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石井孝明の「温暖化とケイザイをめぐって」

温暖化問題と切り離せない経済。「お金」と温暖化の関係を追う。

皆さん、行儀がよすぎませんか? 〜 温暖化をめぐって企業人の「本音」が聞きたい

2008年11月20日

(これまでの 石井孝明の「温暖化とケイザイをめぐって」はこちら

「きれいごと」だらけのビジネス界の議論

「政府の理不尽な主張と戦い、世論に自分たちの正しさを主張しなかったのですか」。ある財界人に、温暖化問題をめぐってこう尋ねたことがあります。すると、「戦えない」という答えが返ってきました。

先進国の温室効果ガスの削減義務を定めた京都議定書の取り決めの結果、世界最高水準のエネルギー効率を持つ日本の産業界はかなりの負担を背負っています。1997年の議定書の採択から現在まで、エネルギー、素材産業の関係者は、誰もが激しく政府と議定書を批判しています。その財界人は冒頭の質問に「世論が怖かったから、何も言えなかった。『反環境』のレッテルが嫌だった」と答えたのです。

日本の企業は400万社もあるわけですから、温暖化・環境政策の受け止め方はさまざまなものであるはずです。それなのに、企業が外に出す情報は「私たちはこんないいことをしています」というPRしかなく、そして記者会見やテレビカメラの前で経営者は揃って「環境のために私たちは頑張ります」という言葉を話します。企業発の情報が「広告」と「きれいごと」ばかりで、本音と建て前の乖離が著しいのです。

「本音を話せばいいのに」。こんな感想を抱きます。

議論を巻き起こすアメリカ、沈黙する日本

1997年の京都議定書の採択当時のアメリカの世論の動向を調べるために、代表的新聞ニューヨーク・タイムスと、経済紙ウォール・ストリート・ジャーナルの過去記事を読んだことがあります。両紙とも社説ではゴア副大統領(当時)が主導して策定した京都議定書の支持を表明していました。しかし、紙面の記事は賛否両論が並んでいました。アメリカの新聞は、日本のそれとは違って記者の意見を織り込むことが認められているのです。

そこでは、賛成・反対の研究者や政治家やビジネスリーダーが意見を述べ合い、規制によって損する石油業界や電力会社が堂々と、「京都議定書反対!」の意見広告を出していました。ちなみに、アメリカのエネルギー業界は、最近、方針を転換し「環境を守るため、自らのビジネスのため、規制を歓迎する。ただし意見は言わせてもらう」という方向に主張を変えています。

アメリカ社会の意思決定の在り方は新聞を読むだけで見えました。個人が意見をぶつけ合い、利害得失を徹底的に議論するのです。その議論の中心は、直接の利害関係を受けるビジネス界でした。単純な対比をしたくはありませんが、日本では産業界は、冒頭の例のように、この問題で「委縮」しています。

このコラムで繰り返し述べているように、日本の温暖化・環境問題で改善しなければならない点の一つは、「決めるべき事柄」を決めないまま、「きれいごと」ばかり語られるという点です。その結果、損得という利害関係の絡む「誰が温暖化のコストを負担するのか」という根本問題が、いまだに明確に解決されていません。この理由は、ビジネス界の人々が「声を上げない」ことが一因にあると思います。

あいまいな「世論」への不思議な警戒

「人を動かすのは恐怖か利益しかない」。ヨーロッパを戦乱に巻き込んだナポレオンは、このように述べたそうです。冷酷な発想ですが、確かに「理性」だけで人は動きません。だとしたら、「利益」と絡み、合理性が通じる余地のあるビジネスからの発想は、「恐怖」に支配されて物事が動くよりもよい結果を生むでしょう。「地球が滅亡する」などの極端な恐怖が主張されがちな温暖化問題で、力のあるビジネスの意見が、影響度を増すべきです。

もちろんビジネス界でも、責任のある立場の人は軽々しく発言や行動することはできません。また、外への発言と、実際の行動が矛盾しない企業が大半でしょう。ですが、どうも日本のビジネス界から、温暖化・環境問題で出てくる意見は「広告」と「きれいごと」ばかり。そして世論と、その伝達手段であるメディアを過度に気にしています。

経済記者の立場から見ると、「委縮しすぎである」と思えます。

世論が過熱し、社会全体がある個人や企業を攻撃する「バッシング」が頻繁に起こっています。それは一時的で、「誰が見てもおかしなことをした」場合における例外的なものです。温暖化・環境問題で本音を言っても、企業が悪影響を受けるとは思えません。まじめに日々の業務を取り組む企業へ不当な批判が起こっても、それは一時的なものでしょう。

「思考する世論」は日本社会の中に確実に存在します。多くの人々は、情報を道具として受け止め、それを吟味しながら、自らの意見を作り上げています。私は活字メディアで仕事をしてきましたが、「WIRED VISION」でのウェブ連載を通じ、多くの読者の皆さんとインターネットでリアルタイムの意見交換をする機会に恵まれました。自分の伝える情報の広がりを検索などで追跡すると読者の質の高さに感銘と面白さを覚えています。

本音の議論は、長い目では利益に

その体験から考えると、「メディアに付和雷同する大衆が世論を作る」というステレオタイプの見方は、どうも的外れに思えます。「思考する世論」の広がりは思ったよりも広く、社会を構成する人々の知的な力の厚さを実感しているのです。ネットでの言論活動を通じて私の日本社会への信頼感は増したのです。

企業はネットを通じて、意識の高い顧客やステークホルダー(利害関係者)と、よい関係を作りあげることが可能な時代になったと思います。こうした人々は、「建て前」や「きれいごと」は見透かします。何を考えているのか、生の本音を誰もが聞きたがるでしょう。

「もう少し本音を言いませんか」。ビジネスパーソンに、温暖化・環境問題でこう訴えたいと思います。建て前の議論を続けたゆえに、日本の産業界は自ら問題解決への道筋をあいまいにして、結局、損をしているように思えます。本音の議論は、温暖化対策や社会の変化を実りあるものにし、長い目で見れば、企業の利益にもつながるはずです。

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プロフィール

石井孝明(いしい・たかあき)

経済・環境ジャーナリスト。1971年生まれ。時事通信社、経済誌フィナンシャル ジャパンの記者を経てフリーランス。著書に『京都議定書は実現できるのか〜CO2規制社会のゆくえ』など。ご意見・ご感想はこちらまで。