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石井孝明の「温暖化とケイザイをめぐって」

温暖化問題と切り離せない経済。「お金」と温暖化の関係を追う。

「温暖化より貧困への対策を」は正しい主張か? 〜 問題解決の優先順位を探る

2008年10月16日

(これまでの 石井孝明の「温暖化とケイザイをめぐって」はこちら

貧困、疫病、災害などの問題よりも、温暖化は重要ではない。その対策は後回しにするべきだ——。世間でよく目にする、この考えは適切なものなのでしょうか。

「温暖化対策の重要度は低い」のか?

2004年からデンマークの統計学者であるビョルン・ロンボルグ氏が中心となり、世界の経済学者を集めて地球規模の問題の解決を提案する会議が開かれています。そして「コペンハーゲン・コンセンサス」という声明を毎年発表しています。

ロンボルグ氏はこのコラムでも紹介した温暖化・環境問題についてのオピニオンリーダーです。「温暖化対策をめぐる経済的な合理性を考えよう」と彼は主張しており、その考えに私は基本的に共感しています。

この会議の2008年の声明では、30の世界規模の課題を列挙し、その優先順位を発表しています。そこでは子供に対する栄養の提供、自由貿易の推進、マラリアやエイズなどの疫病の防止が、行うべき対策の上位でした。そして、低炭素技術の開発は14位、温室効果ガスの削減は30位という結果になりました。

「温暖化問題の重要度は低い」という結論は、さまざまな場所で引用されています。しかし、この序列化や問題の設定には戸惑いを感じます。

「するかしないか」の二者択一ではない

どんな問題の解決でも、時間や労力、資金は限られるために「優先順位」を考えなければなりません。しかし、それは簡単に決まるものでしょうか。

「コペンハーゲン・コンセンサス」で考察の対象になった世界規模の問題は、それぞれ原因も影響も違います。そして時間のスケールや取り返しのつかない程度(不可逆性)は、それぞれの問題でまったく異なります。同じ条件で論じ尽くし、ランキングを作れるほど単純なものではありません。

そして、温暖化対策は、大気汚染や貧困の解消など別の問題の解決策とも重なりあいます。単純に「これをしては、あれができない」という二者択一の問題ではないのです。

「貧困か温暖化か」という問題の設定は無意味に思えます。両方とも非常に大事です。そして、状況の応じる限り、問題の解決を同時に行うように、私たちは努力をするべきです。

女性の家事の苦しみを解決する

一つの例を考えてみたいと思います。開発途上国の女性と家事の問題です。私は大学生のころに、休暇ごとに世界を放浪しました。そしてネパールで電気、水道のない場所の多いヒマラヤ山脈をトレッキングしたことがあります。そこでは、チベット系のシェルパ族が暮らしていました。

そこでは、かまどでたきぎを燃やし、その火による煙の中で女性たちが家事をしていました。そして、多くの女性が背の乳飲み子をあやしていました。観光客がお金を落とすのでシェルパ族はネパールの中ではやや富裕な集団ですが、それでも女性の負担と子供たちの健康への心配を感じました。

世界銀行副総裁を務めた経済学者の西水美恵子さんによれば、私が垣間見たような家事の負担によって、途上国の女性と子供の生命が危機に直面しています。(注1)

▼世界で年間200万人の女子供の死に、かまどの煙が影響している。
▼インドでは、母親の背で煙にさらされる幼児の急性呼吸器官炎症や伝染病の感染率が通常の6倍にもなる。
▼たきぎ集めや水汲みの重労働に女性が1日平均6時間を費やすインドの農村地帯では、流産の率が3割にもなる。
▼煙たい台所に入り浸る妊婦の死産率は、通常の倍の高さになる。

ところが、少しの援助で大きく変わるそうです。
▽無煙かまどを備えるだけで、毎日1人あたり5000円から1万円の医療費が節約される。
▽電気を引けば、その倍の1〜2万円の節約になる。
▽電気を引くだけで、5歳以下の幼児死亡率が半減する。

開発途上国での電気と飲み水の普及は世界銀行の重要な開発プロジェクトになりました。世銀の女性職員が生活者の視点から、途上国の女性たちの家事を調べ、事業のアイデアを出したそうです。

電力の供給は送配電網を必要とします。そのために、先進国で発電コストが高いとされる太陽光・風力発電などが、途上国の場所によっては安上がりな発電手段になることもあります。中国とインドは、自然エネルギーによる発電の増加を国家プロジェクトにしています。温暖化と貧困、衛生、大気汚染への対策が一体となって、少しずつ状況が改善しています。

先進国のコペンハーゲンで経済学者たちが机の前で考えたものとは違う「解決策」が、開発途上国の現場から生まれていたのです。もちろんロンボルグ氏も、経済学者らも、善意に基づいて貧困問題の解決を真面目に考えているのでしょう。ですが、「コンセンサス」では単純すぎるメッセージを送っているように思えます。

温暖化対策とその他の問題の解決の両立を「できない」とあきらめるよりも、日常の中でできることを少しでも考え、行動に移す態度が必要ではないでしょうか。小さな取り組みの集積が、地球規模の多くの問題を改善していくことを信じたいと思います。

最後にアメリカの政治家ロバート・ケネディが残した言葉を紹介します。「今ある現実に『なぜ』というより、まだ見えない理想に『いつか必ず』と言おう」。

注1・電気新聞2008年.9月19日号の西水さんのコラム「時評」から、以下の数字は引用しました。

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プロフィール

石井孝明(いしい・たかあき)

経済・環境ジャーナリスト。1971年生まれ。時事通信社、経済誌フィナンシャル ジャパンの記者を経てフリーランス。著書に『京都議定書は実現できるのか〜CO2規制社会のゆくえ』など。ご意見・ご感想はこちらまで。