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飯田泰之の「ソーシャル・サイエンス・ハック!」

気鋭の若手経済学者が、社会問題・経済問題を、Hacks的な手法を用いて、その解決策を探る。

第7回 人生のお値段と転職のタイミング

2007年7月 2日

■とりあえず知っておきたい自分の値段

心の中に何らかの「おきまりの基準」を持っておくと、もやもや感はだいぶ軽減されますし、意志決定の助けになってくれます。Life Hacks! は文字通り人生を支配する方法ですから……ここはひとつ「人生に関するおきまりの基準」を考えてみようじゃないですか。なんの話が始まったのかわからない? いえいえ話の内容は前回に引き続き割り引き現在価値のお話です。

幸か不幸か、私たちのほとんどは働かないことには喰っていけません。そこで、割引現在価値を使って私たちの仕事のお値段を出してみようというわけです。自分の値段がわかっていると、転職やリタイアの目安を測ることができるんです。

まずは自分自身が一生で稼ぐことのできる金額が今現在いくらくらいのものなのかを計算してみましょう。これは、例えば、「これから60歳までただ働きをするかわりにいくらもらえばいいか」という計算になります[*1]。

あなたは現在35歳、勤続10年のサラリーマンとします。現在の年収は700万円[*2]。今後の出世はほぼ人並みになりそうだとしましょう。
 まずは割引率の設定です。いまどかっとお金をもらうかわりに今後何にももらえないわけですから、これからは資産の利回りで暮らさなければなりません。そこで、借金のない人の割引率である2%をこの計算の主観割引率として使いましょう。
 次に昇給です。これは2000年以降のサービス業主要企業の賃金上昇率[*3]の平均値である2%を使いましょう。
 すると来年の年収は700×1.02万円、これを現在価値に直すためには1.02で割ります。すると、来年の年収の割引現在価値はやはり700万円です。N年後についても事情は同じで、年収は700×(1.02のN乗)万円。これを1.02のN乗で割るので現在価値は700万円です。主観割引率と賃金上昇率が同じ値なため計算は大幅に簡単になり[*4]、700万円×25、つまりは1億7500万円があなたの給与・賞与の現在時点での価値です。
 比較的安定した会社に勤めている場合にはもうひとつ忘れてはならないものがあります。退職金です。退職金いくらくらいもらえるかは各企業の規定により大幅に異なりますが、ここでは公務員の勤続34年時点自己都合退職での掛け率である50ヶ月を使ってみましょう。退職金は基本給部分にのみかかるのがふつうですから2%で伸び続けたあなたの基本給57万円×50ヶ月、つまりは2850万円が予想される退職金です。これを1.02の25乗で割ると退職金の割引現在価値は約1750万円となります。
 したがって、あなたがこの会社を定年まで勤め上げて稼ぐ総額の現時点での価値は1億8750万。つまりは2億円弱となります。あたりゃしないくせについつい買っちゃうジャンボ宝くじは一等前後賞合わせて3億円。35歳のあなたの今後の全労働の1.5倍の価値というわけですね。

■tipsとしてまとめてみよう

いろいろと細かい計算が続いたのでつかれた方もいるかも知れません。そこで、以上の方法を使い勝手がよいように簡易化しておきます。みなさんも自分の今の仕事の価値を計算してみてください。

あなたの労働の価値
=昨年度年収×(60-今の年齢) + 予想退職金÷(1.02の(60-今の年齢)乗)

です。予想退職金は俸給表と退職金規定から求めてみてください。もし、よくわからないという場合はさらに簡略化して、「予想退職金÷(1.02の(60-今の年齢)乗)」の代わりに30代ならば昨年度の年収の2.5倍くらいを足してください。

■意志決定のために使ってみよう

ある日突然に「あなたの今後の全ての労働所得をXX円で売ってくれないか?」というオファーを受けるなんてことはあり得ません。ただし、この思考法は案外使い途があります。それが転職の意志決定です。転職の際に気になることのひとつが「退職金のせいで大損になるんじゃないか?」という疑問です。とはいえ、もっとよい環境の職場に移れるのは嬉しいし……なかなか迷うところです。そんなとき役に立つのが、「結局いくら損なんだ!」という計算です。

現在の会社での年収をX円、転職後の年収をY円としましょう。ふたたびこのまま現在の会社にいた場合に得られる収入総額の割引現在価値は、

25X+(退職金の割引現在価値)
=X×25 + (退職金掛率)×X/12
≒29.2X

です。退職金掛率は公務員のものを参考に50とし、簡単のために年収の12分の1に退職金がかかると仮定しました。一方、転職した場合には現時点で退職金を受け取ることになります。そして転職先での退職金計算は(定年まで勤めるとして)勤続25年のものが使われます。勤続10年自己都合での退職金掛率を6、勤続25年定年での掛率を公務員のものよりやや低い35ヶ月で計算しましょう。すると、転職をした場合の今後の収入の割引現在価値は、

25Y + 6X + 35Y/12
≒0.5X + 27.9Y

となります。ここで両者を比較すると

転職しない場合の収入現在価値 29.2X
転職する場合の収入現在価値  0.5X + 27.9Y

で、両者の差は28.7X-27.9Yとなります。仮に、転職前も転職後も年収が同じだとすると……その差は年収の80%となります。金額に直すと年収700万円の人にとっては560万円ほどです。これが安いか高いかは、やはり悩みどころではありますね。また、転職によって「得になる」のは転職先で得られる年収が3%上がるならば将来収入の割引現在価値は転職をした場合の方が高くなります。これは意外とあり得る数字なのではないでしょうか。

転職をすると退職金の金額は確かに少なくなります。しかし、割引現在価値を計算するとその差は思ったほどには大きくないというわけです。みなさんも一度自分の転職条件を整理してみてはどうでしょう。

 〜〜〜〜〜〜
*1 もちろんこんな契約はありません。労働法に反していますから、お金をもらったらみんな即バックれてしまうでしょう。第一、一度にそんな大金をもらったら累進課税のせいで大損です。あくまでこれからの自分の労働全てのお値段を知るための作業と考えてください。
*2 基本給35万円、手当5万円、ボーナス6.5ヶ月だと年収はほぼ700万円です。本来ならば毎月ごとに割引計算をしなければなりませんが、結果に大差はないので大晦日に年収分を一度にもらうとして計算をします。
*3 厚生労働省『民間主要企業春季賃上げ要求・妥結状況について』
*4 これは偶然や計算を簡単にするための方便ではありません。賃上げ率と安全資産の収益率はだいたい同じ値になります。

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プロフィール

1975年生まれ。駒沢大学経済学部准教授。著書に『経済学思考の技術』『ダメな議論』、共著に『論争 日本の経済危機』『セミナール経済政策入門』などがある。

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