このサイトは、2011年6月まで http://wiredvision.jp/ で公開されていたWIRED VISIONのコンテンツをアーカイブとして公開しているサイトです。

木暮祐一の「ケータイ開国論」

ケータイの最新情報を押さえながら、今後日本のモバイルサービスが目指すべき方向を考える。

モバイルサービスの提供側と利用者側が本音で語り合う場を

2008年2月19日

(これまでの 木暮祐一の「ケータイ開国論」はこちら

 WIRED VISIONのこの連載は「ケータイ開国論」というテーマで話を進めているので、どうしても世界と日本のケータイに対する考え方の違いや、ビジネスモデルの違いなどに言及する話題が多くなってしまう。

 日本のケータイサービスは、島国という限られたエリアで普及・発展を遂げてきたので、世界と足並みをそろえる必要性も薄かった。このような閉鎖的な環境だったので、日本の通信事業者が「垂直統合型」と呼ばれるビジネスモデルで、端末の企画・販売からコンテンツの提供までを独自に行ってきた。そのおかげで、3Gの普及率も世界トップクラスであるし、通話機能以外の便利で多様なアプリケーションサービスの恩恵にあずかっている。これはこれで大変ありがたいことである。

 ところがサービス普及期ではこのようなビジネスモデルが有効であったのだが、今や1人1台に迫るところまでケータイが普及を遂げ、ケータイ関連ビジネスの成長も頭打ちの状況となってきた。そこで、世界のサービスを参考に、日本のモバイルサービスのオープン化を目指した業界構造の見直しをしようという動きが出てきた。昨年総務省が策定した「モバイルビジネス活性化プラン」などがその代表的な動きである。

 そして、この「ケータイ開国論」も、このようなモバイル業界の動きをにらんだ上で連載が企画され、昨秋より執筆しているものである。日本のモバイル業界の将来を見据え、現状のモバイルサービスを取り巻く諸問題点を都度取り上げ、解決策やそれに伴う動き、海外の事情などを紹介してきた。

 筆者は携帯電話黎明期からサービスを利用しており、あくまでもユーザー側としての視点で執筆活動を続けてきた。良いサービスは褒めるし、疑問点は突っ込む。ときには既存通信事業者への批判に走ることもある。読まれる方によっては不快に感じさせる記事も飛び出すことがあるかもしれない。しかし、連載の企画意図がそういうことなので、関係者の皆様には寛容にお許しをいただけたら幸いである。

 また、先週掲載した「マナー」問題は、各所でさまざまな批判やお叱りもあった。とてもデリケートな問題であることは重々承知していたが、文面もだらだらと書いていたこともあり筆者の本意が十分に伝わっていなかった点もあるようだ。ここでお詫び申し上げるとともに、改めて先週の論点を整理させていただきたい。

 私が記事中で言いたかったことは次の3点。

(1)日本では、エスカレータの事例からも察するとおり、“周囲への思いやり”が優先される国である。このため車内での通話は控えることは「当たり前」として受け取られる。

(2)一方、海外(とくにアジア周辺諸国)では車内で通話をしている人を良く見かける。実際に、地下鉄のトンネルもすべてケータイの電波が行き届いている。これは、「電話を掛けてきた相手に対し、留守電に飛ばすほうがマナー違反」という、根本的な考え方の違いもある。

以上を説明させていただいた上で、

(3)私としては決して日本式の考え方を真っ向から否定するつもりでもなく、そこで解決策として、「X号車は通話もOK」というように車両によって通話も可能な、「分電」方式を提案。

 いつしか効率を優先する社会となり(これ自体にはあまり賛成していないが)、掛かってくる電話をどんな状況でも優先したいという人が少なからず居るはずだ。一方で電話はうるさいと考える人も居るであろうから、それならば「分電」という考え方があっても良いのではなかろうかと考えたのだった。これは一つの考え方として、読者の皆様にも議論を投げかけたかったのである。

 ちなみに、ご指摘いただいた内容で「電磁波は本当に安全なのか」という話題も出てきた。この話もかなり微妙な問題ではあるが、あえて私なりの考えを示させていただくとすれば、「生体影響」という観点からは「必ずしも白ではない」と思っている。ただし、これは長期的に健康影響を調査研究していくしかない。ケータイが普及し出してまだわずか10年足らず、今後の疫学的調査研究が重要になると思っている。

 残念ながら日本では、ケータイの要素技術の研究(通信技術の研究など)は各所で積極的に行われているものの、ケータイの影響(人体、社会、経済などあらゆる分野に影響を与えるものと認識している)について本格的に調査研究に取り組む研究者は少ない。筆者も一研究者として、ぜひこの「ケータイの影響」や「ケータイの応用」については積極的に取り組んで行く予定であるし、また一緒にケータイの諸問題を扱ってくださる研究者の仲間を増やしていきたいと考える。

 昨年2月、特定非営利活動法人モバイル学会(私も理事として参画している)が立ち上がったが、ぜひこのような学会を通じ、ケータイを取り巻くさまざまな問題を、研究者、市民レベルで考える場を作って行ければと考えている。このモバイル学会では毎年シンポジウムを開催しているが、本年は7月3日(木)~4日(金)の2日間、東京・江東区の(独)産業技術総合研究所 臨海副都心センター別館でシンポジウムを開催予定である。

 現在、企画セッションを含め、講演テーマを募集している。ケータイを取り巻く諸問題について、ぜひ多くのテーマでセッションを設け、関心を持たれる方々と議論できる場にしたいと考えている。「研究」というと、とても敷居が高いものに感じられるかもしれないが、この学会では「技術を提供する側と受け手の交わる場であり、学界、産業界、そして利用者が本音を語る場であり、また内外に開かれた交流の場であり、人と技術の調和を科学する場」としているように、一般の方々も含め門戸を広く開放し、交流の場を作りたいと考えている。

 わが国では、ケータイをはじめとする通信事業は、いわば通信事業者の一存で一方的にサービスが企画され(それもARPUを稼ぐためのさまざまな施策が中心だ)、そこにユーザーの意見が反映されることはほとんど無かった。ユーザーは与えられたサービスを黙って使うだけのような状態だったのである。世界では、もう少し市民レベルでケータイの利用について議論がなされ、これがサービス提供側に伝えられる術があったのだが。

 わが国でも、ユーザーの声を少しでも業界側に届けるための仕組みづくりをしたいとつねづね考えてきたが、モバイル学会はそういう役目を担えるのではないかと期待している。この学会の企画セッションについてご提案などあれば、ぜひとも筆者までお気軽に連絡をいただきたい。

フィードを登録する

前の記事

次の記事

木暮祐一の「ケータイ開国論」

プロフィール

1967年東京都生まれ。携帯電話研究家、武蔵野学院大学客員教授。多数の携帯電話情報メディアの立ち上げや執筆に関わってきた。ケータイコレクターとしても名高く保有台数は1000台以上。近著に『Mobile2.0』(共著)、『電話代、払いすぎていませんか?』など。HPはこちら

過去の記事

月間アーカイブ