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藤倉良の「冷静に考える環境問題」

わかること、わからないこと、できること、できないこと・・環境問題を冷静に考えてみる。

悪いニュースの波──リスクとマスメディア報道について

2008年3月 7日

(これまでの藤倉良の「冷静に考える環境問題」はこちら

 図は、朝日新聞のデータベース『聞蔵』で検索した1993年から2007年までの記事ヒット数である。キーワード検索をしたので、ヒットした記事のすべてがその事項を中心的に取り上げているとは限らないが、傾向をつかむことはできる。

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 朝日以外の読売、毎日、日経、産経の全国紙で見ても朝日と大差はない。テレビやラジオなどの報道も同じと考えて良いだろう。

 環境や健康に関する報道には「波」がある。ダイオキシンに始まって、BSE(狂牛病)、SARS(重症急性呼吸器症候群)、鳥インフルエンザとメディアの関心が移っている。

 世の中には健康に悪いことがたくさんある。その全部に気をつけて生きていくことは不可能だ。だから、危険性の高いものから注意するべきである。飛行機が頭の上に落ちてくるのを心配して空を見上げながら歩くよりも、左右の自動車に気をつけた方が良い。

 危険性の大きさをリスクと言う。飛行機の下敷きになるリスクより、自動車にはねられるリスクの方が大きい。

 なぜ、環境や健康に関する報道は一時期に集中するのか。
報道のきっかけには、何かしらの「事件」がある。テレビで野菜がダイオキシンに汚染されていると誤報された。イギリスで狂牛病にかかってフラフラした牛の画像が流れた。アジアでSARSや鳥インフルエンザによる死者が確認されたなどである。

 気をつけなければいけないのは、報道されたのは「事件」があったからであり、それによるリスクが高まったからではないということだ。日本にいる限り、これらのリスクはどれもかなり小さい。鳥インフルエンザも人から人に感染するようにならない限りはそうだ。先のことはわからないが、2007年までは大きなリスクにはなっていない。

 報道量はリスクの大きさとは無関係に急増する。急減するのもリスクが小さくなったからではない。最初の「事件」に続く「ネタ」がなくなったからである。「人のウワサも75日」というが、メディアも市民も同じネタでは飽きがくる。そして、報道する価値がなくなる。

 リスクが本当に大きい事柄がニュースで大きく取り上げられるとも限らない。日本人が健康を考える上で気をつけるべきリスクは、タバコ、食べすぎ、飲みすぎ、運動不足、ストレス、交通事故だが、そのようなことにはメディアも市民も関心を持たない。「運動不足が健康に悪い!」と大々的に見出しを掲げても、新聞は売れないし、視聴率は伸びない。

 「非常に馬鹿げた、誇張された文章が次々に新聞に載り、強欲な大衆は次々にそれを飲み込んでいく」と新聞報道の有様を嘆いたのは19世紀末のアメリカ人Franklin Leonard Popeである(注1)。いつの世でも、どこの国でも、市民はおどろおどろしい悪いニュースが欲しい。マスメディアはビジネスだから、お客の要求に応えて、怖い話、腹の立つ話を提供する。そうすれば新聞や週刊誌は良く売れるし、視聴率も伸びる。

 実は、まっとうな新聞報道はセンセーショナリズムにあふれているというわけでもない。BSEがブームになっていた頃の朝日新聞の記事を読み返してみたが、不安を煽り立てる記事ばかりというわけではない。リスクは小さい(あるいは大きいとは考えられていない)と冷静に述べている記事も結構多い。しかし、そのような客観的報道であっても、連日、新聞やテレビで集中的に報道され続ければ、市民が冷静でいることはなかなか難しい。

 そして、次にはセンセーショナルな情報が売り物のメディアが登場し、不安を煽り立てる。こうしてブームはピークに達する。

 ブームはそのうち去る。そして、しばらくすると新しいリスクが報道される。アメリカでは「今週のリスク」という言葉があるそうだ。メディアが毎週、目新しい「危険」をどこからか引っ張り出しては、不安をあおるという。

 小さなリスクが過大に受け止められると何がよくないのか。
 私たちの身の回りには、様々なリスクがある。ゼロにすることは不可能だが、なるべく小さくした方が良い。ただし、リスクを小さくするためには資金が必要だ。資金は限られているから、大きなリスクをもたらすものから優先的に対策を実施するべきである。

 ところが、過剰に不安になった市民や政治家が、実は小さなリスクしかないものを恐れるあまり、本当に大きなリスクのあるものの対策が後回しにされることもある。飛行機に気を取られて、自動車にはねられるのはバカらしい。

 最近のメディアは中国産食品の報道に忙しいが、本質を見失わないようにしなければならない。「日本さえ安全ならよいのか」という(中国人ではなく)日本人の指摘にどう応えるか。

 仮に日本が水際で汚染された中国製食品を阻止できたとしても、中国の人たちは逃れられない。対岸の火事のまま放置しておいていいのだろうか。日本の食生活は中国産食品がなければ成り立たないところまできている。中国に省エネ技術を売り込むことも大事だが、食品の安全確保についてお手伝いできることがあれば協力しなければいけない。それが結局は日本のためでもある。

 リスクとマスメディア報道について、参考になる本を2冊ご紹介したい。昨年末には、中谷内さんの本は品切れになっていたが早く再版してほしい。

中谷内一也(2006) 『リスクのモノサシ』NHKブックス
松永和紀(2007) 『メディア・バイアス あやしい健康情報とニセ科学』光文社新書

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注1)Terzakian P. (2006) "A Thousand Barrels A Second"、東方雅美・渡部典子訳『石油 最後の1バレル』英治出版

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プロフィール

1955年生まれ。法政大学人間環境学部教授。専門は環境国際協力。著書に『環境問題の杞憂』,訳書に『生物多様性の意味』などがある。