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石井孝明の「温暖化とケイザイをめぐって」

温暖化問題と切り離せない経済。「お金」と温暖化の関係を追う。

もの足りないメディアの温暖化報道 ~「密約説」を唱える前に

2008年7月 3日

(これまでの 石井孝明の「温暖化とケイザイをめぐって」はこちら

朝日新聞「密約説」は「大げさすぎる」?

密約が、日本の環境外交の足かせとなっている。
「あのディール(取引)」と関係者は呼ぶ。
「日本政府として京都議定書は批准するが、国内排出量取引制度を始めとする強制的措置は産業界に課さない---」。
2002年の議定書批准の際、経済産業省と経団連(現・日本経団連)との間で確認した。外部には公にされず、文書にも残されていない。
出典:「地球よ 環境元年宣言」(朝日新聞出版)p.157


5月に朝日新聞は、こういった内容を報道しました。ところが、政府・財界の温暖化問題の関係者は一様に「『あのディール』なんて、誰も言っていませんよ」と、不思議がります。ある関係者は、「『あった』とも言えるが、そんな大げさなものかな・・・・」と、戸惑っていました。

どんな政策でも、その実施前に行政機関は、関係団体や他省庁と「根回し」を行って、その中でさまざまな「約束」をします。京都議定書の批准をめぐっても、経産省は日本経団連とも事前調整を行いました。そこで「当面は産業界への強制措置なしで温暖化対策を進める」という合意はあったようです。そして、政府の政策を打ち出した02年の「地球温暖化対策推進大綱(改訂)」(注1)では、産業界への強制的措置は見送られ、「排出量取引は検討課題」として導入しない方針が示されています。別に秘密ではありません。

関係者によれば、未来永劫続く「密約」が成立したと、当時は誰も考えていなかったそうです。政府・経団連とも相互に拘束したいものを作りたいのなら、明文化された「協定」を作ったでしょう。この「密約」は別に環境外交の「足かせ」にはなっていません。現に、突如「エコ派」になった福田康夫首相は、「密約」と称するものに関係なく、トップダウン方式で国内排出権取引の導入の検討を関係省庁に指示しました。

日本の場合には、中央官庁の課長-審議官-局長が、政策の立案・実施の中心になります。当時の経産省でこのラインにいた関係者は「私のところに朝日の記者がきたら、実情を説明したのに・・・・」と話していました。

「密約」という言葉は「おどろおどろしく」聞こえます。この記事は「誤報」とは言えないでしょうし、調整や根回しを「密約だ」というのならその通りとも言えますが、「事実を『おおげさ』に伝えたのではないか」という感想を私は抱いています。

そして、もう一つの感想を持ちました。「利益至上の産業界が、地球環境を顧みずに悪いことをしている」。こういうステレオタイプの意識に、書き手がとらわれているのではないか、と思ったのです。


■「エコはもういい」と受け手に言われる前に

私は温暖化報道に「もの足りなさ」を感じています。温暖化情報がメディアにあふれていますが、「地球を守れ」と単純な内容を伝えるにすぎない報道が多いように思えます。

今必要なのは「何をすればいいのか」という情報です。しかし、それをメディアは伝えません。そして現場で実務を行う人々からすると、「戸惑い」を感じる報道も、冒頭の朝日新聞の報道のように、少なくありません。

それを反映したためでしょうか。ネット情報を探ると、「エコはもういい」というような、うんざり感も出始めています。

メディアの役割について理想を言えば、「事実や見解を提供することで、受け手である読者や視聴者に考える材料を提供すること」にあると、私は個人的に考えています。新聞を中心にメディアの社会的影響力は急速に低下しています。ですが、議論を先導する役割にはなれるし、なってほしいと思います。しかし、その役割を温暖化の分野で果たしていません。

なぜでしょうか。いろいろな理由が考えられますが、報道を観察すると「温暖化対策は他人事」という送り手の意識が見え隠れします。そして、「産業界・政府 vs 市民・環境派」という、本当に存在するかも分からない対立軸が、報道の中に埋め込まれています。前述の「密約説」もその一例です。こうした送り手の意識が一因であるように思えます。


■「あなたの財布」にどう響くのか

温暖化対策は「産業界・政府の問題」という他人事ではありません。産業界への規制、また国の温室効果ガスの削減は、必ず対策費用を発生させます。それは、電気・エネルギーなどの料金、また商品やサービス価格の上昇の形で、国民一人ひとりに跳ね返ります。

今、石油・エネルギー価格が上昇し、物価への転嫁が始まっています。そして日本はそれによって動揺しています。温暖化対策による物価の上昇は、この状況を加速させるでしょう。この現実を問いかけることを、知ってか知らずか、報道は避けています。

「シロクマ」の悲劇や「ガラパゴス」の生態系の変化も大切でしょう。本当に、悪いことをしたのなら、政府や産業界を批判することも必要でしょう。

ですが、次の段階の具体的な「政策論」を、私は知りたいと思います。そして、多くの人もそれを望んでいるのではないでしょうか。かつてのように、メディアが社会に「偉そうに主張する」という時代ではなくなりましたが、議論の種を播くことはできるはずです。

そして、それは「地球を救え」というスローガンだけではなく、無意味な他人への攻撃ではなく、「あなたの財布にどう響く?」と現実感を持った議論でなければなりません。

それでは、メディアが「必要な情報を伝えない場合」または「間違った情報を伝える場合」には、どうすればいいのでしょうか。私たちが自らの手で情報を集めるしかありません。さまざまな分野で進行している情報の「中抜き」、そしてメディアの影響力の低下が、温暖化問題でも加速することになるでしょう。

【注1】「地球温暖化計画推進大綱」。今は「京都議定書目標達成計画」に名前が変わっています。

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私事で恐縮ながら、仕事の報告をします。温暖化問題で、週刊東洋経済に寄稿、週刊朝日に取材協力をしました。いずれも今週中(7月第1週)の発売です。読者の皆さまにご一読いただければ幸いです。
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プロフィール

石井孝明(いしい・たかあき)

経済・環境ジャーナリスト。1971年生まれ。時事通信社、経済誌フィナンシャル ジャパンの記者を経てフリーランス。著書に『京都議定書は実現できるのか〜CO2規制社会のゆくえ』など。ご意見・ご感想はこちらまで。