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飯田泰之の「ソーシャル・サイエンス・ハック!」

気鋭の若手経済学者が、社会問題・経済問題を、Hacks的な手法を用いて、その解決策を探る。

第10回 人の心はわからない

2007年7月23日

(飯田泰之の「ソーシャル・サイエンス・ハック!」第9回より続く)

■確率的に鹿を狩る

Hacks! のように簡単化されたtipsを使って仕事や思考を支配しようとする方法論には抵抗感がぬぐえないという人も多いことでしょう。その「抵抗感」の正体は何でしょう。「こんな単純な方法だと対応できない事態があるんじゃないか」というのが第一の理由ではないかと思います。しかし、どんなに複雑な方法でも「対応できないときは対応できない」んじゃないでしょうか。Hacks! のひとつのコツは上手な「あきらめ」だと思います。

上手な「あきらめ方」の法則なんてあるんでしょうか。僕はあると思っています。日常の生活から仕事に至るまで、多くの予想や意思決定において「100%ぴったり当たる必要はないが、ほどほど正解に近い方がよい」「大幅に外すせば外すほど非常に不味い[*1]」というのはよくあるケースでしょう。この場合、最も安全なのは「平均的に当たる」ように予想することです。

計量経済学者をダシにした古典的ジョークにこんなものがあります。

ある計量経済学者と狩りに出かけたら、手頃な鹿に出くわした。計量経済学者氏のライフルは1回目には右に1mほどはずれた。再度、ライフルを撃ったが今度は左に1mはずしてしまい、鹿は逃げ去ってしまった。しかし、計量経済学者氏は「私たちは確率的に鹿をとらえたよ」と満足げだった。

という話です。たいして面白くないジョークですが、計量経済学者氏は確かに平均的には鹿に命中しているのです。

■とりあえずマクロで

ビジネスシーンで必要になる予想の一つが「クライアントの気持ち」や「ライバルの行動」の予想です。みなさんも相手の仕草や目線、言葉の端々からなんとか相手の心を読んでやろうと努力されていることでしょう。しかし、現代のビジネスは古典的な対人取引から顔の見えない相手への営業活動へと変わってきました。会話も仕草もなしに……つまりはノー・ヒントでクライアントやライバルの心を知るにはどうしたらよいでしょう。

ここで重要になるのが「あきらめ」です。どうせ、そんなことわかったもんじゃありません[*2]。そんなときの次善の策は何か。出来る限り大外しを避けて通ること。もうすこしめんどくさく言うと「はずれの期待値を最小化すること」です。

Xさんは30歳の日本人男性であるということを知っているだけで、会ったことも話したことも、他の人からの伝聞情報も無いとします。このとき、Xさんの身長を予想しなければならないとしたら……大外しを避ける最も賢い方法はなんでしょう。そうです。とりあえずは30歳の日本人男性の平均身長であると予想しておけばよいでしょう。実際のXさんの身長がぴったり平均身長だなんてことはないでしょう[*3]。おそらくはもっと背が高かったり低かったりすることでしょう。全体での平均値に比べ、実際の値が「高かったり低かったり」するからこそ全体の平均値は予想値として安全(大外ししない)というわけです。

■ひっくるめて残るコト

身長を予想するなんていかにも教科書みたいな事例はさておき、ビジネスシーンで予想したい「人間の気持ち」「人間の行動」を考えてみましょう。

人間はインセンティブに基づいて行動します[*4]。ある行動を行うか否かは、その行動を行うべき理由と行わないべき理由を比較して決定されています。行動に限らずある意見を持つか否か、ある気持ちになるか否かについても同様です。これを損得勘定とかメリットとデメリットと言ってしまうとなんだか金銭問題のみのように感じてしまいますが、「行うべき理由と行わないべき理由」は金銭的なモノには限定されません。これは完全に主観的な問題です。

世の中にはいろんな人がいます。自然に囲まれた田舎でのんびり暮らしたいという人もいれば、都心部じゃないと生きていけないぞという人もいます。そして社会の理想像についても、みんなで平等に楽しく暮らしたいという人から、むしろ他の人より自分が上なことがなによりの快感だという人まで様々です。

こんななかで、「平均的な人のインセンティブ」を考えるとき……残るモノは何でしょう。都会がいいとか田舎がいいとか、平等がいいか自分だけ豊かなのがいいとか。そういった人によってそれぞれな「好み」の部分は平均をとると打ち消しあってしまいます。その一方で、平均をとっても消滅しないインセンティブの元は、「損より得の方がいい」「(他の条件が一定ならば)貧乏より金持ちの方がよい」というポイントでしょう。

特に事前情報がないとき、相手の行動原理の予想として最も安全なのは「この人は”金銭的に損よりも得な方がいい”と思っている」と考えておくことです。僕が「金のことばっかりいう」のは、僕が守銭奴だからではありません。不特定多数の人に話すに際して、大きく外さないで話題を選ぶとどうしても金の話に傾かざるを得ないのです。

だれかの行動や感情を予想するとき。まずは「この人は”金銭的に損よりも得な方がいい”と思っている」と予想し、その後に追加情報を得るにつれて予想の絞り込みを行う。そうすることで第一印象や経験則だよりではない読みが可能になるでしょう。

* * * * *

*1 正確には、外れのダメージが「外し方」の自乗に比例するような場合を指します。
*2 「そんなことはない」という方は、ぜひその方法を教えていただければと思います。ノー・ヒントで人の心を読む方法があるのなら本当に嬉しいです。
*3 ちなみに、平成7年の20歳平均身長が171。1cmとのことなので、現在の30歳の平均身長もこんなとこでしょう。マニアな人のために……Xさんの身長が171。1cmなんてことは「めったにない」どころではなく確率0でしかあり得ませんよね。
*4 もう少し詳しく言うと、人間行動の基礎を「インセンティブ」と呼んでいるという話なのでこの表現は正確ではありません。

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プロフィール

1975年生まれ。駒沢大学経済学部准教授。著書に『経済学思考の技術』『ダメな議論』、共著に『論争 日本の経済危機』『セミナール経済政策入門』などがある。

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