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藤倉良の「冷静に考える環境問題」

わかること、わからないこと、できること、できないこと・・環境問題を冷静に考えてみる。

私たちはどうすれば良いのかという難問

2008年4月18日

(これまでの藤倉良の「冷静に考える環境問題」はこちら

■ペットボトルのリサイクル その2

 前回のブログが、dailyとweeklyのアクセスランキングに入った。リサイクルに対する関心が高いのだろう。 
 その後、専門家から次のようなご指摘を頂いた。

環境省資料では「平成16年度に分別回収された24万トン(238,469トン)のうち、再利用(再商品化)されたのは23万トン(231,377トン)。再商品化率は97.0%」となっている。しかし、ここでの再商品化率とは、市町村が分別回収したペットボトルをリサイクルルートに引き渡した割合であり、実際にリサイクル製品にされた量ではない。
 リサイクル過程で発生する残渣やロスを引いた歩留まりは、平成17年度では84%ぐらいあったが、平成18年度は74%に低下した。しかも、この数字は中間原料の段階までであって、最終的にどれくらいがどのような製品になっているかまではわからない。

 3万トンしかリサイクルされていないということはないにしても、23万トンの全部がリサイクルされて製品になっているわけでもないそうだ。途中で中国に輸出されたとしても、それによって中国の資源消費が抑えられるのだから、輸出がただちに環境に悪いとは言えないが、いずれにしても、国内でのリサイクル量は「わからない」。この点については、リサイクルに協力している市民に対して、国や業界団体がもっと正しく情報提供する努力が必要だ。

 考えなければいけないことは、武田さんも指摘しているように、ペットボトルのリサイクルが大量消費の免罪符になっていないかということだ。「リサイクルしているからいいじゃないか」と安易に消費することが環境負荷の増大に結びつく。

 それでは、牛乳ビンのように店で回収して再利用するリターナブルが良いかといえば、重いガラスビンの輸送にはエネルギーが必要であるし、洗浄すれば排水も出る。リターナブルといえども環境負荷は避けられない。むしろ、ペットボトルのようなワンウエー・ボトル(最近は「使い捨て」と言わなくなった)の方が、環境負荷が小さくなる場合もある。

 どうすることが最も望ましいのか。答えは、経済学者の言う「費用の内部化」にある。

 ペットボトルの回収は市町村の税金で行われている。事業者の義務は回収されたものの再商品化から先である。つまり、ペットボトルを全く利用しない人も、他人が使ったペットボトルの回収コストを市民税の一部という形で負担している。費用が外部化されている例である。

 費用を内部化するためには、回収から再商品化までのリサイクルすべてにかかる費用を事業者の負担にすればよい。そうなれば、事業者は回収コストを下げる努力をする。それでもコストをゼロにまではできないから、残りは飲料の価格に上乗せされる。

 飲料の価格が上がれば、売り上げが落ちる。事業者と消費者がペットボトルのリサイクル費用を全額負担した結果そうなるのだが、飲料メーカーは売り上げ低下が困るので費用の内部化に反対する。政治家がそうした反対にひるまずに新制度の導入を決めなければ、費用の内部化はできない。

追記(4月18日)
 前回ブログで、武田さんが再生利用されたペットボトルを3万トンと推定していることについて、その根拠を「見たことがない」と書いたが、ご本人から、日経エコロジー2007年11月号pp.68-79に根拠が掲載してあるとのご指摘を頂戴した。ご本人のブログにもその一部が掲載されている。ご指摘頂いた武田さんにお礼申し上げます。

■私たちはどうすればよいのか

 環境についてものを書いたり、話したりすると、最後に必ず出てくるのが、「では、私たちはどうすればよいのか」という問いである。もちろん、ペットボトルをきちんと分別して回収に出す、マイバッグを持参してレジ袋は断る、電気の無駄使いはしない、なるべく自動車にはのらない、などなど、「小さなことからコツコツ」やることは大事だ。でも、それだけで十分かとも思う。

 持続可能な社会の達成のためには、社会全体で環境負荷を減らさなければならない。そのためには、環境負荷の大きい行為にはそれ相応の大きな経済的負担が伴い、逆に環境負荷を下げれば経済的メリットが得られる社会に制度を変えていけば良い。そして、制度を変えるのは政治家だ。

 日本は民主主義国家だから、市民がそうした考えをもつ政治家や政党を選べば良い。もちろん、世の中、環境問題が全てではない。福祉や教育や外交や道路建設や、いろいろのテーマがある。何が重要なのかは人によって違うが、それぞれの有権者が考える環境の優先順位がもっと上がってきてほしい。

 以前は、「環境は票にならない」と言われた。政治家が自然保護みたいなことで一所懸命働くと、地元の支持が得られなくなって、次の選挙で落選した。1997年に地球温暖化防止京都会議の議長を務め、京都議定書をとりまとめた大木浩環境庁長官は、直後の参院選で落選した。そういう面は少しずつ変わってきていると思いたい。そして、道路財源確保のためではなく地球温暖化対策のために「ガソリン値上げ隊」の旗を振る議員が現れて、その人に有権者の支持が集まるようになれば、世の中は変わる。

 アメリカでは連邦議員の環境関連法案に対する議会での投票行動をチェックして環境問題に対する姿勢を点数化し、有権者に知らせる活動をしているNGOがある。

 1963年の統一地方選挙で公害対策を掲げて横浜市長に選出された飛鳥田一雄氏は、日本の公害対策のきっかけを作った。1967年に東京都知事に選出された美濃部良吉氏も公害対策で手腕を発揮し、支持を集めた。1971年に事前の選挙予想を裏切って川崎市長に勝利した伊藤三郎氏は、公害対策を前面に打ち出して市長選に臨んでいた。

 1970年に佐藤栄作内閣総理大臣が公害対策を決意し、いわゆる「公害国会」で環境関連14法案を一度に可決させ、公害対策に向けて国の制度を大転換させた背景には、こうした地方の首長選挙の流れがある。 

 昔の公害と比べると、ゴミ問題や温暖化問題は目に見えにくいし、誰が被害者で誰が加害者なのかわかりにくい。当時のような急激な変化は難しいかもしれないが、有権者のひとりひとりがそういう目をもって投票に行けば、社会はまた変わる。

■ありがとうございました

 隔週半年のお約束で連載させて頂いた私のブログも、今回で任期満了となりました。短い間でしたが、お付き合い頂きありがとうございました。

 最後に宣伝です。有斐閣から今秋、共著で『環境科学入門(仮題、たぶんタイトルは変わります)』を出版する予定です。数式や化学式を使わずに環境科学を解説した入門テキストです。ご関心あれば、書店でお求めください。

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プロフィール

1955年生まれ。法政大学人間環境学部教授。専門は環境国際協力。著書に『環境問題の杞憂』,訳書に『生物多様性の意味』などがある。