産声を上げるサービスと去り行くサービス
2008年4月 1日
(これまでの 木暮祐一の「ケータイ開国論」はこちら)
3月28日、イー・モバイルが音声サービスをスタートさせたことで、いよいよ本格的に携帯電話事業者としての地位を確立し、他の3キャリアと肩を並べて事業展開を図っていくこととなった。イー・モバイルはこれまで先行してデータ通信サービスを展開し、ネットワークを安定させたところで音声サービスの提供に踏み切った。すでに既存の3キャリアが安定したネットワークを構築できている中にイー・モバイルが新規参入したところで、エリアの不満がそのままブランドイメージの失墜に成りかねないとし、まずはデータ通信サービスを先行させてきた。このやり方には大変好感が持てる。
データ通信の場合は、原則としてユーザー側から「発信」することが主となるため、「圏外」であればそれは「仕方ない」と諦めもつく。ところが音声サービスの場合はどちらかというと「電話を受けること」、すなわち「待ち受け」が重視される。このため待ち受け状態で「圏外」ばかりでは大クレームの嵐となるわけだ。
実際のところ、イー・モバイルのサービスエリアは既存キャリアには敵わないだろう。しかし、少しでもエリアを充実させようとする努力は随所に垣間見れる。音声サービスにおいては、エリアの薄い部分をカバーするために、期間を定めた上でNTTドコモとのローミング関係も締結し、ユーザーに不利益にならないよう努力しているところもその一環であろう。イー・モバイルが今後どのようなアイデアで他の通信キャリアのサービスと差別化を図り、業界を盛り上げていってくれるのか楽しみである。
さて、新規にサービスをスタートさせる通信キャリアがある一方、ひっそりとサービスを終了させ、消滅していった通信キャリアもある。ツーカーグループがそれで、3月31日をもって携帯電話サービスを終了させた。
筆者はこれまで、新規開業した携帯電話キャリアは、サービス開始日から必ず契約を締結し、使い込んできた。とくに1994年春に開業したデジタルホングループ(現在、ソフトバンクモバイル)と、ツーカーグループ(現在、KDDIの傘下)は、開業から現在に至るまで細かな動向に至るまで追いかけてきたので、個人的にも様々な思い出が多く感慨深い。
第2世代サービス(2G)の全盛期だった'90年代においては、ツーカーやデジタルホンは、NTTドコモやIDO/セルラー(共に現在のau)と互角に戦ってきた。周波数やエリア展開で不利な面もあっただろうが、100%デジタル(PDC方式)という強みを生かして、ユニークなサービスを展開してきた。とくにツーカーに関しては東名阪エリアの通信キャリアであることを逆手にとって、ハイセンスで都会的なイメージを打ち立てた(1994~1995年頃のプロモーション展開)。CMキャラクターには本木雅弘を起用(ツーカーセルラー東京)、クールなケータイブランドイメージをうまく形成してきた。端末も、1994年の新規参入時には斬新なデザインだったソニー製のTH241(関西ではTK-25)をイメージ端末として打ち出し、他のキャリアには無い特有な魅力を前面に押し出して成功してきた。
ところが、ツーカーの衰退は意外にも早く訪れてしまった。株主であった日産自動車の携帯電話事業からの撤退により、苦難を背負うこととなった。東名阪エリア以外では、デジタルホングループと歩み寄り「デジタルツーカーグループ」を形成することで全国エリアを形成していたが、日産自動車の携帯電話事業撤退によりデジタルツーカーグループの株主構成のねじれが生じ、その結果デジタルホンとデジタルツーカーは「J-PHONE」ブランドで全国統一することとなった(のちボーダフォンとなり、現在ソフトバンクモバイルとなった)。
デジタルツーカーが競合でもある「J-PHONE」ブランドとなったことで、ツーカーはその後もローミング関係を持ちながらも、全国展開したJ-PHONEに対し、ツーカーは依然として東名阪のみの通信キャリアというイメージが強まり、地位を凋落させていくこととなった。
さらに、3Gサービスに踏み出さなかったことがツーカー自体の存続断念を決定付けることになった。2Gサービスに徹することで、新規に莫大な費用をかけない代わりにユーザーに対してはリーズナブルな料金でサービス提供していこうという趣旨だった。しかし結局のところ進化の止まってしまったサービスに魅力は薄らいで行き、衰退に拍車をかけることとなってしまったようだ。
ともかくも、通信サービスの展開には巨大な資金が必要となり、またその技術革新の早さに関係者が追いついていくことがやっとという業界である。また株主の動向に揺り動かされることが多く、その背景には社会情勢や景気も大きく左右する。この20年ほど、ユーザーの立場としてほとんどのケータイサービスを使ってきたが、有益で社会にとって重要なインフラと感じる一方で、そのサービスを展開する当事者にとっては流動的なことが多く先読みしづらい業界なのだろう。
0:00を越すと、一切の発着信が不能となった。他のケータイから掛けてみても「現在使われておりません…」のトーキーが流れた。
すでに使えないのだが、0:10過ぎにはアンテナマークが振れ出し3本~0本を行ったり来たりするようになった。その後0:12ごろに「圏外」の表示のままとなった。「停波」である。開業から14年間使い続けてきたが、その間の数々の思い出が頭を過ぎった。
ケータイサービスを展開することが、いかに大変なことなのかを痛感する。ケータイはもはや生活に欠かせないインフラとして定着している。これらサービスにはある程度の競争の原理も必要で、それによって通信料金の引き下げやサービス競争が行われ、ユーザーにとってより利便性の高いサービスとなっていく。しかし、懸念すべきは競争の方向性を誤ると、業界全体が崩壊しかねない危険にさらされるようだ。'80年代からサービス提供を続けてきた2強の通信キャリアが、お互いの地位を守るために端末メーカーや販売店を抱き込んで、一見「安泰」な業界を作り出してきた。ところがいつまでも「ぬるま湯」な状態は続かない。気がつけば通信キャリアのお膝元で仕えてきた端末メーカーや販売店が悲鳴を上げだしている。抜けようにも抜けられないスパイラルに陥っているというのが現状だろう。
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木暮祐一の「ケータイ開国論」
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