第4回「ニコニコ動画」と「水曜どうでしょう」
2007年6月14日
――アーキテクチャとコンテンツの相性分析試論
さて今回は、前回予告したTwitterとニコニコ動画の共通点に関する考察を深めていく前に、いったん「寄り道」をしてみたいと思います。そのテーマは、「ニコニコ動画で盛り上がるのに適していないコンテンツとは、どのようなものだろうか」というものです。
すでにニコニコ動画については、「どのような動画コンテンツがニコニコ動画で盛り上がるのに適しているのか」に関する分類・分析が数多く存在しています。たとえば最もベタな例を出せば、現在ニコニコ動画でも再生回数の極めて多い動画の一つ、アニメ「らき☆すた」のオープニングムービーには、一聴しただけではどんな歌詞を歌っているのかが聴き取ることができないスピードで歌詞が歌われているがゆえに、ニコニコ動画上で歌詞を正しく推測したり、わざと間違えたネタ歌詞を付与したりする「空耳ゲーム」が盛り上がるという仕掛けが施されていた、というように。しかし、ここで論じてみたいのは、そうしたほとんど自明な事例についてではありません。今回は、普通とは逆のアプローチ、つまりニコニコ動画で楽しむのに適していないコンテンツの特性を明らかにすることで、前回論じたニコニコ動画のアーキテクチャの性質を再確認してみたいと思います。
そこで今回取り上げるのは、「水曜どうでしょう」というテレビ番組です。「水曜どうでしょう」については、すでにテレビ好き/バラエティ好きの間では広く知られていると思われるのですが、その番組の性質上、まだご存知のない方も多いと思いますので、以下に説明していきます。
(さて、ここで唐突ではあるのですが、ここから先の文章は、これまでの「です・ます調」から「である・だ調」に文体を変えて書いていきたいと思います。)
■「水曜どうでしょう」と「電波少年」の差異について(4-1)
「水曜どうでしょう」とは、一言でいえば、元々地方局で放映されていたものが、クチコミによって全国区レベルでも人気を博すに至った、バラエティ番組のことである(★1)。この番組は、90年代後半以降、北海道のローカルテレビ局で絶大な人気を誇っていたが、基本的には北海道を中心とする地方局でしか放送されていなかったため、当然ながら、全国区レベルではほとんどその存在が知られることはなかった。しかし、この番組の存在は、クチコミとインターネット(YouTube以前のことなので、主に「P2Pファイル共有ソフト」)を通じて、徐々に北海道地域以外の若者の間にも視聴されるようになり、人気が広がっていった。この番組は、すでに2002年にはレギュラー放映を終了しているのだが(つまり、この番組は、レギュラー放映が終了してから基本的に5年以上の年月が経過しており、ここでの説明はかなり「いまさら感」のあるものであることを断っておかねばならない)、その後、番組をまとめたDVDが発売されており、最新のDVD売り上げは、10万枚に近い数字を記録しているという(Wikipedia)。また、僕自身はテレビドラマを全く観ないのでよくは知らないのだが、「水曜どうでしょう」は、主に俳優・声優として活躍する「大泉洋」というタレントを輩出したことで知っている方も多いかもしれない。
さて、この「水曜どうでしょう」の内容とは、「おっさん3人と、ひとまわり若いタレントである大泉洋が、バカ話をしたり、ケンカをしたり、ボヤいたりしながら旅をする様子が、デジタル・ハンディカムで撮影されていく」というものである。例えば、どうでしょう初期の企画に、「サイコロの旅」というものがある。これはサイコロの目次第で、東京から博多まで深夜バスにのったり、博多に着いたらまたサイコロを振って東京まで深夜バスで戻ったりと、ただひたすら深夜バスに乗り続けるだけの「旅」である。そして、深夜バスに乗ることで、ただひたすら体力と精神を磨耗してしまう出演陣が、しょうもないバカ話に興じる様子だけが延々と撮影されていく。この「サイコロの旅」で確立された旅のスタイルは、その後も、オーストラリアやヨーロッパやアメリカをレンタカーでひたすら走るだけの旅だったり、日本列島やベトナムを原付で走破したり、ユーコン川をカヌーで下ったり、といった企画にそのまま適用されていった。(「水曜どうでしょう」の企画一覧についてはWikipediaを参照してほしい。)
「タレントがひたすら旅をして、ディレクターがその様子をデジカメで撮影する」というドキュメンタリー・スタイルは、いうまでもなく、1992年から2003年まで人気を博した「電波少年」というバラエティ番組における、猿岩石を初めとするヒッチハイク企画に――その番組を一見すれば誰もが思うように――類似している(★2)。実際、この番組の出演者である大泉洋には、事前に旅の行き先は一切伝えられておらず、ほぼ毎回、「ディレクターたちに無理やり旅に連れて行かれる」という図式から旅は開始される。これはまさに「電波少年」的な構図である。しかし、「水曜どうでしょう」は、いくつかの点において「電波少年」とは大きく異なっているということができる。
・「電波少年」との差異その1:彼らは、別に旅行先で、さしたる大きな課題や目的を達成するわけではない。もちろん、期間内にゴールまで着く等の目的(というよりはスケジュールの制約)はある。しかし、「水曜どうでしょう」には、「移動手段はヒッチハイクのみ」とか、「お金は現地で稼がないといけない」といった厳しい制約条件は課されることはない(そして「電波少年」では、その厳しさが実は「やらせ(過剰演出)」ではないかとして問題にもなっていた)。「水曜どうでしょう」の4人には、「深夜バスに夜通し座るのがツライ」であるとか、「北欧の何もない景色をひたすら見ていたら精神がおかしくなりそうになった」であるとか、「ホテルに泊まれず、テントと車で寝るはめになった」であるとか、「ユーコン川は蚊が多いため、外で用を足す際、局部が蚊に刺されてしまうのを防ぐために、現地製のやたらと威力の強い蚊よけスプレーを吹き付けたら、ものすごく痛くなってしまった」であるといった、ひたすらにヌルい惨劇しか起きないのである。
これは裏返せば、「水曜どうでしょう」には、ベタな感動をもたらすような演出も存在していないということでもある。「電波少年」では、タレントたちのヒッチハイクの旅をドキュメンタリー的に追いかけていくことで、結果的にベタな感動を視聴者にもたらすに至った。当初はバラエティのネタ企画に過ぎなかったものが、結果的にはベタな感動をもたらすドキュメンタリーに転化するということ。その後この図式は「電波少年」だけではなく、例えば「ウリナリ」の《芸能人ダンス部》や、「ウンナンのホントコ!」の《未来日記》、「めちゃめちゃイケてる」の《岡村オファーシリーズ》等にも適用されており、枚挙に暇がない。もちろん「水曜どうでしょう」にも、こうした「感動への転化」が見られないわけではないのだが(さすがにレギュラー放送最終回にあたるベトナムの旅は涙を誘う内容になっている)、基本的に「水曜どうでしょう」の旅においては、上の企画に見られるような、「汗と涙」を強調する演出は前景化していない。すなわち、「水曜どうでしょう」には、「やらせ」の疑惑をかきたてるような過剰演出は存在しておらず、ただひたすらに「等身大の日常」が描かれるだけなのだ。
・「電波少年」との差異その2:旅をするタレント(大泉洋)が、《普通に》面白いということ。当たり前のようなのだが、これが何よりも「水曜どうでしょう」の魅力の一つである。というのも、「電波少年」の猿岩石にせよ、ドロンズにせよ(他にも沢山いたが忘れてしまった)、「電波少年」に出てきたタレントは、本当に単に「若手芸人」というだけであった。彼らの素材としての面白さは、帰国後の彼らの状況を見ればわかるように、ほとんど存在しなかったのだ。ある日、電波少年のディレクターに拉致され、惨劇的状況に叩きこまれるという《テレビの暴力的な一撃》によって成立する面白さ。帰国直後、彼らは確かにヒーローになるけれども、その後すぐに飽きられてしまうという酷薄な事実。こうした残酷さの裏側には、「テレビの演出の力によって、どんな素人であっても、つまらない人間でも、カメラさえ向けてしまえば、いくらでも面白くできる」という、ある種の哲学のようなものが存在していたということができる。
ちなみに、この種の「残酷なテレビの哲学」については、すでに複数の論者から重要な指摘がなされている。例えば斎藤環は、『「負けた」教の信者たち』(中公新書ラクレ、2005年)の中で、当時打ち切りが決定された「電波少年」について、次のように論じている。「電波少年」とは、1985年にスタートした「天才・たけしの元気が出るテレビ!」以降連綿と受け継がれる、「バラエティとドキュメンタリーの相互乗り入れ」という手法を展開する番組だった。そして斎藤によれば、この手法においては、もはや現実(ドキュメンタリー)と虚構(バラエティ)の間に、明確な境界線は存在していない。むしろテレビの映し出す虚構は現実さえも飲み込んでしまう。そして視聴者は、「やらせ」(過剰演出)によって生み出されるリアリティこそを、人々は求めていたというのだ。また北田暁大は、「元気が出るテレビ」以降、90年代も連綿と引き継がれていったバラエティ番組の手法について、『嗤う日本の「ナショナリズム」』(NHK出版、2005年)の中で、「(引用者注:「元気が出るテレビ」は、)内容的にはとり上げるには値するとは思えないような対象を、大げさなまでのドキュメンタリー的手法――「お約束」を肥大化させたもの――によって料理し、お約束に対する嗤いを生み出す。それはいわば、テレビ自身が、《あらゆるテレビ番組はヤラセ(演出的)である》という残酷な真理を告白しているようなものだ」と表現している。
しかし、「水曜どうでしょう」の特殊性は、「ドキュメンタリーとバラエティの相互乗り入れ」という手法こそ採用されているものの、この種の「残酷さ」がほとんど存在していない点にある。差異その1でも説明したように、「水曜どうでしょう」には、徹底的までにヌルく、ある意味ではダルイ、まったりとした旅の様子が映し出されるだけである。オーストラリアに行こうが、ヨーロッパに行こうが、ユーコン川に行こうが、そのテンションは変わることがない。そんなヌルい日常が続くにもかかわらず、この番組に登場するタレント大泉洋は、ボヤキやモノマネといった喋り一つで、その旅を極めて爆笑に満ちたものに変えてしまう。例えば、「夏野菜シェフ」の回で藤村Dの家族にパイをお見舞いしてやると脅しかける一連のシーンや、「対決列島」で田中真紀子や鈴木宗男の真似をするシーン、「ユーコン川」で「世界!ふしぎ発見」のモノマネ(司会者から回答者、そして番組を出題するミステリーハンターまで、番組全体を声真似だけで丸々再現してしまう!)をするシーン、「試験に出る日本史」で旅館で相撲を取るシーン等、それは挙げればキリがない。
・「電波少年」との差異その3:旅に同行するディレクターが、番組中にひたすら喋る。この点がおそらく、「水曜どうでしょう」の最大の特徴であり、従来の番組との差異を最も際立てている点である。通常、ディレクターというのは、カメラのフレームの外から、タレントにカンペを出して指示を出したり、ロケの段取りを調整したり、笑い声でタレントを盛り上げたりといった、裏方作業に従事する存在のはずである。それは「電波少年」でも同様で、件のヒッチハイク企画でも、同行するディレクターの存在はほとんど前面に出てくることはなかった。そして「水曜どうでしょう」の藤村ディレクター(以下、藤村D)も、番組初期においては、いわゆる「スタッフ笑い」を提供するだけの存在だったのだが、番組が進むにつれ、タレントである大泉洋と、互いにツッコミや罵倒を応酬しあう存在として台頭していくことになる。
とはいえ、この藤村Dは、カメラのファインダーに意図的におさまることはない。映るとしても、それはあくまで一瞬であり、それも「申し訳ないように映りこんでしまう」(テレビ番組で、カメラがスタッフの側に向いたとき、瞬時にスタッフが顔を隠したり屈んだりしてフレームの外に出ようとするあの身振りを想起してみてほしい)だけなのである。しかし、このディレクターは、おそらくどの回でも、タレントをさしおいて一番喋っているといっても過言ではない。実際、何度か紹介している「ユーコン川」をカヌーで下るという企画では、第一回で、同行するガイドの女性に、「ディレクターがそんなに喋っていいんですか?」と指摘されてしまっているほどだ(★3)。さらに、番組中のナレーションや次回予告、「この番組は○○の提供でお送りしています」というメッセージに至るまで、同じく藤村Dが声をあてている。つまり藤村Dは、視聴者のフレームの内側には「目」に見える形では存在しないにもかかわらず、視聴者の「耳」の水準において圧倒的な存在感を確保しているのである。
以上の説明を要約しておけば、「水曜どうでしょう」は、表層的な番組のスタイルは「電波少年」に酷似しながらも、1)厳しい旅の制約条件等はなく、基本的にヌルい旅がまったりと展開され、2)大泉洋という存在が、どんなヌルイ旅でも面白くしてしまうのに加えて、3)裏方であるはずのディレクターが、フレーム内には映らないものの、その声において圧倒的な存在感を持っている、という3点において、「電波少年」とは大きく異なっている番組だということができる。特に最後の3点目については、「電波少年」との比較という観点のみならず、その他数多くのバラエティ番組と比べてみても、かなり際立った特徴だということができるだろう。
ちなみに、ここで「水曜どうでしょう」と「電波少年」を比較して説明したのは、単に両者が「似ているから」というだけではない。その裏側には、次のような文脈がある。先ほども触れた、斎藤環や北田暁大らの見立てによれば、「電波少年」という番組は、80年代から00年代への移り変わりを象徴するような番組でもある。すなわち、80年代においては、テレビをアイロニカルに消費するという「ギョーカイ文化」が花開き、そして90年代後半以降、そうしたアイロニカルな文化は徐々に変質し、むしろ視聴者はテレビに対し「ベタな感動」を求めていく形へと――宮台真司であれば「ネタからベタへ」と呼ぶように――短絡化していくに至った。斎藤の考えでは、「元気が出るテレビ」から「電波少年」に至るまで、そこには「「やらせ」がある可能性に十分自覚的でありながらも、(中略)それをリアルなものとして受け止めてしまう」という「やらせのリアリティ」が存在しており、それは裏面では、「テレビで映し出される物事には常に《楽屋裏》がある」というメディア・リテラシーを視聴者に与える効果を宿していた。しかし、2003年の「電波少年」の打ち切りという事態は、こうしたテレビの保持していたアイロニカルな文化がいよいよ失墜したことを示唆していると、斎藤は論じている。そしてこうした過程は、単にテレビ文化の枠内に留まるものではないと北田は考える。そこには、80年代のテレビ文化に宿った「消費社会的シニシズム」から、00年代の2ちゃんねるを中心に発現した「ロマン主義的シニシズム」へと呼ぶような社会的な変動があると、北田は論じているのである。
こうした社会批評的な文脈から、「ポスト電波少年」(★4)としての「水曜どうでしょう」の内容分析を行ってみるのもよいだろう。だが、ここではあくまでニコニコ動画というアーキテクチャとの「相性」について考えることを本題にしていたのだった。「水曜どうでしょう」自体の説明は、これくらいにしておこう。
■「水曜どうでしょう」と「ニコニコ動画」の相性について(4-2)
さて、実に前置きが長くなってしまった。本稿の主題は、この「水曜どうでしょう」という番組を、ニコニコ動画で視聴するのは適していないのではないか、というものだった。これは極めて素朴な言い方をしてしまえば(★5)、「水曜どうでしょう」の動画をニコニコ動画で視聴する際、そこに流れるコメントは、「とにかく邪魔くさいもの」にしか感じられなかった、ということなのである。単にコメントの文字列が、動画コンテンツの視聴を「視覚的に」邪魔してしまうから、という意味でそういうのではない。おそらくそこには、次のような「水曜どうでしょう」の視聴体験の特質が関係しているように思われる。すなわち、「水曜どうでしょう」にハマっている視聴者は、文字通り、「水曜どうでしょう」の4人が旅をしている空間に、限りなく内属(没入)した状態にある。もっと砕いた表現をするならば、「水曜どうでしょう」の視聴者は、「5人目の旅行者」として、その旅に参加しているかのような感覚にあるということだ。ただし、これは単なる印象論ではない。こうした感覚が効率的に生み出されるにあたって、先ほど挙げた最後の特徴、藤村Dの「声」による効果は極めて大きいからである。
それはどういうことだろうか。藤村Dのフレーム外から響き渡る声は、ちょうど、テレビを見ながらそのスクリーンに向かって思わずツッコんでしまうような所作を――テレビに向かってツッコんでしまうというのは、テレビの視聴者の一部が、ついついやってしまいがちな行為だが――常に先回りして代理する効果を持つ。この効果によって、「水曜どうでしょう」の視聴者は、「テレビに向かってツッコミを入れる」という発話行為がもたらす「リスク」を免除されることになる。そしてその負担免除の効果によってこそ、「水曜どうでしょう」の視聴者は、スクリーンの向こう側で展開されている、ヌルくてダルい「まったりした旅」へとジャックインすることができるのではないか。
それでは、「テレビに向かってツッコミを入れる」という発話行為がもたらす「リスク」とは何か。テレビに向かってツッコむという行為は、テレビに対して「距離を置く」ということを意味しており、これは単純に考えれば、テレビへの内属を阻害(疎外)してしまうことに繋がる。例えば、日頃からテレビに対してツッコミを入れながら観ている人なら必ず体験したことがあると思われるが、テレビを観ながら思わずボソっとツッコんだ直後に、それと全く同じツッコミが、テレビの向こう側のタレントの口から発せられてしまう、ということがしばしば起きる。このとき、視聴者の側には、なんとも言えない「気恥ずかしさ」や「気まずさ」のような感覚がもたらされてしまい(その感覚は、録音した自分の声を聴いてしまったときのそれにどこか似ている)、テレビへの没入感は著しく喪われてしまうことになる。そしてこうしたある種不気味ともいえる感覚は、自分ではないはずの「他人」と、奇妙なシンクロニシティが起きてしまうことに由来している。
これに対し、「水曜どうでしょう」では、フレームの外側に立っているディレクターからツッコミの声が発せられる。つまり、ツッコミを入れる藤村Dの存在は、テレビの外側から内側に対しツッコミを入れる視聴者と、ちょうど同じ視覚的なポジション(=フレームの外側)にあるということだ。これは、視聴者に「誘い笑い(つられ笑い)」を促すために、「観客笑い」や「スタッフ笑い」等の音声を入れる手法の延長線にあるといえるのだが、「水曜どうでしょう」の場合、それは単に「笑う」だけではなく、テレビの内側に「ツッコミを入れる」ところにまで踏み込んでいるのである。そして「水曜どうでしょう」という番組は、この藤村Dという「ツッコミを入れる視聴者の代理的存在」を、視聴者からは《視覚的》に隠蔽する一方、《聴覚的》には強烈に存在させることで、「他者」との不気味なシンクロに「視覚的」に直面するリスクを低減し、「水曜どうでしょう」に擬似的に参加しているかのような感覚を強固なものにしているのである。
以上の考察によって、なぜ「水曜どうでしょう」をニコニコ動画で観ると違和感を抱いてしまうのかに関する理由を明らかにすることができる。ニコニコ動画とは、前回詳細に論じたように、《実際には「非同期的」になされている動画に対するコメントを、アーキテクチャ的に「同期」させることで、「視聴体験の共有」を擬似的に実現するサービス》というものだった。だが、映像の「こちら側」に、なにかしらの共同性が立ち上がってしまうということは、映像の「向こう側」に内属する感覚が阻害されてしまうこと(=映像の「向こう側」から疎外されてしまうこと)を意味する。つまり、ニコニコ動画で「水曜どうでしょう」にコメントが付けられた状態でそれを視聴する行為は、「水曜どうでしょう」に「5人目として参加する」という感覚を、見事なまでに台無しにしてしまうのである。
確かにニコニコ動画は、監修者も述べているように、映像に対してツッコミを入れていくことで、「面白くないものを面白いものに変えられる」というサービスである。また、「面白いコンテンツや懐かしいコンテンツを、みんなで共感して感動を共有する」という効果ももたらしてくれる。しかし、「水曜どうでしょう」のように、「モニタの内側に擬似的に参加することで、面白さを感じるコンテンツ」については、ニコニコ動画というアーキテクチャは有効に機能しないどころか、むしろ阻害/疎外的ですらあるということ。こうした一連の考察は、「動画視聴体験共有サービス」としてのニコニコ動画というアーキテクチャの特性を、より一層明確に浮き彫りにしているように思われる。
■注釈:
★1:後述しているように、、「水曜どうでしょう」という番組は、北海道の地域ローカル番組とはいえ別に「北海道の知られざる/埋もれている魅力」とかを掘り出して、それを紹介する、みたいな番組では全くない。「水曜どうでしょう」には、特に「北海道ローカルならでは」なポイントはなく、しいて言えば、予算が少なくてショボイ、くらいのものだ。しかし、本文でも書いたように、それこそがむしろこの番組の魅力の源泉になっているということができる。
★2:一例を挙げれば、「水曜どうでしょう」と「電波少年」の類似性については、例えば2004年に発行された『Quick Japan』の「水曜どうでしょう」の特集記事でも冒頭で言及されている。
★3:ちなみに、本文で何度も言及した「ユーコン川」をカヌーで下るシリーズは、インプレスTVで無料で視聴することができる。→水曜どうでしょう - 無料番組(インプレスTV)
★4:「ポスト電波少年」とはいうものの、「水曜どうでしょう」のレギュラー放映は、実際には「電波少年」とほぼ同時期にあたる2002年に終了している。ただし「水曜どうでしょう」は、冒頭でも紹介したように、むしろ番組終了後にファンを増やした番組であり、レギュラー放映終了後も1年に1回程度のペースで番組の製作が続けられ、現在もDVDが発売されている。こうした状況を鑑みれば、「水曜どうでしょう」を「ポスト電波少年」と呼ぶことは、それほど見当違いのことではないだろう。
★5:「水曜どうでしょうはニコニコ動画に適していない」というここでの主張は、限りなく印象論に近いことをここで断っておこう。というのも、筆者が確認したところでは、ニコニコ動画上には、水曜どうでしょうの番組は数多くアップロードされている(正確には、ニコニコ動画にアップロードされているのではなく、「Smile Video」等の動画共有サイトに、ではあるのだが)。そしてこれらの動画は、まったくニコニコ動画上で「人気がない」(視聴されていない、あるいはコメントが付いていない)というわけではない(もっとも視聴されているもので、2007年6月13日時点で、再生ユーザーは数万、コメントは数千個程度だった。確かにこの数字は、冒頭で紹介した「らき☆すた」等に比べれば、大きく盛り上がっているとはいえないものではあるが)。また、「盛り上がっていない」からといって、それが直ちに「水曜どうでしょうはニコニコ動画上で楽しむには適していないコンテンツだ」といえるわけではない。もちろん、ニコニコ動画のユーザー層と「水曜どうでしょう」のファン層があまり重複していない可能性だってあるだろう。だから、「『水曜どうでしょう』はニコニコ動画上で楽しむには適していない」という本稿での指摘は、ほとんど僕の「直感」ないしは「印象論」に多くを拠った議論であることを明言しておきたい(飯田泰之氏から見れば、ロジカルシンキング的に失格だといわれても仕方がない!)。本稿では、あくまでその感覚を足がかりにして、アーキテクチャ(情報環境)とコンテンツの《相性》に関する試論を展開してみたいと考えた次第である。
濱野智史の「情報環境研究ノート」
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