食べ物をもったいないと思わなくなったのはなぜか
2008年2月22日
(これまでの藤倉良の「冷静に考える環境問題」はこちら)
問1
360円のブタのコマ切れ肉1パックが冷蔵庫にありました。消費期限を3日間過ぎていますが、見た目に問題なさそうです。捨てますか? 食べますか?
賞味期限・消費期限切れ食品が無造作に捨てられる。中国産というだけで捨てられている食べ物もあるのだろう。
昔の人たちは食べ物を大切にした。中高年世代に属する私は子供の頃、大人から「食べ物を粗末にするな!」と言われた。そうしたお説教もあまり耳にしなくなった。
「もったいない」は環境を守るキーワードだが、食べ物を「もったいない」と思う価値観が失われつつある。
昔の人はなぜ食べ物を大切にしたのか。戦中・戦後の飢餓体験があった。モノを粗末に扱わないという価値観を教育されてきた。農家の苦労を実体験していた。体験しなくても近くで見ていた。さまざまな理由があるだろう。
このような社会的理由に加えて、経済的理由もある。昔は食べ物の値段が高かったのだ。
図は、総務省統計局のWebにあるデータから作成したグラフである。勤労者世帯1ヶ月の消費支出に占める食料費の割合である。エンゲル係数という。
エンゲル係数は生活水準を表す指標である。生きてゆくためには、貧しくても食べなければならない。貧しい家庭では他の支出を切り詰めて食料を購入するので、支出に占める食料費の割合は高くなり、エンゲル係数が大きくなる。生活水準が向上すれば、食べ物以外のものにより多く支出するようになるので小さくなる。
日本のエンゲル係数は1951年には51.7%であった。その後、経済成長に伴って低下し、1987年に25%を切った。36年で半減した。2006年は21.7%だ。
1951年といえば、終戦から6年しか経っていない。庶民の口に入るものは粗末な食べ物に限られていた。今ならヘルシー食というかも知れないが。外食などはめったにしなかったろう。それでも勤労者の家庭では、支出の半分が食費に消えた。人々は文字通り「食べていくために」働き、「そんなことでは食べていけないぞ」と大人は若者を説教した。所得と比較すれば食材は高価だった。
だから、昔の人は食べ物を粗末にはできない。捨てるのはもったいないと考える。
私が子供の頃は1960年代で、日本は高度経済成長期に入っていた。それでも、特別なイベントでもないと食べられない高価な食品がたくさんあった。鶏肉とかウナギとかバナナとか生クリームを使ったお菓子とか。食べずに捨ててしまうことには、今でもかなり抵抗がある。だから、10日前のシュークリームも食べてしまう(1月11日のブログ)。
日本人の生活は豊かになった。所得が増えて、食品の価格は相対的に低下していった。何でも手軽に買え、食べられるようになった。誕生日でもなければ食べられないものなんかなくなった。労働から「食べるため」という意味あいが薄れ、働く目的は自己実現とか社会貢献とかに変わった。良いことである。しかし、食品の価格が下がったことで、簡単に捨てられるようになった。
近頃、食品の値上げが続いている。昨年の食用油に続いて、今年4月には輸入小麦が30%値上がりするという。当然、麺類やパンも値上がりする。値上げの理由は、大生産地であるオーストラリアの干ばつ、中国やインドなどの開発途上国の消費拡大、バイオ燃料との競合と様々だが、国外の話である。私たちにはどうにもならない。
食品が高くなれば、「もったいない」の気持ちが再燃するだろう。燃料の価格が上昇すれば、省エネが進むように。
Wired Visionにブログを連載している飯田泰之さんは著書『ダメな議論』で、輸入食品の価格が高騰すれば、国内で農業が相対的に有利な産業になり、国内農業生産が増加すると指摘している。価格高騰から国内農業生産の増加までには相当のタイムラグがあるだろうが、長期的に見ればそうかもしれない。そうなれば、冷凍ギョーザ事件がきっかけで話題になっている食料自給率も向上する。
再び質問。
問2
1枚3,200円のステーキ用霜降り和牛肉が4枚、冷蔵庫にありました。消費期限を3日過ぎていますが、見た目に問題なさそうです。捨てますか? 食べますか?
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藤倉良の「冷静に考える環境問題」
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