歴史はお天気で作られる? ~ 気温を考え資料を読み解くと・・・
2008年5月22日
(これまでの 石井孝明の「温暖化とケイザイをめぐって」はこちら)
温暖化問題についての執筆活動によって、私は歴史書、そして絵画を新しい視点で見るようになりました。「その時に気温と天気はどうだったのか」ということを考えるのです。
『エマ』『高慢と偏見』など、イギリスの田園地帯での登場人物の繊細な感情の交流を描いた小説で知られるイギリスの女流作家ジェーン・オースティン(1775-1817年)の肖像画を見てみましょう(注1:ウィキペディアのアドレスは末尾を参照)。彼女は首筋までえりのある服を着て、頭巾をかぶっています。
19世紀の前半は地球が寒冷化していました。特に1815-16年は「夏が来ない」と言われるほど気温が上がらず、その影響でイギリス社会は混乱しました。また、1812年のナポレオンのロシア遠征は、冬の寒さゆえに失敗しています。
オースティンの服は防寒対策のためでしょうか。彼女の小説では登場人物が家の中でおしゃべりを続けます。「寒いから外出をしたがらない」という当時の世相が反映したものかもしれません。
次に、フランス王ルイ15世の妾として有名なポンパドゥール夫人(1721-64年)の肖像を見てみましょう。胸元を強調し、首筋を開いた服で、王室の服装ということを考えても、オースティンとはかなり違います(注2)。これは、同時代のオーストリアのマリア・テレジア女帝やロシアのエリザヴェータ女帝などの服装にも共通します(注3、注4)。1710-1740年ころは、一時的に気温が暖かくなっていました。これが背景になった可能性もあります。
もちろん女性の服の流行は、気温以外の影響もあります。現にミニスカート・ブームは1970年代の直近の寒冷期におきました。最近の東京では「絶滅」した「ガングロ女子高生」は、冬でもミニスカートなど季節感のない服を着ていました。風俗や流行のすべてが天気で決まることはありえませんが、新しい観点から歴史を見ると想像が広がります。
■歴史を気温で振り返る
地球の気温は一定ではありません。1000年から1300年ころまで続いた中世温暖期は、ヨーロッパでは産業革命前より1度前後気温が高かった、つまり現時点と同じ程度の気温であったとされます。このときは農業生産が向上し、その蓄積された富を背景にヨーロッパ世界が外に向かった時代です。十字軍やバイキングなどの活動がありました。
テレビアニメ化された童話『小さなバイキング ビッケ』は、バイキングのフラーケ族の族長の息子で暴力嫌いのビッケが、頼りない「海賊」である仲間たちを知恵で助けながら冒険をします。ビッケらは、今は氷に覆われている北極圏にある島グリーンランドをうろうろします。「グリーンランド」とは、緑の草が生えていたことを見たバイキングが名付けました。温暖化の進行でここの氷が溶け出し、また「グリーン」になりそうです。
一方で1300年から1850年ころまでは、「小氷河期」という寒い時代が訪れます。19世紀後半の産業革命のころより約1度、今より約2度平均気温が低く、世界的に天候不順が続き、飢饉が頻発しました。
『歴史を変えた気候大変動』(ブライアン・フェイガン著、河出書房新社)という本によれば、1400年から1967年までに描かれた欧米の風景画6500枚を調査した歴史学者がいます。絵は天候の変化を反映していました。
15世紀初めから16世紀中ごろ、そして19世紀初頭は特に寒冷化が進行しました。そのときには曇りの天気を描いた風景画が多いのです。そして温暖になった1850年以降には雲が少なくなります。19世紀初頭に活動した英国の風景画家ジョン・コンスタブル(1776-1837年)の絵(注5)を見ると、確かに雲の多さが目立ちます。
風景画の伝統のない日本では、絵から気候の変化を感じ取ることはできませんが、1780年代は「天明の大飢饉」と呼ばれる長期の冷害が続きました。1782年の浅間山の大噴火が、太陽光を遮って冷害の一因になったとされます。また1830年代も冷害によって「天保の大飢饉」が生じました。
■歴史から読み取れる教訓とは?
前述の本を読み、また歴史を振り返って、私は自分なりに気候をめぐる三つの教訓を引き出しています。
一つ目は気候の変化は突如起こります。そして人間は多くの場合、そうした変化を抑えることはできず、自然に翻弄されました。
二つ目は、気候は歴史に「すべて」ではないにしても、ある程度の影響を与えてきました。そして、気候変動の結果、社会不安が必ず生じて「神の天罰だ!」と倫理にからめて騒ぐ活動家が登場します。現代に似た点があります。
三つ目は、いずれの時代の気候変動も、悲惨な飢餓はあったものの、人類は何とか生き残りました。そして、お金を持っている人、そして富める国は被害が少ないという当たり前の事実に直面します。
この事実は楽観的にも、悲観的にも、とらえることができます。一例を挙げると、冷害と主食のジャガイモの疫病に直面した1840-50年のアイルランドでは、人口が820万人から650万人に減少しました。そのうち100万人が移民になってアメリカやヨーロッパにわたり、推計150万人がこの期間に栄養不良と疫病で亡くなったとされます。
ちなみにアメリカ大統領ジョン・F・ケネディを出したケネディ家、またロナルド・レーガン元大統領の祖先は、このときの飢饉で新大陸に渡った移民でした。
そのときアイルランドで地主階級を構成していたその地のイギリス人社会、さらには隣国で、当時の世界で最も富める国であったイギリスは、ここまでの悲劇には陥りませんでした。『ディビッド・コッパーフィールド』『クリスマス・キャロル』などの小説で当時の英国を描写したチャールズ・ディケンズ(1812-70年)の小説に、多くの貧しい人が登場します。しかし悲惨な餓死は出てきません。
「お金持ちになる」。これが気候変動に耐える一つの方法です。
さて、2050年には、地球人口は現在の65億人から100億人に増えると予想されています。CO2やエネルギー消費をこのまま放置すれば、温暖化は進行し、生態系の崩壊の始まる範囲、つまり現在に比べて1度、産業革命前から比べるとプラス2度に達すると推定されます。
その時の日本はどうなるのか。これまでの歴史からみると、温暖化を止めることはできなさそうです。幸いなことに、日本は温帯に属し、温暖化のインパクトは強烈ではあるものの、熱帯の農業・一次産業に依存した国とは違って悲惨な状況になるとは思えません。日本の国力は弱まるでしょうが、世界から食糧が買えなくなることはなさそうです。日本はありがたいことに、世界から比べれば「富める国」なのです。
「困った、困った」といいながら、なんとか暮らしている。私はそんな未来を予想します。かつての先人たちがそうであったように。
(注1)ジェーン・オースティンの肖像
(注2)ポンパドゥール夫人の肖像
(注3)マリア・テレジア女帝の肖像
(注4)エリザヴェータ女帝の肖像
(注5)ジョン・コンスタブルの書いた絵
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石井孝明の「温暖化とケイザイをめぐって」
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