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石井孝明の「温暖化とケイザイをめぐって」

温暖化問題と切り離せない経済。「お金」と温暖化の関係を追う。

排出量取引、効果は期待薄 〜 「引き返す」英断も必要だ

2008年10月23日

(これまでの 石井孝明の「温暖化とケイザイをめぐって」はこちら

国内排出量取引制度が10月21日に発表されました。メディアでは温暖化対策の「目玉」との期待が先行していますが、実態を検証するとその効果はなさそうです。

高まりすぎた期待

排出量取引の開始は「突然」でした。6月に福田康夫前首相が、「福田ビジョン」を発表し、そのなかで「年内の開始」を表明しました。日本では珍しい「トップダウン」の形で、関係省庁にその決断が伝わったのはその直前とされます。

「ビジョン」は低炭素社会をめぐるさまざまな提言を網羅していましたが、メディアの関心はなぜか「排出量取引」に集中しました。産業界がこれに反対の姿勢を示しており、興味を引くニュースの「対立構造」があったためかもしれません。

「年内開始」という公約を実現するには時間が足りず、新しい法律の制定まで含む制度づくりは難しい状況でした。そして取引を積極的に推し進めたい環境省と、消極的な経産省の間で、政府部内に温度差があったとされます。そのために、これまで政府が行った試験取引の延長の上で、10月発表の制度が作られました。いくつかの試行されている取引制度を集めたため、「国内統合市場」と呼ばれています。

そのポイントは、参加企業の「自主性」です。内容のポイントは次の通りです。

  • 参加は各企業に委ねる。その結果、守れなかった場合の罰則はない。
  • 各企業が自主的に温室効果ガスの削減目標を決める。これまで行われた業界ごとの削減行動である「日本経団連自主行動計画」を目標設定の参考にする。
  • その目標を内閣官房の「運営事務局」が妥当な水準かどうかを審査する。
  • 目標はCO2排出の総量だけではなく、エネルギー効率での設定も認める。
  • 京都議定書上で認められた途上国で削減された排出枠(クリーン開発メカニズム(CDM)クレジット)、中小企業などが目標以上の削減をした場合に生じた排出枠の流通を認める。
  • 取引開始は来年からで、12年度までに結論を出す。

一見して分かることですが、排出枠(キャップ)の設定が緩いのです。そのため、排出量取引の推進派からは批判が出ています。一方、反対派の人は「ムダなこと」と冷ややかに見ています。

排出量取引に対する4つの疑問

ここで私の意見を述べてみたいと思います。私はこの取引に反対です。

第一に、排出量取引では「キャップを公平に設定できない」という問題があります。この制度が持つ構造的欠陥です。2005年から世界に先駆けて域内の排出量取引を行ったEUでは、キャップをどうするかという点で、企業と政府、各国政府同士の調整が難航し、今でももめています。その結果、政治力でキャップが設定され、「抜け道」が多くなりました。EUでは削減効果があったと、観察されていません。

日本の試行取引でも産業界の参加をうながすため、緩い目標の設定しかできませんでした。有利なキャップを設定しようと企業が動くのは当然です。仮に本格導入となれば、排出枠の設定で産業界の政府へのロビイングが延々と続くことになるでしょう。

第二に、排出量取引は日本の状況に適合した制度ではないと思われるためです。国内では、「自主行動計画」など、さまざまな削減策が現時点で行われています。今回の取引制度では、それとの整合性を考えておらず、「屋上に屋根を重ねる」感じがします。そして日本企業はエネルギー効率の向上を続けています。余剰排出権を作り出せる企業は少なく、「売り注文」は取引でなかなか出てこないでしょう。

緩い目標を設定したEUでは、余剰排出枠を持つ企業がかなり多く出ています。しかし、それを生産の予備枠として手元に残す企業が多く、取引市場で積極的に売却しませんでした。机の上の事前予想とは異なったのです。そのため、取引の8割以上は投機目的になりました。「マネーゲーム化」が進行したのです。

第三に連携する世界の排出量取引市場に「日本が乗り遅れる」という誤った議論が流布しています。EUの温室効果ガスの排出は世界の3割弱にすぎません。そしてアメリカ、そして中国、インドがEU主導の政策に、自国の制度を積極的に合わせるとは思えません。EU式の排出量取引が世界標準とはならないでしょうし、統一炭素市場はできないでしょう。

第四に、排出量取引は温暖化問題を解決する一手段にすぎません。「経済成長を損ねないように効率的なエネルギーの需給体制をどのように作り出すのか」が、本筋の解決策です。試行取引にエネルギーを割くことは、その本質から社会の関心をそらさせるという悪い影響を与える可能性もあるのです。

「引き返す」英断と冷静な議論を

試行取引で、おそらく温室効果ガスが劇的に減ることも、活発な取引が行われることもないでしょう。効果がなかったら、「やらない」と引き返せればいいのです。

しかし、政策が走り出すと止められなくなる可能性があります。それを私は懸念しています。

排出量取引は、日本の「ものづくり」に悪影響を与えかねません。「キャップ」は企業活動、特に大量にCO2を排出する鉄鋼と電力業界の活動を抑制します。または企業に金を払って排出枠を使うことを強制するために、工業製品のコスト増をもたらします。そして、京都議定書の削減義務を負わない日本の産業界のライバルである国々は排出量取引を行っていないため、産業界は負担を負いません。

日本は製造業の努力と実力によって支えられてきました。EUの環境政策を過度に賛美し、そこで生まれた排出量取引を無批判に受け入れることは非常に危険です。EUでも、試行錯誤している取引を導入する必要はありません。日本は得意技の省エネ、そして技術競争で、温室効果ガスを削減する道を選択すればいいのです。

雰囲気に流されることなく、この試行取引から適切な教訓を引き出せることを望みたいと思います。

[注・この問題には、さまざまな考えがあるとおもいます。読者の皆様のご意見をメール、コメント、トラックバックでうかがいたいと切に思います。また、排出量取引の問題点については、『続・これが正しい温暖化対策〜プレッジ・アンド・レビューによる将来的枠組み』(杉山大志編 エネルギーフォーラム)を参考にしました。]

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プロフィール

石井孝明(いしい・たかあき)

経済・環境ジャーナリスト。1971年生まれ。時事通信社、経済誌フィナンシャル ジャパンの記者を経てフリーランス。著書に『京都議定書は実現できるのか〜CO2規制社会のゆくえ』など。ご意見・ご感想はこちらまで。