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石井孝明の「温暖化とケイザイをめぐって」

温暖化問題と切り離せない経済。「お金」と温暖化の関係を追う。

未来の温暖化より今の貧困? ~ 「100万円」の優先順位

2008年5月29日

(これまでの 石井孝明の「温暖化とケイザイをめぐって」はこちら

■「100万円」の使い方

「100万円」という金額を、皆さんはどのように受け止めますか。生活や収入の程度で受け止め方が全く違うはずです。

東京港区の六本木ヒルズに「アカデミーヒルズ」という会員制図書館・文化施設があります。私は趣味と仕事が「物書き」と「読書」であるために、書斎や図書館という施設に関心があります。そのため、そこを見学したことがあります。

そこで「オフィスメンバー」と呼ばれる会議室や個室の使える会員になるためには、入会金31万5000円、年会費105万円 という高額のお金が必要になります。

ここは六本木ヒルズの49階にあります。富士山や東京湾のレインボーブリッジなど名所が一望できる眺めは素晴らしいもので、気分が高揚しました。内部はデザインに凝った快適な空間で、コーヒーや軽食が楽しめ、蔵書も最新のものが並びます。こうした場所で仕事をすれば成果も上がるでしょう。余談ながら、私も入りたいと思いつつ、その値段ゆえに断念しました。

六本木、赤坂、丸の内など東京都心の一等地でオフィスを借りると、最近は1坪(3.3平方メートル)月額7万円以上の賃料とされます。それから考えると、年会費105万円はかなり安い値段です。六本木ヒルズには外資系金融、弁護士事務所、経営層は高給取りで知られるIT企業が集まります。俗称「ヒルズ族」という富裕層向けに、こうした高額サービスがビジネスとして成立しています。

一方で興味深い「100万円」が目にとまりました。作家で起訴猶予中の外務事務官である佐藤優さんが、著書『インテリジェンス人間論』(新潮社)で、報道に表れた日本での貧困の兆しを紹介しています。

「たとえば30代フリーターで年収100万円。夢は?と聞くと『年収300万円になって結婚し家庭を持ちたい』という。そんなことが夢になってしまうのが今の現実なんです。そんなささやかな夢さえ保証できない国がおかしい。浮遊、不安定だけではなくて今の状況は貧困であって、生存ギリギリの状況なんです」(元記事は『週刊金曜日』2007年8月10・17日合併号)

「カップスープを濃く溶いて、スパゲティとからめて、チーズ味のスナック菓子を振りかけ、カルボナーラ風スパゲティを作る」、「ラードでパンの耳を揚げ、肉なしとんかつをつくる」など、一食を100円以下で済ますことを目標とする雑誌の特集もあるそうです(元記事は『SPA!』2007年8月28日号、「下流の食卓が危ない」)。

佐藤優さんは、極端な富裕層とそれ以外の社会的弱者との間に「同じ日本人という一体感が持ちにくくなった」と、現状を分析しています。

私も同感です。100万円を年間の図書館代に使える人と、年収100万円である人が一体感を持つこと、そして共同で何かを成し遂げることは難しいでしょう。

私は富裕層向けビジネスが悪いとはまったく思いません。しかし、問題は基本的な生活さえ脅かされる貧困の兆しが日本に現れ始めた、という点です。一食100円以下で生活する若者が仮にいるなら、「それは自己責任の結果だ」と突き放すのは酷です。

アカデミーヒルズを見学した後で、私は六本木でたまたま開催されていた温暖化問題の写真展を見てきました。100万円の図書館を使う人、そしてそれ以外の人では、「写真の受け止め方は違うのではないか」と考えていました。


■優先順位を決める難しさ

「新自由主義」。小泉政権から続く流れは、この言葉で定着しています。「規制緩和と競争を促進し、強いものをより強くして、日本経済の活性化を図る」。小泉純一郎元首相が自分の政策の意味をどこまで認識していたのかは分かりませんが、国の流れはその方向に動きました。その結果、強いものは確かに強くなりました。しかし、社会全体ははたして強くなったのでしょうか。

ライブドアの堀江貴文元社長、M&Aコンサルティングの村上世彰代表など、新自由主義の象徴的人物が逮捕される動きがありました。規制緩和の流れに対する規制強化の揺り戻しもあります。しかし、そうした反動が多少あっても、社会の格差は広がっています。「平等」とされた日本社会の姿は崩壊しています。これは政治の力だけでは止められません。

安部政権、そして福田政権は、小泉政権で重視されなかった「格差の是正」と「温暖化対策」を掲げました。ですが、これら二つの問題は、解決に必要な時間軸、そして対応に必要なエネルギーのベクトルが違います。

あすの仕事さえも心配する人々(私も含めてですが)日ごとに増える中で、「地球を救え」などという抽象的な大義が人々を動かせるでしょうか。今の貧困に悩む人が、将来明らかになることに対する負担を受け入れるでしょうか。

「温暖化を私たちが止めなければならない」。こうした主張を識者がメディアで繰り返します。その通りです。

「日本では温暖化の危機感がない」。ヨーロッパとの対比で、批判をする人々がいます。それも正しいでしょう。

そして「2050年に温室効果ガスを半減させる」。日本政府はこうした目標を掲げます。

私はこうした意見に賛同しつつも、「優先順位を考えたらどうか」とも考えてしまいます。2008年度の温暖化対策予算は約1兆2000億円、国民一人当たり1万円になります。100円の食事をする人は、この金額をどのように受け止めるでしょうか。

たくさんある日本の課題の中で、温暖化対策の優先順位をどうするのか。難しい問題が私たちの前に現れています。

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プロフィール

石井孝明(いしい・たかあき)

経済・環境ジャーナリスト。1971年生まれ。時事通信社、経済誌フィナンシャル ジャパンの記者を経てフリーランス。著書に『京都議定書は実現できるのか〜CO2規制社会のゆくえ』など。ご意見・ご感想はこちらまで。