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石井孝明の「温暖化とケイザイをめぐって」

温暖化問題と切り離せない経済。「お金」と温暖化の関係を追う。

「100万人のキャンドルナイト」~ 勝手に参加宣言!

2008年6月19日

(これまでの 石井孝明の「温暖化とケイザイをめぐって」はこちら


■情報を遮断して得られた平穏

6月8日に秋葉原で7人の方が通り魔事件で亡くなりました。この事件について、私はこれ以上の情報を知らないことにしました。それを伝えるネット、新聞のページを開きません。もともとテレビはあまり見ないのですが、この情報が流れると消しています。

亡くなった方の冥福をお祈りします。そして、巻き込まれた方やご遺族の方の悲しみや苦しみが安らぐことも祈ります。ですが、それ以上のことを私は何もできません。犯人のことを知れば憎しみと怒りを感じるでしょうが、それをどこかに向けるわけにもいきません。だったら「見ざる、聞かざる、話さざる」と、凄惨な事件を頭から締め出そうとしています。

「自分中心すぎる」――、そんな批判を受けるかもしれません。その通りですが、知らないことによって心には平穏が得られました。読者の皆さんは犯人への怒り、被害者の方への同情によって心にさまざまな動揺や苦しみを負ったのではないでしょうか。

私たちは情報の洪水の中にいます。メディアだけではなく、携帯端末、そしてインターネットから、玉石混交の大量の情報が自然と集まります。ニュースばかりではありません。町にはさまざまな広告があふれています。1日に人の目に入る広告は3000件を超えるとの調査がアメリカにあり、日本でもそれ以上の広告があふれているでしょう。世界では1日50億件以上のインスタントメッセージが送信され、個人が情報発信元の一つになっています(注1)。

情報の遮断で得られた心の平穏を感じることで、私は「知らないこと」の効用を考えはじめています。スイスの哲学者ヒルティは「眠られぬ夜のために」(邦訳・岩波文庫)という哲学・宗教の論考集を残しています。365日分に著述が分かれた本なのですが、たまたま開いた6月8日(第二部)の著述に次の言葉を残していました。

世間は放っておきなさい。
われわれの務めは誤りに悩まされることなく、正しいことを示すことにある。


■ホリエモンの洞察が語りかけるもの

「マスコミにいる人って、性格がゆがんでいきますよね。変なメガネを通して物事を見るからメディアは本当のことを伝えないんですよ」。

ライブドア元社長の堀江貴文氏に取材をしたところ、自分をめぐる報道を振り返って、このように発言していました。記者である私が次のようなことを述べるのはおかしなことかもしれませんが、私は「その通り」と共感を覚えたことがあります(注2)。

堀江氏のビジネス手法や行動に私は共感を抱いていません。ですが、彼が物事の本質をとらえる力のある一種の「天才」という敬意は持っています。彼が感じたのと同じように、「報道がおかしい」という社会の声が日ごとに強まっています。

ニュースは人の死や悲しみの感情、日常と違う異常なことが題在になります。それに大量に接するメディアの人たちは、心が気付かないうちに変容してしまうのかもしれません。堀江氏はその鋭い感覚で、情報を扱う危うさを洞察しているようです。

「知ること」は私たちが生きるために必要です。しかし、あふれる情報に接することで心が汚れたり、本当に大切なものを見逃したりする弊害もあるのです。

暗き深淵をのぞきこむ人は
その深淵から自らがのぞかれていることを知るべきだ。

哲学者のニーチェがこのように言っていることを知り、記者活動の自戒のために、ノートに書きとめたことがあります(注3)。


■一人、静かにもの思う時間を作る

夏至の6月22日から1カ月間、「100万人のキャンドルナイト」という催しが行われます(注4)。

全国の有名施設が午後8時から一斉に消灯します。同時にその時間に参加者に電気を使うことを止めるように呼びかけます。そして、暗闇と静けさの中でキャンドルを灯して、エネルギーの使い方と、地球温暖化問題を静かに考えようという試みです。

夜、静かに一人考えることが、それぞれの人の成長をうながし、また社会に必要な偉大なものが生まれるきっかけになりました。闇は人を賢者にします。ドイツの詩人・作家のヘッセに「夜の感情」という詩があります(注3)。

夜は私の心を明るく照らす、青い力をもって。
深く、突然割れた雲の裂け目から月と星空が現れる。
魂が、その暗い穴から、かき立てられて燃えあがる。
青ざめた星のかおりの中で、夜が立琴をひくので。
その音が始まってから、憂いは去り、苦しみは小さくなる。
あすは、もう生きていなくとも、きょうは、こうして生きているのだ。

詩人のみずみずしい感性がとらえた夜に天上から聞こえる音、さらにそれと対峙する自分の命の存在を感じることは、大量の情報による喧噪や、エネルギーの浪費によって生まれた明るさの中では無理でしょう。

私は、勝手にキャンドルナイトに参加します。こんな時代だからこそ、情報を追い続けることを一晩止めて、家電製品をすべて止め、静けさと暗さの中で自分を見つめ直し、そして温暖化問題の行く末に思いをはせてみます。読者のみなさんも、思索の時間を持ちませんか。


【注1】この数字は「最強の集中術」(ルーシー・ジョー・パラディーノ著、エクスナレッジ刊)から引用しました。広告数は1997年、メッセージ送信数は2002年のもので、今はもっと増えているでしょう。
【注2】経済誌「フィナンシャルジャパン2007年5月号」で、私は堀江貴文氏と「外務省のラスプーチン」こと起訴休職中の外務事務官である作家の佐藤優氏の対談記事「亡国論~なぜ僕たちは捕まったのか」を執筆しました。この言葉はそこに掲載されたものです。
【注3】ニーチェとヘッセの引用は、自分のノートに記したもので、原典は現時点で不明です。微妙な間違いなどがある可能性があります。すみません。
【注4】「百万人のキャンドルナイト」。ちなみに筆者はこの組織と、何の関係もありません。 

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プロフィール

石井孝明(いしい・たかあき)

経済・環境ジャーナリスト。1971年生まれ。時事通信社、経済誌フィナンシャル ジャパンの記者を経てフリーランス。著書に『京都議定書は実現できるのか〜CO2規制社会のゆくえ』など。ご意見・ご感想はこちらまで。