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石井孝明の「温暖化とケイザイをめぐって」

温暖化問題と切り離せない経済。「お金」と温暖化の関係を追う。

不安ぬぐえぬ「国連製」排出権 〜 「地球のため」は本当か?

2008年10月30日

(これまでの 石井孝明の「温暖化とケイザイをめぐって」はこちら

CDMでは誰が得をするのか?

「『空からお金が降ってくる』と、国内の産業人はみんな喜んでいる」。

あるシンポジウムで中国のシンクタンクの研究員が述べていました。国連が関与する国際協定・京都議定書で決められたCDM(クリーン開発メカニズム)に言及したものです。今回はこの「国連製」排出権について考えます。

CDMとは開発途上国と先進国の協力で削減した分を、先進国の削減分として扱えると制度です。温室効果ガス・CO2の削減とは、効率的なエネルギーを導入することと同じです。先進国は安いコストで温室効果ガスを削減でき、途上国は先進国の資金や技術で省エネができると、両者にメリットがあります。

さらにこれはビジネスと絡み始めています。排出権は流通し、その創出にはブローカーが介在しています。現時点でクレジットは1CO2トン当たり35ドル前後で取引されています。

国連の資料によると2007年末時点で認証を受けたクレジットは1億9000万CO2トンに達し、08年から12年の間に約10億CO2トン分以上のクレジットが誕生する見込みです。日本の温室効果ガスの排出量は世界の約5%、約13億CO2トン(07年)であることを考えると、かなりのガスが減ることになります。

本当に地球のためになるのか

ですがこの制度には、問題点も多いのです。

第一に、国際政治から見ると、「途上国の特権」を固定化する可能性があります。

今のCDMは「先進国のお金で省エネをする」という途上国に有利な仕組みになっています。中国、インドの産業は十分な国際競争力を持ち始め、工業国である韓国は途上国に分類されています。これらが、先進国の資金によって、省エネを行える仕組みです。高いエネルギー効率を産業界の努力の上で獲得した日本から見れば、公平とは言えません。

途上国はこの特権を手放さないでしょう。国際交渉の場では、CDMの継続が強硬に主張されています。そして国連の会議の特徴ですが、一国一票ですから、途上国の発言力は強いのです。

第二に本当に温室効果ガスの削減効果があるのかという疑問があります。

CDMでは、ガスの削減行動と、国連機関による認証、そしてその実際の削減の間に時間差があります。これが矛盾を生みます。ガス削減を目的としない事業も「減らした」と認定されれば、事業の認証が与えられます。

例えば、認証されたCDMの3割はCO2を出さないダムでの水力発電で、その大半が中国にあります。中国は電力不足に直面して、発電設備を建設しています。CDMがあってもなくても、いずれダムはつくられたでしょう。それなのに排出権が創出されてしまう例が報告されています。

森林の伐採は多くの開発途上国では、野放しになっています。木が切られているのに、同じ国の同じ地域で「植林をした」とCDMが認証される場合もあるのです。それで作られた排出権を先進国が確保すると、その排出権分の温室効果ガスを出すことが認められます。

CDMが生まれても、地球全体の温室効果ガスは増える懸念があります。全体のガスの収支をCDMでは検証していません。

第三に、排出権の取引で金融の手法がかなり利用されています。利用が促進され投資資金が流入しやすくなるメリットがある一方で、実態のない取引が拡大するデメリットも生じます。

CDMは「先渡し」契約が多く、また売買の権利を取引する「オプション」も始まるなど、デリバティブ(金融派生商品)の手法が使われ始めました。空気という取引財は、実態のないもので、それを確認するのは「国連が認証した」という権利書しかありません。こうした手法で取引が膨らむことに、危うさを感じます。

過去の事件との奇妙な類似

ここで私はアメリカで起こった二つの出来事を思い出します。

まず一つはエンロン事件です。同社はアメリカのエネルギー企業で、電力、天然ガス、排出権の取引で新しい金融手法を導入し、「利益を出した」と、発表していました。ところが、損失の取引の大半が簿外に飛ばされていたのです。複雑な金融取引によって取引が拡大し、また損失隠しに利用されていました。そして同社は2001年に破たんしました。

二つ目はサブプライム問題です。「サブプライムローン」は、信用度の低いアメリカの住宅ローンです。不動産市況の低迷でこのローンの大半が不良債権化したことが、今の欧米の金融危機のきっかけです。このローンを組み込んだ「仕組み債」が大量に開発され、損失を拡大したとされます。利益が大きいように見せかけながら、実態は質の悪いローンを詰め込んだものが多かったようです。

「金融市場では愚行が繰り返される」。(『大暴落1929』ガルブレイス(アメリカの経済学者)、日経BP刊)。金融市場では、目新しい商品が登場して取引が膨らむと、詐欺を働く人間や、取引の混乱が頻繁に起こります。

今の段階ではCDMは温室効果ガス削減の成果を出しており、日本でそれにかかわる多くの人は賢明にまじめにビジネスに取り組んでいます。また排出権も流通して身近になりつつあります。「エンロン」や「サブプライム」を持ちだすことは、現時点では「大げさ」であるかもしれません。

ですがCDM取引は、上述した3つの疑問を解決しないまま取引が拡大し、「金融化」が進行しています。おかしな方向に回り始めれば、金銭的な損失だけではなく、温室効果ガスが減らないという悪影響を地球全体に残しかねません。華やかな取引の影に、危うさがあるとどうしても勘ぐってしまいます。

「空からお金が降ってくる」——。中国の人々のように、楽観的すぎる意識がCDM制度の背景に広がっているのだとしたら、とても危うい状況です。身近になりつつある排出権について「本当に地球のために役立つものなのか」と問いながら、冷静に向かいあうべきではないでしょうか。

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プロフィール

石井孝明(いしい・たかあき)

経済・環境ジャーナリスト。1971年生まれ。時事通信社、経済誌フィナンシャル ジャパンの記者を経てフリーランス。著書に『京都議定書は実現できるのか〜CO2規制社会のゆくえ』など。ご意見・ご感想はこちらまで。