもしれない。心臓ペースメーカの老舗であるメドトロニック社の日本法人を訪問する機会があり、最新の心臓ペースメーカの事情を伺うことができた。その技術や機能に驚かされるばかりだったので、本稿にてご報告しておこう。

現代の心臓ペースメーカは“心臓を管理するコンピュータ”だ

 メドトロニック社の歴史は古く、世界初の電池式体外型心臓ペースメーカ開発者でもあるアール・バッケン氏により1949年、米国ミネソタ州ミネアポリスで設立された。医療機器の修理請負から医療機器の販売・修理へと事業を広げ、生体工学技術を応用した数々の先端医療技術を提供している企業である。世界120以上の国々で250を超える製造施設、営業所、研究施設、教育施設等を構える国際医療機器企業で、心臓ペースメーカに関しては世界最大シェアを誇っている。

 一口に心臓ペースメーカといっても、色々ある。心臓ペースメーカは、一般的に徐脈(心拍が遅すぎる状態)の治療を目的に、心臓をモニターし患者の心拍が遅すぎる場合に電気刺激を与えることで心拍を適切な状態に調整する植込型の医療機器である。心臓(心室)を左右からほぼ同時に電気刺激して動きのバランスを取り戻し、心臓の機能や症状を改善するCRT(心臓再同期療法)や、心室頻脈や心室細動など致死的不整脈を感知し、電気刺激を送るICD(植え込み型除細動器)、さらにCRTとICD機能を備えた、CRT-Dなどもある。

 これら植込型ペースメーカは、ケータイ端末よりも二回りぐらい小さいサイズで、これを鎖骨の下部の皮下などに植込む。本体にはバッテリーが内蔵されており、心臓を刺激する電気信号を送出するというのが当初のペースメーカであったが、昨今のそれはもはや小型の“コンピュータ”と言えるほどの機能を備える。実際に心臓ペースメーカ(CRT-Dなど)は心臓の状態を常時監視しているわけである。もし不整脈を検知した場合は電気信号を心臓に送るわけだが、心調律の監視をしている訳だから、心臓に関する情報もペースメーカ内に情報として蓄積することが可能になった。

 心臓ペースメーカを装着している患者は、3〜4カ月おきに外来にて機器の状態をチェックする必要があるのだが、ここで心臓ペースメーカに蓄積された情報の読み出しも行われる。本来、この定期検査では、ペースメーカの電池電圧、リードの状態など、機器のチェックを目的とした診察を行うのものだが、同時に心臓ペースメーカに蓄積されている不整脈イベント、心不全診断情報なども読み出される。もはや、心臓ペースメーカは、“患者の心臓を中心に健康状態をモニタする電子機器”へと進化を遂げているのだ。

心臓ペースメーカに通信機能が備わると…

 この“3〜4カ月おきの外来受診”というのは、患者の命に関わる機器のチェックというわけで重要なものではあるが、当然手間もかかる。ICD、CRT-D植込患者数も年々増加し、来院する患者数も増加をたどっている。医療従事者はチェックに携わる時間が長くなる一方、現場ではスタッフの確保がますます難しい状態となっているのだ。患者も外来での待ち時間が長くなるし、またペースメーカ植込患者の高齢化も進んでおり、来院の際に付き添いが必要になるケースも出てこよう。なんとか、この「来院の手間」を改善したいと考えるのは、医療機関側も、患者側も同じことである。

 これを解決するのが「通信技術」の有効活用だ。すなわち、心臓ペースメーカに通信機能を持たせ、ペースメーカに蓄積された情報を電話回線を通じてサーバに蓄積、これに医療機関がアクセスし問題がある場合は医師から患者へフィードバックする体制を作れば、医療機関側、患者側の双方に取ってメリットがある。そもそも、心臓ペースメーカ自体が“患者の心臓を管理するコンピュータ”といえるものになっているのだから、通信機能を持たせることで面倒な通院を最小限に抑えられる。

 そして実際にメドトロニック社の心臓ペースメーカは、通信機能を備えたペースメーカと、通信を通じて遠隔で必要なデータを医療機関がモニタリングするシステムをセットにし、患者の健康を見守る「ケアリンク」というサービスを提供してきた。具体的には、植込型ペースメーカに外部接続機能を持たせ、患者は自宅で専用の通信装置に定期的にケーブル接続し、ペースメーカ内に蓄積されたデータを吸い上げ、電話回線経由でケアリンクのサーバにデータを蓄積、これを医療機関で管理できるようにしている。このサービスはすでに世界の心臓ペースメーカ利用者に提供されているのである。

さらに無線通信機能を備えて、より「安心」を実現

 このように、“コンピュータ”化し、“通信機能”までもを備えた心臓ペースメーカに、さらに“無線通信機能”が備わったものまで登場しているのだそうだ。

 前述の通り、心臓ペースメーカからデータを吸い上げ、そのデータを遠隔で送信できるサービスが提供されることで、これは医療機関にも患者にも大きなメリットを生み出した。さらに、最新のICD、CRT-Dには無線通信機能が備えられ、「蓄積されているデータを医療機関に送る」という操作までも自動化することが可能となった。すなわち、ICD、CRT-D等と専用のデータ受信装置(親機のようなもの)が近距離無線通信を行い、データのやり取りを行うのである。データ受信装置を電話回線に設置しておけば、心臓ペースメーカから吸い上げたデータを自動的にサーバに送信し、医療機関向けに情報を送出してくれるのである。

 定期的にデータを送信するタイミングをセットしておけば、自動的にその日時に無線通信機能が動作し、データを医療機関へ送出する。たとえばデータ受信装置を寝室に設置し、夜寝ている間に、自動的に通信機能を動作させデータを送出するような設定ができる。

 さらにこの無線通信機能は、定期的なデータ送信の他にも、心臓に異常が出た場合の緊急のアラートの送出も可能だという。心臓ペースメーカが常に患者の健康状態をモニタリングし、万が一の場合には医療機関へ通報を行うようなことも現実のものとなっているのだ。ちなみに、無線通信といっても、近距離の広帯域無線通信(専用のバンドがあるそうだ)なので、送信出力もごくわずかで人体の影響は無い。

 わが国では、どうも「無線通信」と「心臓ペースメーカ」が極めて相性の悪いものとして扱われている。とくにケータイの電磁波が心臓ペースメーカに「影響がある」とされ、心臓ペースメーカとケータイは22cm以上離して利用することと定められたのはすでに10年近く前のこと。その後、心臓ペースメーカも対策が講じられているし、ケータイ自体も通信方式の進化で、より電磁波の影響は少なくなった。心臓ペースメーカは定期的な交換が必要であり、仮に当時影響が出たであろう心臓ペースメーカのわずかの機種を使っていた患者も、もうほとんどが最新のペースメーカに交換されているはず。ちなみに日本メドトロニック社、副社長の大西昭郎氏は「少なくとも当社のペースメーカは過去にもケータイの影響は一切受けないので、患者さんには安心して利用していただきたい」と断言されていた。世間一般に大騒ぎするほど、心臓ペースメーカとケータイは危険な関係ではなくなってきているようだ。

 このペースメーカ自体に内蔵される無線通信機能とケータイとでは、電波の出力も周波数も全く別物ではあるが、少なくともペースメーカに無線通信機能を備えるという発想は、わが国では到底思いつかないアイデアではなかろうか。わが国ではどうしても「法規制されたものには触らない」ような習慣があり、心臓ペースメーカと無線通信が鬼門のように扱われるわが国で、こういったアイデアに目を向け、研究開発しようという芽はなかなか育たないようだ。

 ちなみに、日本メドトロニック社の最新のペースメーカでは、無線通信機能に加え、加速度センサーも備えられている。つまり走ったりするとその動きが検知され、心臓に与える電気信号のペースを早めるような機能も備えられている。加速度センサーといえば、筆者の日頃所持するケータイにも内蔵されて歩数計機能として活躍してくれているが、最近のペースメーカーにはこのようなアイデアも搭載されているのだ。

medtronic2.jpg
メドトロニック社のペースメーカの例。寝ている間に、ペースメーカが自ら通信を行い、患者の状態をレポーティングしてくれる

日本での普及はいつになるのか?

 このような画期的な無線通信機能付き心臓ペースメーカ(およびモニタリングのサービス)だが、たとえばアメリカではすでに2,000を超える医療機関等で採用され、遠隔で患者の状態を管理する「ケアリンク」利用者(有線、無線合わせて)も27万人を超えている。しかし、日本ではまだ実証実験の域を出ていない(わずか5医療機関、約200名の患者が利用しているデータがあったが、あくまで検証のためのものなのだろう メドトロニック社調査、2008年9月)。

 じつは、日本でこのようなモニタリングシステムを利用しようとした場合、「医師法」の壁にぶつかってしまう。医師法第20条には「医師は、自ら診察しないで治療をし、若しくは診断書若しくは処方せんを交付し、自ら出産に立ち会わないで出生証明書若しくは死産証書を交付し、又は自ら検案をしないで検案書を交付してはならない。」という記述がある。ようするに「診療とは対面で行うのが原則」、ということなのだ。通信技術の進展により、たとえば離島などの遠隔医療の現場で、テレビ会議システムを使った遠隔診断などが行われるケースも出てきた。しかし、現行の法律では「診療」と認められないため、診療報酬の請求もすることができず、アメリカでは一般化した遠隔での心臓ペースメーカのメンテナンスも、わが国では医療機関が敬遠せざるを得ない状況にある。

 この医師法20条については、通信技術が高度化し、擬似的な「対面」状態を作ることが可能となった現在、見直されるべき時期に来ている。少なくとも、わが国では「医師不足」によるトラブルが多発し、このところたびたび悲しい事故が報道されている。これを解消すべく、文科省が来年度の医学部入学定員を増やすという発表をしたが、これから医学部に入学する人員を増やしたところで、卒業して医師として勤務するまでに8年近くもかかる。

 それよりも、既存のテクノロジーを医療の現場に応用することで、医療現場の限られたリソースを有効活用する方法を考えたほうが、よほど現実的ではないかと考える。そのためには積極的な医療関連の法整備も必要になろうが、今から医学部定員を増やすような対策よりはよほど効果的ではないかと考える。

 そして、「ケータイは心臓ペースメーカに悪影響」というような先入観もそろそろ改め、前向きにテクノロジーとしての応用を考えていきたいものだ。たとえば、現在メドトロニック社の無線通信機能付き心臓ペースメーカは、専用の受信装置(親機のようなもの)が必要なようだが、この近距離無線の親機としての機能をケータイに持たせたら、さらに利便性は向上するだろう。ケータイを持ち歩いている限り、場所を問わずいつでも心臓の異常を知らせるアラートを医療機関に送出できるようになる。心臓ペースメーカを使う人に限らず、いつでも持ち歩かれているケータイだからこそ、所有者の健康状態や病歴などが記録でき、緊急時に活用できるようなものに昇華させることも可能であろう。(以上、筆者の思い付きであり、すでにそういう研究開発がなされているかもしれない)

 ケータイの新機能やコンテンツは次から次に登場するが、エンターテイメント機能ばかりではなく、ぜひともこのような私たちの生活に「安全」や「安心」をもたらす社会的に意義のあるサービスを増やしていってもらいたいものだ。こういう分野のサービス開発は決して「利益」がでるものではないため、取り組む企業が少ないのも事実。だからこそ、通信キャリアなど利益を上げている企業こそが社会貢献として開発や投資に積極的に取り組んでもらいたいと考えるのだが…。

フィードを登録する

前の記事

次の記事

木暮祐一の「ケータイ開国論」

プロフィール

1967年東京都生まれ。携帯電話研究家、武蔵野学院大学客員教授。多数の携帯電話情報メディアの立ち上げや執筆に関わってきた。ケータイコレクターとしても名高く保有台数は1000台以上。近著に『Mobile2.0』(共著)、『電話代、払いすぎていませんか?』など。HPはこちら

過去の記事

月間アーカイブ