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木暮祐一の「ケータイ開国論」

ケータイの最新情報を押さえながら、今後日本のモバイルサービスが目指すべき方向を考える。

モバイルネットワークの生活インフラ化へ期待

2007年12月25日

(これまでの 木暮祐一の「ケータイ開国論」はこちら

 気付けば年の瀬、本年のこのコラム記事掲載は本日が最後となるそうだ。
 「ケータイ開国論」と題したこのコラムは、ともすれば既存ケータイキャリアへの愚痴も多くなってしまい、読者に皆様には読み苦しい内容もあったかもしれない。しかしこれは、もはや私たちの生活に無くてはならないアイテムとなった「ケータイ」に対して、ユーザー視点で正しい方向への発展に期待を込めてのことである。お許しいただけたら幸いである。

 さて、私は先週末、講演のために大分を訪問した。地方都市に出向くことが多いが、この大分ではブロードバンドネットワークの充実ぶりに驚かされた。大分県では行政主導で通信インフラの整備に積極的であり、地方自治体と民間企業が手を取り合い、基幹となるインフラを構築し利用を促進させてきた。その一例として、NTT網を利用した商用ADSLにおいて日本で一番最初にサービス提供を開始したのは大分県である。1999年12月に、地元プロバイダーのコアラがサービス提供を開始している。ちなみに大分に続いて2番目にサービス提供開始したのが東京めたりっくで、翌2000年1月のことである。

 現在、大分県内の主要都市間には光ファイバーがしっかりと整備されており、その恩恵を受けて県内の主要都市・観光地にあるほぼすべてのホテル等でブロードバンドが使える。たとえば別府温泉のどうみても古そうな和風旅館でも、LANが使えたり、あるいは無料で使えるインターネットパソコンなどが完備されていたりする。宿泊施設に限らず、公共の場で無料で使えるPCなどを多数見かける。おそらくインターネットカフェは商売にならない地域だろう。

 このように「公共のインフラ」としてのネットワーク拡充を地域ぐるみで取り組んできた大分県だが、ケータイのネットワーク拡充ではやや苦労しているようだ。起伏の激しい山々が複雑に連なる地形が災いして、ケータイの不感エリアが多い。集落が分散してしまっているので、ある程度の町村ならばケータイは使えても、山間部では「圏外」となってしまう。大分県としても、緊急時の通信インフラとしてケータイを重要視しており、なんとか不感エリア対策を講じたいところだという。

 各通信キャリアが公表している「人口カバー率」は、限りなく100%に近い。この「100%」という数値を聞くと、まるで日本中くまなく通信エリアを充実させているようにみえる。ところが、実際にケータイを使えば分かるとおり、「圏外」となってしまうエリアはまだまだ多い。エリアマップを見ても、主要都市部はエリアとして色が塗られていても、山間部は電波の届かない色の塗られていないエリアが多いことに気付くはず。

 この人口カバー率というのがクセモノで、各市町村単位で、市町村役場を通信エリアにできれば、その市町村の人口は100%利用可能とカウントされる。これの積み重ねで人口カバー率を算出しているので、実態は全国の市町村役場だけ通信エリアにしてしまえば、数字上の「人口カバー率」はごまかせるわけだ。

 昨今の企業活動は、もっぱら数字を達成することばかりに力を注ぐことが目に余る。最小限の手間で最大限の利益を出すための工夫が徹底され、数字目標達成のためだけに邁進していくことになる。営利を目的とするのだから当然といえば当然だが、一攫千金のビジネスならともかく、企業活動を継続していくには顧客との信頼関係を築いていくことが重要である。「企業哲学」とでもいえばよいのか、見かけ上の数字よりも大切なものを多くの企業が忘れてしまっているように感じる。

 とくに通信事業に関しては、公共インフラを整備していくという使命を背負って事業展開すべきと思うのだが、とくにケータイなどの移動体通信系のキャリアにはどうもそういう志を感じなくなってきた。大分県での実情を聞く限り、「基地局を建てて、それを維持するだけの人口が無いエリアでは、どのキャリアにお願いしたところでエリア拡充を図ってはくれない」との声を多数耳にした。

 地方の、それも山間部や離島などは、あらゆるインフラが整備された都心部とは状況が全く異なる。万が一災害などの緊急事態が発生した際に、取り残されたり、隔離されてしまう可能性が高い。へき地の医療などにおいても、通信さえ通じれば、救われる命も増えるかもしれない。通信インフラとは、そういう万が一の事態に備え、整備されていくべきものであろう。

 もともと国が保有し整備を続けてきた通信インフラが、民営化されNTTとなり、そしてNCCの参入によって「営利」を追求した競争に発展してきた。それによって通信料金が大きく引き下げられ、サービスが充実してきたことは認めよう。ところが、通信事業者にとって「儲からない」部分には、ますます十分な投資が行われなくなってきたように感じてしまうのだ。

 今さら通信事業を国策事業に戻せとは考えないが、事業免許を与えられた通信キャリアに対しては、その使命感をもう一度改めて問うてみたい。人が人と言葉を交わすのは最も基本的なコミュニケーションだ。この基本的なコミュニケーションが「通信」の登場により離れた場所でも可能になった。現在、通信を利用するのにすべての国民が通信料を払っているわけだが、この「人として」最も基本的といえるコミュニケーションを司るインフラを民間企業が独占し、しかも利潤追求を目的とした事業展開を進めていくことには疑問を感じることが多い。

 今年もケータイ業界は色々な動きがあったが、なかでも通信キャリア主導の垂直統合モデルを改める第一歩として販売奨励金見直しが着手された。これに続き来年以降、ケータイ業界は大きく変わっていこうとしている。ぜひとも、ユーザーにとって健全なサービス展開が図られ、そして最終的にユーザーの生活を支える大切なインフラとしてケータイサービスが進展していくことに大いに期待を込めたい。
 読者の皆様、本年は当コラムをご愛読いただき感謝いたします。

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プロフィール

1967年東京都生まれ。携帯電話研究家、武蔵野学院大学客員教授。多数の携帯電話情報メディアの立ち上げや執筆に関わってきた。ケータイコレクターとしても名高く保有台数は1000台以上。近著に『Mobile2.0』(共著)、『電話代、払いすぎていませんか?』など。HPはこちら

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