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石井孝明の「温暖化とケイザイをめぐって」

温暖化問題と切り離せない経済。「お金」と温暖化の関係を追う。

信じるものは救われない? 〜 「遅れた」温暖化懐疑論を考える

2008年9月11日

(これまでの 石井孝明の「温暖化とケイザイをめぐって」はこちら

「周回遅れ」の懐疑論の流行

今回は「温暖化懐疑論」について考えます。結論を述べると、これが「妥当である」可能性は減っています。無視する必要はないものの、冷静に向き合った方がいいと考えます。

懐疑論には、第1に「温暖化は起こっていない」、第2に「CO2で温暖化は起こっていない」という2つの流れがあります。

第1の議論について、地球の気温上昇が一服したという観測の結果が一部で出ています(注1)。一方で、気温上昇の結果は、各国で多数報告されています。観測体制が未整備である国もあるためで、詳細な調査が必要です。

第2の議論について、「水蒸気」「太陽活動」「宇宙線」「エアロゾル」(空中の浮遊物質)が気温上昇に影響を与えているという指摘があります。これらの論点は欧米で10年以上前から議論されており、それを知る人にとっては「またか」と思う話です。気象学者がコメントしているので、興味のある方はご一読下さい。(注2)

日本では2007年ごろから懐疑論が目立ち始めました。世界に比べて「遅れてやってきた」という感じがあります。週刊誌などの雑誌メディアと書籍がこうした議論を取り上げています。これらは「とんがった」情報を求め、それが売れ行きにつながります。だから、目を引きやすい情報を不必要に強調しています。

いくつか懐疑論の本を読みました。不毛な議論を避けるため具体名は出しませんが、未解明の一部を誇張して「CO2説はウソ」「科学者の大半はCO2が温暖化の原因と思っていない」「環境で利益を得る産業界と学界の謀略だ」などの、センセーショナルな「断言」を行っていました。そして懐疑論を唱える人は、気象学を専攻した学者ではない人が大半でした。

温暖化問題の全体像は、まだはっきりと分からないことがあります。だからといって、「CO2が原因ではない」と断言する飛躍した論理展開は、素人の私が読んでも不思議なものです。そして知的に誠実な議論であるとは、思えません。

懐疑論に触れる前に抑える3つのポイント

温暖化懐疑論を見るときに、3つの点を考えるべきでしょう。

まず第1点として、温暖化懐疑論の勢いは、世界ではかなり弱まっています。

アメリカではインターネット上で、懐疑派のサイト「TWTW(The Week That Was)」と、温暖化支持派のサイト「Real Climate」があります。各国の論文を集めているもので、私は時々みていますが、前者の論文は減っています。懐疑論の旗色はアメリカでも悪いようです。

IPCC(国連気候変動に関する政府間パネル)という温暖化をめぐる知見を集める研究者の集合体があります。この団体は、リポートを発表して、温暖化問題の議論の流れを作り、ノーベル平和賞を2007年に受賞しています。

同年の第4次報告では「観測された20世紀後半の気温上昇はCO2の増加によって引き起こされた可能性が高い」と指摘しました。「断言」ではないものの、極めて可能性が高いことを指摘しています。

アル・ゴア氏の書籍「不都合な真実」に書かれた例ですが、米英で専門家のチェックを経て学術誌に掲載された温暖化の論文は2006年までの10年間で928本ありましたが、懐疑論はゼロでした。個人の反論が、こうした専門家の議論の蓄積より優れているとは思えません。

第2に、懐疑論は「何もしないこと」への言い訳になりかねません。

温暖化懐疑論は、現在の日本でも世界でも、それほど「政治的影響力」を持っていません。ですが、議論になじみのない私たちがそれに触れると、「何もしなくていい」という考えが生まれかねないのです。

温暖化がCO2で起こっているという主流説が正しければ、何もしないことは、次の世代の負担を大きくするだけでしょう。

温暖化問題への対策は、化石燃料を使わないことです。今は石油価格の上昇と枯渇の危機が続いています。CO2が仮に温暖化問題の原因でなくても、化石燃料文明からの脱却は、私たちの抱えるリスクを減らすことになります。

第3に、懐疑論へのテコ入れで、損をする可能性があります。少数意見を尊重することは必要ですが、懐疑論がそこまで価値のあるものとは思えません。

多数派のところにはお金と人が集まり、チャンスが生まれます。温暖化対策である代替エネルギーの開発や省エネに世界は動き、ビジネス、金融市場が動いています。温暖化を信じようと、信じまいと、社会の潮流に乗らなければ、社会に影響を与えることも、利益を獲得することもできません。

「断言」することなく考え続けよう

一方で、私は温暖化によって「地球は滅亡する」という極端な議論をする人々にも、違和感を抱きます。可能性の少ないことをセンセーショナルに唱えることは、一部の懐疑論と全く同じ論理構成です。

アル・ゴア氏は、「温暖化懐疑論者は、地球が平らと思っている人や、アポロ宇宙船の月面着陸が映画セットで撮影されたと思っている人と一緒に、土曜日の夜にパーティでもしているのでしょう(注・悪魔儀式のこと)」と発言しています。その姿勢を知ったときに、私は彼への敬意が少し薄れました。温暖化肯定の「断言」も、異論を排除する危うさを感じるのです。

「科学が全てを解明し尽くすことはできない」という、自然への謙虚な態度を持つ。その上で分かる範囲で知識を共有し、「起こりうる危険」を少しずつでも減らしていく。こうした冷静な態度が、温暖化問題では必要でしょう。

「世の中に確実なものは何もない。蓋然性(物事の起こる確率:哲学用語)に囲まれて私たちは暮らしている」。クリントン政権の名財務長官として知られるロバート・ルービン氏は回想録の中でこんな言葉を残しています。

ルービン氏は投資銀行ゴールドマン・サックスの経営者を務め、金融市場の経験の長い弁護士です。不確実性に包まれる中で決断をしたキャリアがあるため、こうした人生哲学を抱いたのでしょう。私はこの言葉を気に入っています。

何事でも、そして温暖化問題でも、「断言」をすることなく、冷静に考え続けたいものです。それが初めは遠回りに見えても、長い視点で見れば真実に近づき、私たちのリスクを減らすことにつながるでしょう。

【注1】イギリスの政治家ナイジェル・ローソン卿の「APPEAL TO REASON」(未邦訳)という本には、1960年から1990年と2000年以降の世界の平均気温について比べると、0・4度で上昇が止まっているという、イギリスのイーストアングリア大学の研究が紹介されています。
【注2】東北大学の明日香壽川氏を中心とするグループの意見です。

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プロフィール

石井孝明(いしい・たかあき)

経済・環境ジャーナリスト。1971年生まれ。時事通信社、経済誌フィナンシャル ジャパンの記者を経てフリーランス。著書に『京都議定書は実現できるのか〜CO2規制社会のゆくえ』など。ご意見・ご感想はこちらまで。