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ガリレオの「Wired翻訳裏話」

Wiredの記事選択作業や翻訳作業中に発見したこと、記事に掲載できなかったことなどをいろいろと。

かわいそうな米国のガジェット

2008年7月 8日

 はじめまして。この新しいブログでは、ワイアードの翻訳・編集を担当しているガリレオのチームが、作業の過程で見つけたことなどを掲載していく予定です。

 第一回のテーマは「かわいそうな米国のガジェット」。

 『史上最強のバイク「ホンダスーパーカブ」』という記事にあったYouTube動画。最後のほうで、22メートルの高さから落とされたカブが健気に動き出すシーンがあります。そのあと、レポーターが笑ってカブを突き放すシーンが続くわけですが、あのシーンを見たとき

なんということをするんだ!よくやったとヨシヨシしたっていいじゃないか!

と思った人はけっこう多かったのではないでしょうか。

 『BigDog』という米国のロボットの記事にあった動画に対する日本の読者の反応も、独特のものだったように思います。つまり、テストのために蹴飛ばすシーンがあるのですが、それに対して、蹴飛ばすなよ、かわいそうじゃないか!テストのためならせめて手で押せよ、というような読者の反応がけっこうありました。これらは、日本人独特の感性から来るもののような気がします。

 というのは、米国の本家サイトには、日本であれば普通はこういう記事は作らないな、という記事が時々あるのです。たとえば、製品の耐久性をテストするために製品を「虐待」する、シリーズものの記事があります。その中にあったオリンパス『Stylus 790 SW』についての記事を翻訳して掲載したところ、はてなブックマークには「踏んじゃだめ」というコメントが早速入っていました

 実はもっと過激な記事が米国サイトにはありました。日本の製品(カシオの携帯『G’zOnes』)を扱ったもので、翻訳対象にしようかとも思ったのですが、動画が「残酷」な内容と感じられたこともあってとりやめたのでした。(Review: Casio's Rugged Phone Endures Wired's Ultimate Gadget Abuse Test)

 以下に、記事中の動画を掲載しておきます。地元の高校のアメフトとサッカーのチームがこの携帯を虐待するにもかかわらず携帯はがんばって動き続けるのですが、しかし最後に地面に叩き付けられてしまいます。(上述のオリンパスカメラの記事でも最後は踏まれてしまうのですが、やはり動画だと衝撃度が違います)

 さらに、どうも、英語圏の人には根本的に機械に対する反感や恨みがあるのではないかとすら思われる記事も存在します。読者たちがどうやって機械を破壊したかということがテーマの写真ギャラリー記事です。

 パソコンや携帯電話が銃で撃たれ、火をつけられ、ハンマーでたたき壊されるという、読者が投票した写真が並んでおり、記事の説明によれば「自由の闘士たち」が「機械に復讐する」姿が集められています。(これも「あまりに残酷」なため、翻訳掲載を迷ったものですが、みなさんからのご希望が多いようでしたら掲載を検討してみます……)。

 この「機械破壊」記事は、19世紀イギリスの機械打ち壊し(ラッダイト運動)を思い出させるものでした。機械に職を奪われた人たちの「反乱」ですが、当時のイギリスの法律では「機械や工場建築物の破壊」は死刑で、10数名の死刑が行なわれたとか。それに負けずに運動が数十年間継続したのですから、筋金入りです。

 つまり英米では、機械は命がけで破壊するべき対象であった時代があるわけで、その闘いは「自由のための誇り高い闘い」である、という認識も存在するようなのです。こういった伝統が、前述してきたような諸記事の根底にあるように思います。(そういえば、イスラエルの遠隔軍事ロボが、自爆テロを図った人の遺体を意図的に轢く画像を紹介した記事もありました。人間とロボットはまさに完璧な「敵同士」という画像でした。)

 これらに比較すると、日本の文化はずいぶんと「機械に融和的」であると思います。日本の工場では、産業用ロボットに名前を付けるがそれは日本独特の風習だ、という話は有名ですが、人々は、ロボットを敵というよりは仲間としてとらえてきたようです。

 また、東京で開催された大ロボット博を紹介した記事では、日本ロボットの源流である江戸時代のからくり人形について、社交のための「ソーシャルマシン」だったと紹介していました。それを引き継いでか、『アシモ』なども、実用向きというよりは、おおこんなこともできるのか、と感心したり楽しんだりする対象である傾向が強いようです。

 こういった、江戸時代から現代に至る日本のロボットをめぐる伝統は、「職人芸」のような人間の作業が物に命をもたらし、人々はそれを愛でる、というような世界を感じさせます。それは、戦場用に特化し、「顔」の無い米国のBig Dogに象徴されるような、「産業や戦争に直結した、合理性が貫徹された機械」と、その一方にある「機械を敵として見る人間」というハードな図式とはまったく異なる、日本の優雅な伝統のように思います。

 史上最強のバイクや、耐久性の高い優れた日本の機器。(当然合理性を追求した結果でもあるでしょうが、それだけではなく、)その根底には、日本の伝統として存在してきた、この「機械への愛情」があるのではないでしょうか。

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プロフィール

Wiredの翻訳を担当しているガリレオ。日本国内や世界の様々なところに住む翻訳者や開発者が、ネットワーク上で協業している。Twitterはこちら

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