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藤倉良の「冷静に考える環境問題」

わかること、わからないこと、できること、できないこと・・環境問題を冷静に考えてみる。

科学が白黒つけられないことはたくさんある(その1)

2007年11月30日

(これまでの藤倉良の「冷静に考える環境問題」はこちら

■環境税の使途

 産業界は環境税導入に激しく抵抗していると、前回のブログに書いた。
 経済三団体のうち、日本経団連日本商工会議所は反対の姿勢を明らかにしている。しかし、もうひとつの経済団体である経済同友会では、桜井代表幹事が「環境保全対策をとっていない商品・サービスには、環境税が多く課せられるというような枠組みの環境税が必要である」と発言している。経済界も一枚岩ではない。
 環境税に反対する理由にはいろいろあるが、そのひとつに使途(使い道)が明確でないというものがある。これも前回書いたが、何に使われるかよりも、取られること自体に意味があり、使途はそれほど重要ではない。 

 日本自動車連盟(JAF)は、「平成20年度税制改正に関する要望」の中で、4番目として「環境税については、納得できる使途の説明もないまま、それを導入することに反対」している。私はJAFの一会員であり自動車も運転するが、この要望には賛同できない。
 要望書の1番目は「道路特定財源の一般財源化絶対反対」である。こちらは「反対」ではなく「絶対反対」。
 現在の制度では、ガソリン税や自動車重量税など自動車の利用者が支払う税金は、道路の建設や維持にしか用いることはできない。これを一般会計に繰り入れて、道路以外の公共サービスにも利用できるようにしようというのが一般財源化である。そうなれば、当然、道路の建設・維持にあてられるお金は少なくなる。だからJAFは絶対反対。
 そのような事情があるからか、税金は使途を決めなければいけない、環境税も使途を明確にしろ、という立場をJAFは守らざるをえないのかもしれない。

 税金の使途を限定すると、後になって問題がおきてくる可能性が高い。
例えば、環境税の使途を省エネルギー(省エネ)に限定してしまうとどうなるか。最初のうちはうまく行くだろう。しかし、その結果、省エネ市場が広がり、民間でどんどん進められるようになっても、環境税は省エネにしか使えない。法律を改正しない限り、福祉や教育には使えない。
 では、そうなったからといって法改正しようとすると、それまで環境税を使って省エネをしてきた人たちが一般財源化に絶対反対する。
「省エネには、まだまだ政府の助成が必要だ」と言うだろう。
 こうして、税金の有効活用が妨げられる。だから、税金は使途を限定しないで一般財源に入れる方が望ましい。政府による省エネ支援が必要だと判断される期間だけ、一般財源から支出すればよいのだから。

■IPCC

 さて、2007年のノーベル平和賞は、アル・ゴア氏と気候変動に関する国際パネル(IPCC)に贈られる。地球温暖化(気候変動)対策への貢献に対してである。
 ノーベル平和賞ついては「政治性」が強いという指摘も出ているが、今回の受賞で地球温暖化に世界の関心がもっと集まるとすれば喜ばしいことだ。
 IPCCは1988年に設立された国連の組織である。研究機関ではないので、自ら研究を行うことはしない。各国政府が推薦する科学者が集まり、学術論文などに発表された知見を集め、科学的・技術的・社会経済的な評価を行っている。そして、その結果を政治家や市民に対して伝えるところまでがIPCCの任務である。
 成果は評価報告書として公表される。米国ブッシュ政権が評価に手心を加えるようにIPCCに圧力を加えたという噂も流れているが、評価報告書は政治的に中立でなければならないと公式に決められている。実際にどのような対策をとるのか、あるいは、とらないのかを決めるのはIPCCではない。各国政府の役目である。

 評価報告書はこれまでに4回発表されている。1990年(第1次)、1995年(第2次)、2001年(第3次)、2007年(第4次)である。第4次報告書では、130を超える国の450名を超える代表執筆者が、800名を超える執筆協力者とともに原稿を執筆した。さらに2,500名を超える専門家が原稿を読んで、科学的妥当性を厳しくチェックし、修正した。日本からも30名以上の研究者が参加している。こうして、3年の歳月をかけて取りまとめられた。
 評価報告書は、その時点における地球温暖化の科学に関する最新かつ最も権威ある情報源である。温暖化防止枠組み条約や京都議定書は、評価報告書が示す知見に基づいて作られた。私たちが温暖化についてテレビや本などで見聞きすることも、元をただせば評価報告書に行き着く。地球温暖化に疑問を呈する温暖化懐疑論も、評価報告書に対する懐疑論である。

■IPCCは断言していない

 なぜ今頃になって、温暖化懐疑論が飛び出してくるのかとも思うが、人間活動によって地球が温暖化していると100%断言できるところまで科学は到達していないからだ。ただし、確信は深まっている。

・第1次報告書
「地球規模の気候に人間の影響が認められると考えられる。」
・第2次報告書
「気候に及ぼす人為的効果の寄与について、より説得力のある証拠が近年得られてきている。」
・第3次報告書
「近年得られた、より確かな事実によると、最近50年間に観測された温暖化のほとんどは、人間活動に起因するものである。」
・第4次報告書
「20 世紀半ば以降に観測された全球平均気温の上昇のほとんどは、人為起源の温室効果ガスの増加によってもたらされた可能性がかなり高い。」

 科学はここまで進歩してきた。しかし、2100年の地球平均気温予測値の幅は、逆に広がっている。それまで評価することができなかった要因を計算できるようになったからである。

・第1次報告書
21世紀は10年毎に0.3℃上昇する。その不確実性の幅は0.2から0.5℃。
・第2次報告書
1.0℃から3.5℃の上昇。
・第3次報告書
1.4から5.8℃の上昇。
・第4次報告書
「最も排出量が少ないシナリオ(B1)に対する上昇量は、1.8℃(可能性が高い予測幅は1.1〜2.9℃)と、最も排出量が多いシナリオ(A1FI)では、4.0℃(可能性が高い予測幅は2.4〜6.4℃)と評価される」

 科学が進歩すれば、何でもわかるようになると思いたいが、現実にはそうはいかない。

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プロフィール

1955年生まれ。法政大学人間環境学部教授。専門は環境国際協力。著書に『環境問題の杞憂』,訳書に『生物多様性の意味』などがある。