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木暮祐一の「ケータイ開国論」

ケータイの最新情報を押さえながら、今後日本のモバイルサービスが目指すべき方向を考える。

ケータイの車内利用について考える

2008年2月12日

(これまでの 木暮祐一の「ケータイ開国論」はこちら

 「礼儀正しさ」「謙虚さ」「思いやりの気持ち」が日本人の美徳とされてきたが、気付けば周囲が「マナー」という名の下で制約のオンパレードとなり、やや息苦しさを感じることもある。

 たとえば、エスカレータに乗るときに片側を空ける習慣はいつのまにか「常識」になってしまった。エスカレータを歩くことは本来危険であるし、片側を空けるほうが昇降客をさばく効率が悪い。また踊り場も律儀に行列を成して大混雑である。こんな乗り方をしているのは日本ぐらいだろう、外国から日本を訪れた人がまず驚くのがこのエスカレータの乗り方だそうだ。

 同様に疑問を持つ日本特有の習慣に、「ケータイの車内利用」がある。日本では、鉄道車両における車内ルールとして、「優先席付近では電源OFF、その他ではマナーモードで通話はNG」ということで全国統一されるようになった。確か2003年秋に、各鉄道会社でまちまちだった車内ルールを、当時の京王電鉄が採用していた方式に統一したと記憶している。

 こういうルールがあるので、電車車内で通話をしている人を見かけると目くじらを立てて怒っている人が居たりする。乗車中の人から電話をかけるような使い方は感心しないが、かかってきた電話にやむを得ず出るのは仕方ないのではないかと思うこともある。その1本の電話が、その人にとってどれほど重要な用件なのかは、本人でなければわからないだろう。

 心臓ペースメーカー云々という言われもあるのだが、確か10年以上前に、不要電波問題対策協議会がその影響についてきちんとした報告書を出していたはずである。私のあいまいな記憶で恐縮だが、確かその報告書では、心臓ペースメーカーに対してショルダーホン、携帯電話、PHSなどでin vitroにて電波の影響を調べていた。数百あった心臓ペースメーカーのうち、数機種で「ノイズなどの影響が出た」という結果だったと思う。ノイズが出たという距離は8センチ以内。この結果を元に、すべてのケータイの取説にも書いてある「心臓ペースメーカー等から22cm以上離して利用してください」という規定ができたのである(影響が出た距離の3倍を取って22cmとした)。

 「影響が出た」といっても、心臓ペースメーカーが止まったということではない。ラジオのスピーカー近くでケータイを使うとノイズが聞こえることがあると思うが、これと同じような現象だろう。また本当に「ケータイが心臓ペースメーカーに重大な影響を及ぼす」としたら、「ケータイが原因で人命が奪われた…」というような報道があってもおかしくない。最もマスコミが食いつきそうなネタだと思うのだが、そのような報道はまだ聞いたことがない。

 ちなみに、諸外国では車内で通話をしているシーンをよく見かける。とくに中国、香港、韓国などのアジア圏ではなおさらだ。その様子を「マナーが悪い」とは片付けられないのである。たとえば、日本で電車乗車中の電話がかかってきた場合、車内で通話ができないのが基本なので、留守番電話に飛ばしてしまうことが多いだろう。一方で中国では「かかってきた電話に出ないほうがマナー違反」なのである。相手がわざわざ自分に電話をかけてきているのに、それを留守番電話に飛ばすなど何事か、という考え方だ。確かに、こちらも理にかなっているような気がする。

 私の知る限り、中国、香港、韓国、シンガポールの地下鉄は、トンネル内もすべてケータイが利用できた。これはとても便利である。ケータイでメールやウェブをやるにしても、電波が途切れないのでスムーズに利用できる。また、知人と連絡を取るのに電話を待っている際でも、安心して地下鉄に乗れる。いつでも連絡が取れる状態にある、というのはケータイ利用で最も重要なことだと考えるのである。


香港の地下鉄車内の様子。見回せばかなりの人が通話している。とくにこれを咎める人もいないし、これが「当たり前」と思えば、何ら不快に思うことも無い。


 日本では、ご存知の通り地下鉄トンネル内はケータイの電波が入らない。これを承知していて、トンネル間で必死にメール文を作成、電車が駅に差しかかって電波が入り始めたらすかさず送信ボタンをプッシュ、さらにメールの新着チェックをする、みたいな使い方をしている人がどれほど多いことだろう。なんだかとてもせわしい。

 また先日、地下鉄丸ノ内線で停電が発生し、長時間トンネル内で乗客が閉じ込められたトラブルがあった。電波の入らない地下空間に閉じ込められ、外界に連絡ができない体験をされた方はどんな気持ちだったろう。

 ようするに、地下鉄のトンネル内も、電波が入ればもっと便利だし、万が一の際にも連絡手段を確保できると思うのである。では、なぜトンネル内まで電波を引き込まないのだろうか? 技術的に難しいのだろうか?

 日本でも、やってできないことはなさそうだ。じつは、福岡市営地下鉄ではトンネル内もケータイの電波が通じている。この福岡市営地下鉄でも「優先席付近では電源OFF、その他ではマナーモードで通話はNG」というルールを徹底しているので、地元でもトンネル内まで電波が入ることを知っている人は少ないらしい。どうも2003年ごろから電波が入るようになったらしいのだが、車内ルールを呼びかける手前、トンネル内まで電波が入るということは、交通局側も正式に告知していないそうである。ただし、前述の丸ノ内線のごとく、万が一事故、故障で車両がトンネル内に立ち往生した際の非常時などに、顧客に役立つインフラになると考えているようだ。


本来通話はNGなので微妙な写真ではあるが…。「時報」に発信し、福岡市営地下鉄の通信状態を確認。福岡空港~天神間を乗車したが、もちろん一度も音声が途切れることは無かった。隣では知人M氏が全キャリアのアンテナ状態をチェック。

 この福岡市営地下鉄のトンネル内で使えるのはNTTドコモのFOMAと、ソフトバンクモバイルの3G。また一部区間でムーバが使えるところもあるらしい。地下鉄駅構内では、もちろん全方式のケータイが利用可能である。

 トンネル内でケータイを使えるように無線設備を設置するのは、通信事業者の負担となる(一元的に管理する財団法人を通じてのアンテナ設置となる)。ということは、NTTドコモ、ソフトバンクモバイルは、本来ARPUが期待できない地下鉄トンネル内にも設備投資を行ったということである。

 NTTドコモ九州によれば、「あらゆる場所で携帯電話が使える環境を作るのが、私たちの仕事ですから」というような方針を語ってくれた。これは素晴らしいではないか。先週熊本の山峡にある町に出張したが、たまたま宿泊先は山間部の温泉宿となった。ここで使えたケータイもFOMAのみだった。最近は、まるでサービスプロバイダーのごとくコンテンツやアプリケーションを売りにしてユーザーを惑わす通信事業者もある中で、通信事業の基本路線をきちんと貫こうというのである。電波が入らなければケータイはただの電子手帳である。こういう地道な努力は大いに評価したい。

 それよりも、いつか、鉄道車両でケータイが利用できるような形でマナーの見直しが行われることを期待したと思っている。「優先席付近では電源OFF、その他ではマナーモードで通話はNG」という現在のルールは、場所によってメール等の利用を認めるということではそれなりに画期的だった(当時は鉄道会社によっては完全NGのところもあったので)。さらに「X号車は通話もOK」というようなルール緩和があればさらに便利になるのではなかろうか。本当に重要な電話を待っている人はその車両に乗ればいいし、ケータイがうるさいと思う人は別の車両に乗ればいい。これが実現したときには、福岡市営地下鉄やNTTドコモ九州、ソフトバンクモバイル福岡支社の先行投資も日の目を浴びるであろう。

 世界のケータイユーザーは「かかってくる電話ほど重要なものはない」と考えている。日本が国際社会と付き合っていくためには「電車に乗っているのであとでおかけ直しください」はいつまでも通用しなくなると思うのだが、読者の皆様はいかがお考えだろう?

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プロフィール

1967年東京都生まれ。携帯電話研究家、武蔵野学院大学客員教授。多数の携帯電話情報メディアの立ち上げや執筆に関わってきた。ケータイコレクターとしても名高く保有台数は1000台以上。近著に『Mobile2.0』(共著)、『電話代、払いすぎていませんか?』など。HPはこちら

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