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木暮祐一の「ケータイ開国論」

ケータイの最新情報を押さえながら、今後日本のモバイルサービスが目指すべき方向を考える。

小中学生の「ケータイ所持禁止」に一言

2008年5月20日

(これまでの 木暮祐一の「ケータイ開国論」はこちら

 時事通信の報道によれば、政府の教育再生懇談会が、小中学生にケータイを持たせないよう保護者らに求める提言を、今月末にまとめる1次報告に盛り込むことで一致したという。

 わが国では、こういう「悪いものには蓋をしてしまえ」という慣習が目に余る。問題が起これば「禁止」することで解決できると考えているのだろうか。そもそも、子どもたちのケータイ利用に政治までが関与してくることに納得ができない。政治家も、もっとやるべきことがあるだろうと思うのだが、まずは社会一般にウケそうなネタでお茶を濁しているということか。

 子どものケータイ利用について、確かにトラブルが生じているのは事実である。有害サイトは問題であるのだが、これに関してもすでに業界として取り組みが始まっている。政治家がつまらぬところで口を挟むよりも、まずは総務省や第三者機関に任せておけばよかろう。あるいはメールに関しても、問題は少なくない。メールの返信が遅れるとイジメにあうとか、あるいは深夜のメールのやりすぎで寝不足になり、不調を訴えて保健室に来る生徒が多いというような話も教育関係者から伺う。

 いずれにしても、問題は「ケータイの使い方」にある。ケータイをどう使えば良いのかがきちんと教育されていない現状を見直す必要があるのではなかろうか。何のためにケータイを持つのか、どういうふうに使えば良いのかを親子できちんと話し合えば済むことであろう。そこで約束を守れなければ、ケータイを取り上げるなり、利用を規制するなりすればいい。さらに学校でもしかるべき指導を行うべきなのである。現状は、そういうカリキュラムもなければ、進化が早いケータイサービスに教育関係者がついていけてない実情もある。

 ケータイそのものが悪者のように言われるが、実態は「ケータイ上で利用するインターネットサービス(メールを含む)」がトラブルの引き金となっている。ようするにインターネット利用のリテラシーを高めることが重要であるし、これこそ情報教育の基本といえよう。

 インターネットはパソコンで利用するものという概念が崩れ、今後はケータイをはじめ身近にあるあらゆるものでインターネットにアクセスが可能になろう。パソコンはそれなりに敷居が高く、パソコン自体を利用するために「利用法を学ぶ」必要があったわけだが、ケータイの場合は「ボタン1つ」でインターネットの世界に足を踏み入れることができてしまう。だからこそ、インターネット(メールを含め)の正しい利用方法の知識をきちんと教育していくことは、いっそう重要になってくる。

 そして、大人になれば、必ずケータイもインターネットも必需品となる。インターネットに危険な一面があるのは事実だが、これは子どもの成長過程のどこかできちんと知っておく必要がある。免疫が無いまま大人になるほうが、よほど心配だろう。

 実際、中学時代からケータイを利用してきた高校生と、高校に入学してからケータイを所持し始めた高校生を比較すると、後者のほうがケータイに夢中になってしまったり、トラブルに巻き込まれるケースが多いという。「小中学生のケータイ所持禁止」などという安易な対策ではトラブルは撲滅できないであろうし、むしろ進展していく情報化社会に対して逆行するような考え方だ。それよりも、子どもたちがどうケータイを使えば健全で、安全なのかという、「正しい使い方」についての議論を活性化すべきであると切に訴えたい。

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プロフィール

1967年東京都生まれ。携帯電話研究家、武蔵野学院大学客員教授。多数の携帯電話情報メディアの立ち上げや執筆に関わってきた。ケータイコレクターとしても名高く保有台数は1000台以上。近著に『Mobile2.0』(共著)、『電話代、払いすぎていませんか?』など。HPはこちら

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