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飯田泰之の「ソーシャル・サイエンス・ハック!」

気鋭の若手経済学者が、社会問題・経済問題を、Hacks的な手法を用いて、その解決策を探る。

第9回 タダほど高いものはない?

2007年7月17日

■機会費用

先週のエントリでは、あなたの年収を労働時間で割った金額を時間時給と呼びました。この種の自分時給を算出する理由は、作業効率のチェック等の技術的なもののみではありません。もうひとつの……そして経済学的な理由は「機会費用」の存在です。

通常、費用・コストというと金銭的な支出を伴うものばかりに目がいってしまいます。しかし、経済学の考える「費用」はこれよりももう少し広い意味を持っています。これを機会費用の概念といいます。機会費用は「何かを行う際に犠牲にモノ・事・金」とまとめられるでしょう。まぁ、こんな木で鼻を括ったような定義だと腑に落ちない感じが残りますから、ここは具体例で考えていくことにします。

■「無料ご招待セミナー」に参加するコスト

無料だって言うんだからコストはゼロ……ではないですよね。本当にコストがゼロならば世界中のすべての人がそのセミナーに参加するはずです[*1]。セミナー自体が無料でも交通費がかかるからでしょうか。それもあるかもしれません。

しかし、もっと重大なことは「そのセミナーに参加すると、“そのセミナーに参加しなければ出来たこと”が出来なくなってしまう」という機会費用の存在です。最も単純なものとしては「そのセミナーに参加しなければ、残業やバイトで3000円くらい稼げたはずだ」という金銭的なものがあげられます。3000円を捨ててセミナーに参加するということは「セミナー参加に3000円支払っている」ことと同じじゃないですか。自分時給を頭の片隅においていくと、この種の「目に見えない費用」の見落としを防ぐ効果があるというわけです。

皆様が今読まれているこのblogも購読にお金はかかりません。その一方で、私の書く文章は……まぁ少なくとも価値はマイナスではないと思います[*2]。にもかかわらず、読者が爆発的に多いワケではないのはなぜでしょう? この答えも機会費用です。私のエントリを読んでいるとあなたの貴重な10分間が失われてしまいます。それによって、10分の自分時給や他のもっと楽しくて役に立つwebコンテンツを読む機会を失ってしまうことになる。だから、僕のエントリを読む人はそう多くはないというわけ。

さて、ここでちょこっとだけ表題の「Social Science Hacks!」してみましょう。30歳以下の若者層では、ネットの利用時間が長いほど収入が低いといわれます。保守良識派の人がとびあがって喜びそうなお話しですね。ネットが人間をダメにするという証拠が出たわけですから。でも、よ〜く考えてください。webコンテンツを楽しむための金銭的支出は限りなく0に近い。すると……webコンテンツ利用のコストって何でしょう。このように考えを進めれば、「ネットの利用時間が長いほど収入が低い」という調査は至極当たり前の事に過ぎないことに気づくことでしょう。

■実は経済学の生誕の地なのです

経済学者はたいてい機会費用概念を説明するのが大好きです。私は、その理由の一つは機会費用の発見によって現代につながるスタイルの経済学が発足したからではないかと思います。

経済学の誕生というとアダム・スミスか? それとももう少しマニアックにフランソワ・ケネーか? と思われるかも知れません。しかし、アダム・スミスの『諸国民の富』を読む限り、その内容はそれほど現在の経済学のスタートラインになっているとは思われません。むしろ、金銭問題を学問的に取り扱ったはじまりである点で歴史的転機だったと考えたほうが良さそうです。ケネーの『経済表』も同様で、経済学というより経済統計の父と言った方がしっくり来ます。

もったいつけてしまいましたが、私が考える経済学の父はデビット・リカード、そして彼の比較優位説です*3。リカードによって、「数学的な論理の力を借りて整理した議論で経済問題を考える」という現代の経済学につながるパターンがスタートしたと考えています。

比較優位説は、当時の政策立案に影響力があった[*4]重商主義批判、具体的には英国への農産物輸入を阻害する穀物法批判から生まれた学説です。比較優位説の結論は「自由貿易は貿易に参加するすべての国の経済的な豊かさを向上させる(少なくとも悪化する国はない)」というものです。

教科書にはっきり書かれていないことが多いのですが、比較優位説は機会費用概念そのものです。各国は他国よりも低い機会費用で生産できる財(比較優位財)に特化し、比較優位財を輸出して、そうではない比較劣位財を輸入することで一国全体で利用可能な財の量をふやすことが出来ます。

さて、この比較優位説をビジネスシーンに応用してみましょう。これまた古典的な例ですが、世の弁護士は、その人の経理などの事務処理の能力がいかに優れていても、通常は秘書を雇います。雇い入れた秘書よりも自分の方が事務処理が得意なのにもかかわらずです。なぜでしょう。

答えはまたまた機会費用にあります。弁護士が弁護活動の手を止めて、事務処理に時間を割くことには大きな機会費用が存在します。事務処理よりも弁護活動の方が(たいていの場合は)収入も多いでしょうから。したがって、この弁護士氏はその秘書に比べ事務処理の絶対的能力は高い(これを絶対優位といいます)ものの、機会費用を考慮すると秘書に対して事務処理について比較劣位にあるのです。比較劣位にある活動は輸入……この場合はアウトソーシングすべきです。

みなさんの身の回りの作業で、たしかに自分も結構得意(絶対優位)だけど、実は比較劣位だという活動はありませんか? もし思い当たる節があれば、思い切ったアウトソーシングを検討してみてはいかがでしょう。

* * * * *

*1 そのセミナーにはなんらかの価値があるとします。参加すること自体が苦痛な講演会ってのも結構ありますが、それはひとまずおいておきましょう。なお、「本当にタダなら世界中の全員が参加する。しかし、現実にはそうではない。だから実際にはタダではない」という背理法チックな考え方は非常に経済学的だと、僕は、思います。
*2 というか思いたいです。誰かそういってやってください。
*3 アインシュタインが「経済学の結論なんてどれも当たり前で分かりきったことばかりじゃないか」と切り捨たのに対し、サミュエルソンが「比較優位説はそうでもないじゃないか」と返したという伝説がありますが……これってホントの話なんですかね。
*4 というか、いまでも「貿易黒字は善い!赤字は悪い!貿易赤字になるから自由貿易はよくない」という重商主義は政策に大きな影響を与えています。

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プロフィール

1975年生まれ。駒沢大学経済学部准教授。著書に『経済学思考の技術』『ダメな議論』、共著に『論争 日本の経済危機』『セミナール経済政策入門』などがある。

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