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石井孝明の「温暖化とケイザイをめぐって」

温暖化問題と切り離せない経済。「お金」と温暖化の関係を追う。

最終回 新しい「ケイザイ」が「温暖化」を止めることを信じたい 〜 あせらずコツコツと

2008年11月27日

(これまでの 石井孝明の「温暖化とケイザイをめぐって」はこちら

宮沢賢治の70年前の問いかけ

「いや、きみ、そんなにあせることはない。人はできるかぎりのことはするべきである。しかし、どうしてもどうしてもできないときは、落ち着いて静かに笑っていなければならん。落ち着きたまえ」。

宮沢賢治が1930年ごろに書いた「グスコーブドリの伝記」という童話があります。イーハトーブという架空の国に住み、幼いころから冷害に悩んだグスコーブドリが、自らが犠牲になって火山を爆発させCO2を大気中に増やして大気を暖めて人々を救うという物語です。

宮沢は故郷の冷害に悩み、その対策を研究する中で、当時は最新の知識だった地球温暖化のメカニズムを知ったようです。冒頭の言葉はその作品中のもので、グスコーブドリの行動を止めようという「博士」のものです。今も世界のどこかで熱意に満ちて行動に走りだそうとする純粋な人に「大人」が話していそうな言葉です。

今進行する温暖化では、宮沢の考えたプラスの面だけでなく、マイナスの面が多く現れています。しかし彼が透徹した視線で童話に考え出したテーマ、つまり「他人の幸福をどうすれば獲得できるのか」「そのために私たちはどのような犠牲を受け入れるべきか」というテーマは、今でも温暖化問題の解決策を考えるときに現れます。

「地球や文明が終わる」というセンセーショナルな意見から、「そんなのかんけえねえ」という虚無的な意見まで、温暖化問題への向き合い方はさまざまです。「何かをしなければならない」という合意はできるものの、どれが正しいという答えはありません。

その対応は、関係する人の合意を積み重ねるという、当たり前ですが、なかなか実行されず、そして難しい営みが必要です。その話し合いでの共通の尺度として「お金」が基準になり、それを生むビジネスが、問題解決のカギになるのではないか。このように考えて、私はこのコラムを執筆してきました。

始まった「新しい経済」

利益を追求するだけの今のビジネスでは、温暖化は進む一方でしょう。豊かさと利益を私たち先進国の人間が享受しており、これから途上国の人々がそれを求める限り、この動きが止まることはないはずです。

「エネルギー使用を抑制しよう」「『もったいない』精神を発揮しよう」。抽象論が世の中にあふれます。こうした熱意を冷笑するつもりはありませんが、努力しても、どうしようもない現実があるのです。善意だけでは地球は救えません。

例えば、私たちの日本人の温室効果ガスは、エネルギー消費量に換算すると、CO2で1日6キロ程度になります。しかし無駄遣いを減らしても、せいぜい2割ほど減らす1人1日1キロがやっとでしょう。日本は世界の6%の温室効果ガスを排出していますが、6分の1減らしても年間1%のガスを減らすにすぎません。21世紀に入り、世界では毎年5%前後のペースで、CO2と温室効果ガスの排出が増えています。こうして考えると、「何をしても意味がない」というあきらめの気持ちが強くなります。

ですが温暖化がビジネスに組み込まれる動きが始まっています。「CO2を出すのは悪いこと」という価値観が広がり、人々の考えを変え、その結果として、ビジネスのルールも組み変わっています。CO2に配慮しなければ、企業は「もうからない」、ビジネスパーソン個人では「出世や利益など、仕事の満足度で損をする」という形が生まれています。そして、温暖化を止める再生可能エネルギーや技術革新、さらには農業にまで、資金が流れ込み始めています。

人々を動かす仕組みを作るのは、政治家や政府だけの仕事ではありません。私たちが日常かかわる経済活動は、私たち一人一人が主役になれます。社会と人々を大きく動かすのはビジネスです。そして、利益とお金があれば、人々を動かし、長く動く仕組みを作ることができます。

幸いなことに、気候変動は確実に起こっているものの、そのスピードはゆっくりとしたものです。その変化の先行きをはっきりとは見通せませんが、「あすに世界が滅びる」ことはありません。考える時間はまだあります。

前述の童話に戻れば、グスコーブドリの「何かをしなければならない」という気持ちは大切です。それだけで、地球は救えません。この問題では忘れられがちですが、立ち止まって考える「博士」のような意見も必要です。私たちの持つ時間とお金は限られています。世界を動かすビジネスの視点に照らしながら、私たちの利益と、温暖化を止める行動をできる限り両立させていなかなければなりません。

連載の終りに、感謝と期待を

これまで1年続いた「温暖化とケイザイをめぐって」というこの連載は、今回で最後になります。読者の皆さま、これまで読んでいただきありがとうございました。連載の機会を与えていただいた「WIRED VISION」の皆さまにも、この場を借りて感謝を申し上げます。読者の皆さまが一段とこのメディアの応援をすることを願っています。

既存の活字メディアで記者としての経歴を重ねた私にとって新しい形のWEBメディアでの連載は、試行錯誤が続きました。しかし既存メディアではない読者の皆さんとの双方向の交流がとても楽しいものとなり、予想外の反響の広がりもありました。そして皆さんから提供される、議論の質がとても高かったことにも、驚きを感じました。

この連載をきっかけに既存メディアだけではなく、ネットでの言論を読み込むようになりました。そこで思ったのは、多くの人が高い見識を持ち、情報を発信している、という点です。吉田茂元首相の「日本は『とてつもない国』。国民一人一人の力がものすごい」という言葉を孫の麻生太郎現首相はよく引用します。私は同じ感想を言論の面から、改めて持ちました。

こうした人々との交流を、既存のメディアは行っていません。余談ながら既存メディアの中には、プライドばかり高く、旧態依然として、社会的能力に疑問を持つ人が多数います。「偉い人」に日常的に取材するゆえに、自分を「偉い人」と勘違いするのでしょう。一方で、まともな人々、つまり自分らの仕事の形の長所と短所を見極め、社会に真摯に向き合い、より良い方向に自らの仕事を変えていきたいとする志の高い人々もいます。これは他の業界と同じです。

時代の変化についていけない前者の人々は論評に値しませんが、後者の人ほどメディアで苦悩している状況にあります。その影響力と収益の低下、活字離れが進行している現実に、困惑しています。そして「インターネットのせいだ」と、嘆いているのです。私はネットメディアの活動を通じて、こうした嘆きが「的外れではないか」と思うようになりました。

読者、つまり「お客さま」は質の高い情報を求め、それを受け止める見識を持っています。既存メディアは自らの力不足や提供する「商品」の質、さらには売り方の努力不足を直視せずに、ネットのせいにしています。経済記者としてさまざまな企業やビジネスパーソン個人、組織の盛衰をみてきました。「他人のせい」と言い始めた段階で、その組織も人も必ずおかしくなっていました。その道を、既存メディアはたどっているのかもしれません。

温暖化問題では、メディアの伝える情報より、国際政治も現実のビジネスも、先を進んでいます。そして既存メディアの報道は「地球が大変だ」などと、感情的に、そして悲観的なものなりがちですし、社会に伝えるべき情報が伝わっていません。

現実の社会では、温暖化問題で、自ら情報を集め、考え、解決に向けて動く人たちがいます。こうした人々が日本の中にある「思考する世論」と結びつけば低炭素社会に私たちの社会が着実に変わっていくでしょう。そして、変革を促すカギは日本の産業界が世界に誇る技術力、そしてビジネスにあります。

私は未来に楽観的です。そして、温暖化問題の行く末を決定するのは、読者の皆さん、ビジネスパーソン一人一人です。

東京大学で政治史の講座を持っていた故・岡義武教授は、太平洋戦争に出征する学生、また敗戦後の社会混乱の中で卒業する学生に向けて、学年最後の授業でフランスの作家ロマン・ロランの次の言葉を引用したそうです。ロランは、『ジャン・クリストフ』などの素晴らしい作品を残した、私の好きな作家です。

「英雄的な行為などいらない。私たちのできること、そしてするべきことは、現実を直視し、それを愛することだ」。

それでは文章を通じて読者の皆さんと、またお会いできることを楽しみにしています。

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プロフィール

石井孝明(いしい・たかあき)

経済・環境ジャーナリスト。1971年生まれ。時事通信社、経済誌フィナンシャル ジャパンの記者を経てフリーランス。著書に『京都議定書は実現できるのか〜CO2規制社会のゆくえ』など。ご意見・ご感想はこちらまで。