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石井孝明の「温暖化とケイザイをめぐって」

温暖化問題と切り離せない経済。「お金」と温暖化の関係を追う。

住み方や街づくりも「低炭素」を意識へ 〜 「コンパクト」な街の功罪

2008年11月 6日

(これまでの 石井孝明の「温暖化とケイザイをめぐって」はこちら

「車がないと生活できない」

「万巻の書を読み、万里の道を行く」。士大夫の心構えとして、中国の格言にこのような言葉があります。知識を吸収し、実地で確かめることを推奨しているのでしょう。私は旅行が趣味ですが、この言葉を知って旅をするごとに、その地域や見たものの背景を一層考えるようになりました。

日本各地を旅して感じるのは、地域ごとの交通事情の違いです。その土地の歴史、地形などで選ばれる手段が異なります。北関東、東北、北陸、北海道など、三大都市圏から離れて自立した経済圏を作っている平野部では、自家用車が交通手段として、大きな存在感を持っています。「車がないと生活できない」という話をよく聞きます。

例えば、栃木県宇都宮市は「餃子の町」と観光PRをしていますが、ここを訪ねたところ「車の町」という印象を私は受けました。車が町の規模に比べて、多かったのです。市内をめぐり、建材として知られる「大谷石」の採石場や石仏を見ました。訪れたのは休日でしたが、その移動手段がなかなか来ないバスしかなく、しかも女性や高齢者で混んでいました。自家用車を使わない、もしくは使えない人が利用していたのでしょう。

「宇都宮は車社会である」という印象は数字でも裏付けられます。環境省の資料によれば、2006年に一人当たりのCO2の排出は日本人平均で年間926キログラム、東京23区541キロ、大阪552キロなのに、宇都宮市では1292キロに達します。

栃木県は明治以降に鉄道がそれほど発達しませんでした。同県と宇都宮市は1970年代から道路整備をすることで車を使って住みやすい街づくりを進めました。団塊の世代の持ち家志向と重なって、中心部に人が住まず、郊外に町が広がる「ドーナッツ化」が進みました。

行政担当者や宇都宮市民の皆さんを批判するわけではありませんが、こうした車中心の社会は、それを使わない人には住みづらい町となります。そして、CO2の排出の多さも問題になります。

「コンパクト・シティ」の考えの登場

高齢化と温暖化が問題となる中で、「コンパクト・シティ」という考えが日本とヨーロッパで広がっています。鉄道駅のある都市の中心部に学校や役所の窓口など行政サービス機能、企業や病院、大規模商店などの重要施設を集め、その近くに人々を住まわせて、日常生活と経済活動を「歩いていける」小さな空間で行おうとする発想です。

公共交通機関を一定地域で整備し、移動の障害を取り除く「バリアフリー」を進め、町中を移動しやすくします。また職住接近によって、働く人も移動の負担が軽減され、自動車の利用も減ります。行政サービスの効率化、経費削減にもつながります。

そして、エネルギー使用の削減につながります。自家用車を使わず、路面電車、バスの利用を促進し、地域冷暖房を検討する地域があります。前述の宇都宮市は、車社会の見直しを進め、路面電車の導入、さらには公共バス網の整備を検討しています。

行政コスト削減が求められ、また温暖化対策が求められる中で、全国の市町村で「コンパクト・シティ」の考えが、唱えられるようになりました。政府も「低炭素社会を担う街づくり」を補助金などでサポートをする意向です。

見え隠れする「切り捨て」の発想

ですが、どんな物事も「いいこと」だけではありません。こうした考えは、今の日本を覆っている「効率化」に名を変えた「切り捨て」が加速しかねないのです。

「コンパクト・シティ」は、1980年代から、ヨーロッパから提唱されています。これについて10年ほど前に、自治省(現総務省)で欧米の都市計画を調査した研究者と話したことがあります。

その研究者によれば、20万から30万人ごとに自治体が置かれると行政サービス上で都合がいいとされます。それ以上人口が増えると管理が難しく、それ以下だと経費がかさむためです。ドイツはその規模の自治体が多く、行政がスムーズにいくそうです。日本は明治に確定した都道府県の境界をしがらみで変えられず、自治体の統合が行えないと、平成の大合併(2004〜05年)前の当時は問題になっていました。

その研究者はドイツの自治体の理想的な人口配分は「ヒトラー政権下で進んだ」と言いました。大都市の人口抑制、強制移住によって均等な人口配分を行い、管理と徴兵のしやすい均一の行政単位を作ったそうです。戦後に成立したドイツ連邦共和国(西ドイツ)は、ナチスの作り直しの上で地方分権を進め、自治体の運営がスムーズに行ったようです。

「ドイツ人が『コンパクト・シティ』というと、このエピソードを思い出すのです。行政の言う効率化は『切り捨て』の裏返しであることが多いのですよ」。その研究者は話していました。

ナチスは独善的な主観に基づいて弱者や反対派を抹殺し、彼らの考える効率的な「第三帝国」を作ろうとしました。この官僚の言葉が正しいのか、私はドイツの内政事情に詳しくないので分かりません。またコンパクト・シティとナチズムに直接の関係はないでしょう。ですが、私はこの問題を考えるとき、この取材を思い出します。「切り捨て」の発想がそこにないのか、勘ぐってしまうのです。

日本を旅して分かるのは、決して均質・画一化した国ではない点です。日本人はそれぞれの地域ごとに、多様で魅力的な文化を育ててきました。「日本は単一民族国家で均質的だ」。この前辞職した中山成彬前国土交通大臣の発言は、アイヌ民族に配慮していないなどの点で問題であるだけではなく、私の旅の実体験からしても間違いです。

山間の集落や、漁村でふと出会う、歴史的な遺物や、踊り、風習などの無形文化を見て感じる驚き、また美しい風景の感動を、私は旅の中で繰り返し体験してきました。そして、その地域の文化や風土の来歴を調べるごとに、日本と、そこに生きた人々への愛着がわきあがります。「万里の道を行く」楽しみと喜びを常に感じるのです。

日本中がどこも似た「コンパクト」な町だらけの均質な国になったらどうなるでしょうか。もしかしたら、「コンパクト・シティ」の流行は、日本の文化や歴史にも影響を与える重大な国の姿の転換になるかもしれません。

「コンパクト・シティ」の建設は、そして「行政の効率化」と「温暖化を防止」という目的のために、必要なものです。しかし、それによって切り捨てられるかもしれない多くのものの大切さを、決して軽んじてはいけません。

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プロフィール

石井孝明(いしい・たかあき)

経済・環境ジャーナリスト。1971年生まれ。時事通信社、経済誌フィナンシャル ジャパンの記者を経てフリーランス。著書に『京都議定書は実現できるのか〜CO2規制社会のゆくえ』など。ご意見・ご感想はこちらまで。