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藤倉良の「冷静に考える環境問題」

わかること、わからないこと、できること、できないこと・・環境問題を冷静に考えてみる。

ペットボトルのリサイクルは駄目という説に対する反論が目立たない理由

2008年4月 4日

(これまでの藤倉良の「冷静に考える環境問題」はこちら

■リサイクルを否定する理由と反論

 ペットボトルのリサイクルは環境に悪いから行ってはいけないという本『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』がベストセラーになった。著者の中部大学教授武田邦彦さんはテレビにも頻繁に出演して話題になった。

 これに対して、反論本[注1]の出版やWebでの批判(安井至さん:市民のための環境学ガイド)が現れ、討論会がテレビや雑誌でおこなわれた。これらを眺めていて、リサイクル肯定派の意見が通ったので議論は決着したように思っていた。しかし、世の中ではそうは受け止められていないようだ。3月に傍聴に行った環境科学者の会合では、ボヤキが聞こえてきた。なぜ、そういうことになったのか。

 温暖化懐疑論を唱える人は日本にも複数いるが、ペットボトルのリサイクルを否定する人は私の知る限り、武田さんだけのようである。だから、ここでは武田さんの論点から主要と思われる3点を選び、それに対して出されている反論をあわせて示す。

否定する理由1
 ペットボトルは回収されても、再利用されているのはそのうちのごくわずか。平成16年には分別回収された24万トンのうち、再利用されたのはわずか3万トン。残り21万トンはリサイクル施設からごみとして出された。

1に対する反論(環境省資料「ペットボトルを始めとした容器包装のリユース・デポジット等の循環的な利用に関して考えられる論点の例」
 平成16年度に分別回収された24万トン(238,469トン)のうち、再利用(再商品化)されたのは23万トン(231,377トン)。再商品化率は97.0%。

否定する理由2
 1本のペットボトルを作るのに必要な石油は重さにしてその2倍だが、リサイクルしてまた作るには7倍の重さの石油が必要である。リサイクルしないで、燃料として燃やしてしまった方が良い。

2に対する反論(国立環境研究所、森口祐一さん[注2])
 1本のペットボトルを作るのに必要な石油はその2倍だが、一般的に行われているペットボトルから卵シートや繊維を作るマテリアル・リサイクルに必要な石油は、ペットボトル重量の5分の1以下。いったん化学分解して、またペットボトルを再生するケミカル・リサイクルにしても、必要な石油はペットボトル重量の半分からほぼ同量。

否定する理由3
 新品のペットボトル1本を作るのに必要な費用は約10円だが、リサイクルにかかる費用は33.6円。費用が3倍かかっているということは、エネルギーも3倍かかっているということ。

3に対する反論(国立環境研究所、森口祐一さん)
 ペットボトルは効率的に収集すれば1キログラム(約33本)を100円以下で収集できる。マテリアル・リサイクルにかかる費用も1本10円程度。そもそも費用が3倍かかるから、エネルギーも3倍必要であるという議論がおかしい。

 1と2の議論では、双方が主張する数値が違っている。武田さんは、「国のデータが信頼できない」から、「独自に計算」したデータを使っていると言う。しかし、環境省が実数を何倍もゴマかしているとはちょっと思えない。また、武田さんがPETボトルリサイクル推進協議会から引用したとする「再利用量」データは、「捏造」であるとデータ元とされた同協議会が指摘している。武田さんも協議会や環境省のデータが信じられないと主張するのならば、「独自」の計算の根拠を示すべきだが、見たことがない。

 3の議論は、かなり前から武田さんが主張している。しかし、森口さんや安井さんが指摘するように、「お金が3倍かかるから、エネルギーも3倍かかる」という主張は理解できない。金額とエネルギー消費は必ずしも比例しない。グリーン車に乗るには普通車の2倍近いお金が必要だが、だからグリーン車での移動は普通車の2倍エネルギーを消費するとは言わない。リサイクルも同じ理屈である。人手を使って、分別収集すれば人件費がかかるのは当たり前だが、それによって化石燃料の消費が増えるわけではない。

■お金にならないリサイクルだから法律で義務化された

 回収から販売までのリサイクル総費用が新品の製造コストより安かったら、リサイクルは黙っていても勝手に行われる。

 江戸時代には様々なものがリサイクルされていた。それは、原材料を調達して製造するコストが、中古品を回収したり修理したりするコストに比較して高かったからにすぎない。ちょっと前まで、ビール瓶や一升瓶はどこの酒屋に持っていっても、必ず引き取ってもらえたうえにお金ももらえた。これも同じ話である。ビール瓶を新たに作るより、多少のお金を払ってでも酒屋で回収して、再利用した方が安上がりだったからだ。

 リサイクルが進まないとすれば、それは新品を作るよりコストがかかるからだ。それを市場原理に逆らって進めるには、法律を作って誰かに義務付けるしかない。

 だから、容器包装リサイクル法では、自治体が回収したものでも、市場価値があり有償で売れるものには、事業者に引き取り義務はない。アルミ缶やスチール缶、ダンボールなどがそうだ。逆に、市場価値がないものは事業者に引き取り義務を負わせた。そうしなければ、誰も引き取らないからだ。ペットボトルやプラスチック容器がそうだ。

 お金がかかるからリサイクルする意味がないとか、してはいけないという指摘は正しくない。

■絶対正しいリサイクルも絶対間違っているリサイクルもない

 地球温暖化に対する懐疑派と肯定派の論争は今でも行われているが、IPCC第4次報告書でほぼ決着がついたように思う。この論争は、地球温暖化に人為的な要因が「ある」のか「ない」のかという白黒決着をつけるということなのでわかりやすい。もちろん、科学的不確実性があるから、今の時点で100%白とか黒とか断言できないが、究極にはどちらかが「正解」となる。

 ところが、リサイクルの場合には、「正しい」か「正しくない」かを白黒決着つけることはできない。リサイクルの「正しさ」は時と場合、場所により変わる白でもなく黒でもない灰色だからである。白に近い灰色であれば、リサイクルした方が良いし、黒に近い灰色であればやめた方が良い。そして、「白さ」「黒さ」を決めるのは、最終的にはコストだ。コストにはエネルギー消費量も含まれる。

 新品を作るよりも多くの資源がリサイクルのために消費される、あるいはより多くの汚染物質が排出されるのであれば、考え直した方が良い。武田さんの独自の計算が正しいのであれば、ペットボトルのリサイクルは止めた方が良い。しかし、リサイクルによって新品を作るより資源の消費や二酸化炭素の発生が抑えられるのであれば、リサイクルは「正しい」選択肢となる。環境省や森口さんの指摘が正しければ、ペットボトルのリサイクルはするべきである。

 そのときにかかる経済的費用を誰がどのように負担するかは、別に考えなければいけない。容器包装のように税金を投入するのか、家電や自動車のようにユーザーに経済的負担を求めるのか。求めるとしたら、いくらが妥当なのか。

 また、製品を作るために希少資源を使うのであれば、相当のコストがかかっても、リサイクルが正しいということになる。携帯電話のリサイクルにはかなりのお金がかかるようだが、金、銀、パラジウムなどの貴金属を回収できる。将来、貴金属が枯渇するコストは大きいから、このリサイクルは「正しい」ということになる。また、得られた貴金属は高価で売れるので、法律で義務付けなくても、企業が自主的に進める。

 こうしたさまざまなコストや判断要因があるなかで、リサイクルが白っぽい灰色なのか黒っぽい灰色なのかが決まる。だから、100%絶対に正しいリサイクルもなければ、100%絶対に間違っているリサイクルもない。

 私はペットボトルのリサイクルはかなり白に近い灰色だと思っている。多くの環境科学者はそう考えているだろう。しかし、絶対に白だとは言い切れない。だから、リサイクルを肯定する研究者の言葉は、いつも条件付きで歯切れが悪い。

 その点、武田さんの言説は一刀両断歯切れが良い。「駄目!」と言明する。しかも、リサイクルは良いという「常識」に挑戦している。だから、マスメディアにも受けるし、市民が受ける印象も強い。結局、多数の研究者の「学者っぽい」指摘よりも、武田さんの断言が勝ってしまう。

[注1] 山本弘『“環境問題のウソ”のウソ』楽工社
[注2] 「ペットボトルのリサイクルは無駄である」説をめぐって大論争、『通販生活』2007年秋季号

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プロフィール

1955年生まれ。法政大学人間環境学部教授。専門は環境国際協力。著書に『環境問題の杞憂』,訳書に『生物多様性の意味』などがある。