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藤井敏彦の「CSRの本質」

企業の社会的責任(CSR)とは何なのか。欧米と日本を比較しつつ、その本質を問う。

晴天グローバル、降ったらナショナル?「グローバル企業」と「国際人」を再考する

2009年9月 7日

(これまでの 藤井敏彦の「CSRの本質」はこちら

小生の職業ポートフォリオはWTOとCSRとEUの3つで成り立っております。ということで「国家的」なものと「グローバル/インターナショナル」なものの相克の問題は避けて通れません。たとえば、ラウンド交渉で自国の通商利益を追求するときも、そのことが世界の貿易システムにとって良いかどうかも考えます。両者は多くの場合一致しますが、常にそうとは限らない。時として折り合いをつける必要が生じる。もちろん、小生アル意味特殊な職業についているわけですが、お天道様に顔向けできる正業にある皆様におかれても、現代を生きている限り、物事の評価の軸に関わるひとつの「問題」であり続けるのではないかと思います。この二つは。

今回の出発点を次の言葉に求めましょう。7月に慶應大学で行われたEUセミナーで同大学経済学部の嘉治教授が使われたフレーズです。

“Globally active institutions are international in good times and national in bad times”

飛ぶ鳥を落とす勢いだったウォール街の金融機関。困難に陥ったとき彼らがすがった先は米国政府でした。政府なんて、と小馬鹿にしていた金融のプロ達が。世界中の自動車メーカーを買収してきたGMもアメリカ政府に救済されました。示唆的だったのは、子会社のオペルは切り離されドイツ政府の手に委ねられたこと。一方で、アメリカ議会は自動車産業支援の対象から「日系」アメリカ自動車メーカーをなんとか外そうとした。そして、海外市場で資金繰りに困った日系自動車メーカーのために措置を講じたのは進出先政府ではなく日本政府でした。

2003年、ブラッセルでロビイストだったワタシは欧米企業の対中ロビイストと会うべく北京、上海に飛びました。ある米国ITメーカーの渉外部長の一言は今でも印象に残っています。「どんなにグローバルになっても最後に自分達を救ってくれるのは米国政府であることは決して忘れない」

CSRについてはどうでしょう。実はCSRについても「ナショナル」なものへの「逃避」現象がみられます。グローバル経営を標榜する企業がことCSRになると「日本の価値観」を前面に出す。もちろん、なんら問題ではない。好ましいことです。しかし、それは日本の価値観が「日本以外」の価値観を否定するために使われているのでない限りにおいて。CSR調達に関連して児童労働の問題についてお話すると、つい数年前まで「日本には日本の価値観がある」という「反論」がよくなされました。日本の価値観は非日本の価値観に耳をふさぐために存在しているのではない。ましてや、アンチテーゼとして存在しているわけではありません。

ボーダレスな世の中では「国家」など虚構である。グローバルなビジネスのみが実質である。と総括することは、単純化にすぎるかもしれない。大前健一氏をはじめとする外資系経営コンサルの方々がかつてさかんにぶたれた、国家的枠組みを限りなく彼方の遠景に退ける論は、SF的未来性の予測であったか、浮き足立った過剰な資本信仰であったか、いずれかだったように思います。

企業が「グローバル」から「ナショナル」に逃げ込むとすれば、個人のレベルでは逆方向の逃避があります。若い人の間で国際機関勤務を望む人が増えています。ボクらの世代とちがって英語を苦にしない人が沢山いることもあるでしょう。観迎すべきことです。ただ、ひとつ心配していることがあります。日本社会の現実から逃げる先として国際機関をお考えになっておられるのではないか、と思われる場合が、稀にですが、あること。こんな話を耳にしました。「国際機関に入った若い日本人の一部には内部で自国批判を展開する人がいる。例えば、日本は男尊女卑で最悪の国である云々。」

もしかしたら誤解があるかもしれません。「国際(international)」とは何かについて。「インターハイ」、「インカレ」ってありますよね。“inter-high school”、“inter-college”です。高校総体や大学選手権に出場する選手は自分の学校を代表して出場する。inter-nationalとは、同様に、各国の人々が自らのnation(国家)を代表して参加する場です。nationから切り離された人が集まる先ではない。大学を中退したらインカレには出られなくなるのと同じ。

日本の社会が様々な問題を抱えていることは事実です。問題は問題として我々は解決していかなければいけない。そのことと日本人としての誇りは両立するし、いや、日本人としての誇りがなければ自分の社会の問題を解決しようとも思わないでしょう。だからこそ、国際社会に出るときは、誇り高き日本人として参加しなければいけない。インカレの選手が大学の名誉をかけて競い合うように。「最悪の国」の代表を、まして母国を「最悪」と語る人間を、敬意をもって遇するほどinter-nationalな社会は寛容ではありません。「国際人」、「地球市民」というしばしば耳にするフレーズは、「国際的視野をもった日本人」、「地球的使命感をもった日本の市民」の略語だと考えましょう。

別の角度から、同様のことを首都大学東京の宮台信司先生は次のように辛辣に語られます。

「『みんな』というといきなり国連や世界人民へと短絡する馬鹿が、昨今の日本社会に溢れてはいないでしょうか。異星人との間に宇宙戦争が起これば別ですが、対象が日本人であれ誰であれ、一般に人をそのように動機づけることはできません。(中略)宗教であれ階級であれ血縁ネットワークであれ、承認を与えてくれる感情的安全の場がなければ、世界貢献へのチャレンジは(一般には)あり得ません。」
(出典)「日本の難点」宮台信司、幻冬舎新書

ここでひとつ大切なことがあります。「時間の層」をつくること。「時間の層」という言葉は、作家の宮内勝典さんが雑誌エスクァイア日本版の最終版に寄せて文学について語った一文で使われたもの。しっくりくる言い回しなので、借用させてもらおうと思います。

「テレビやネットから送られてくる裁断化された情報に曝され、すべてが点でバラバラにされたいまの世界の中で『時間の層』を作ることは確かに難しい。(中略)時間をかけてイメージや世界を有機的につなげていくはたらきをするのが文学。だから文学が大事なのです。」
(出典)エスクァイア日本版最終版 「未来に伝えたい100のこと−BOOK 09」宮内勝典

思うのですが、「ナショナル」なものへのご都合主義的引き籠りや、反対の極にある「グローバル」なるものへの甘美に過ぎる憧憬、こういった現象の遠因は、「時間の層」が欠落していることではないかと。

例えば、WTO(世界貿易機関)は、1920年代の世界恐慌の際に各国が関税引き上げを競い、結果的に世界経済がブロック化し、世界戦争につながったという「時間の層」の上に存在します。さらに、戦後、経済力の相対的喪失に直面した米国が力をたのんで一方的な貿易制裁を、日本をはじめとする国に対して行った、という事実もWTOを今日のWTOたらしめる「時間の層」の一部。多角的通商システムに関する仕事をする人で、このような「時間の層」に無理解であるならば、良い仕事をすることはおぼつかないでしょう。我々の仕事は過去の蓄積の上に新しい層を形づくることにあるのですから。「時間の層」から遊離した所為は空回りするし、時間の層に埋もれた発想では前進できない。

地球温暖化をはじめとして様々な「グローバルな問題」が存在します。しかし、そのような問題に直接対処できる「グローバルな政府」はまだ存在しません。国際機関は、加盟国のアソシエーションです。そうでしかない。国際機関が何をなしえるか、会員たる加盟国の意思次第。「人」の面を見ても、加盟国の国籍を有していなければ「国際機関」に職は得られません。「国家」を超越したグローバル政府的な「国際機関」を想定するとすれば、それは多分に「時間の層」から遊離した発想になってしまう。

一方、時間の層に埋もれてしまってもいけない。「日本にも児童労働があったのだから」と不機嫌に語る重役の皆様や、「より良い製品を通じてお客さまと社会に奉仕することは立派なCSRです」とにこやかに説くコンサルタントさん各位です。テレビやネットが伝える「裁断化された美談」としての「CSR」への盲従であるか、良くて過去の繰り返しを招くだけのように思います。

良い意味で「ナショナル」であること、未来にむけて「インターナショナル」であり、さらに「グローバル」に開かれた存在であること、このことを可能にするものが「時間の層」だと思うのです。私たちは日本人であることから逃れられません。であるならば世界に貢献する日本人であろうではありませんか。日本の企業は、日本の企業であり続ける。ただし、世界で尊敬され、世界中のお客様に歓迎される日本企業となることは可能だし、そうならなければならない。

過去に学び、今を思考することを厭わないことです。

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プロフィール

1964年生まれ。経済産業研究所コンサルティングフェロー。経済産業省通商機構部参事官。著書に「ヨーロッパのCSRと日本のCSR-何が違い、何を学ぶのか」、共著に「グローバルCSR調達」がある。

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