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藤井敏彦の「CSRの本質」

企業の社会的責任(CSR)とは何なのか。欧米と日本を比較しつつ、その本質を問う。

「エコ」と「ロハス」の存在は耐えられないほど「軽い」か?

2008年11月10日

(これまでの 藤井敏彦の「CSRの本質」はこちら

パネルが終わって一息ですが、仕事をこなすためまだジュネーブにおります。この街、レマン湖の湖畔を除けば個人的にはとりたてて賞賛に値する長所があるとは思えません。仕事するところ。欧州の街ではプラハとウィーンは良いです。特にプラハは。静かな寒い季節に行くのがお勧め。映画「アマデウス」のロケ地としても有名ですね。ただ、WTOがプラハに移ったら小生の好意的評価は覆る可能性大ですが(笑)

プラハといえば、「存在の耐えられない軽さ」という映画、ご記憶にありますでしょうか。チェコを代表する作家ミラン・クンデラの同名小説が原作です。タイトル良し。ブラッセル時代、クンデラ好きの知人がいて、何事につけ人の影響を受けやすい主体性のない小生、一時熱心な読者でした。一時ね。そう、タイトルといえば、やっぱり最高なのはキューブリックの「博士の異常な愛情または如何にして心配するのをやめて水爆を愛するようになったか」ですよね。ワルツの調べにのって水爆の炸裂が続くシーン、狂気と正気が渾然として最高にかっこいい。この連載のタイトルが時に迷惑なまでに散文的なのは、こういうわけなわけです。

さて、今回は「壮大な旅路」の締めとして「エコ」と「ロハス」の「軽さ」をなにがしか手触り感のある形で書き出したいと思います。

「エコ」なる言葉は、もちろん実際に使われている文脈の中で解釈をする必要がありますが、ほぼ「省エネ」の同義語と考えてよいでしょう。「省エネ」はまことに結構なことであります。したがって、「エコ」もしかりです。異議なし。そして省エネは「省コスト」なので、基本的に市場メカニズムに任せれば進みます。開発競争は壮絶。日本の製品はなににつけ省エネ度合いに秀でていると思います。ヨーロッパ製品なんて目じゃない。当然のことながら、省エネ製品の開発陣の方々の努力とご苦労は、これは大変なものがあります。そのような献身が「軽い」なんてことは決してない。

しかるに、家電製品のリサイクルですが、日本ではリサイクル規制の対象は大物に限られていて、リサイクル費用は消費者負担で廃棄時払いです。ヨーロッパでは電気で動くものはほとんどすべてがリサイクル法の対象。費用は企業負担です。もちろん、リサイクル費用を消費者が負担するのか企業なのかちがいは相対的だし、政策思想の差異だと思います。消費者負担でも良いと思います。もっとも、製品購入時にリサイクル料を支払う「前払い」にできないっていうのはいかがなものかと感じます。いずれにせよ日本の制度は一般にヨーロッパほど「重く」ない。

だからといって、ヨーロッパの産業は環境規制を受け入れているのに日本の産業界は反対ばかりしてけしからん、と考えるのは若干「環境担当して1年です」っていうジャーナリストさん的であまりかっこよくありません。ヨーロッパの産業界は厳しいリサイクル規制の導入に猛烈に反対した。だけど押し切られた。政治に、環境NGOのロビイングに。しかし、日本では産業界の反対を押し切るものは存在しなかった。日本の環境NPOさんは植林には関心があっても政治には関心なし。有権者も環境に関心なし。それだけの差です。別にヨーロッパの産業界が啓蒙的であるとか、そんなんじゃない。

「エコ」に直感的に「軽さ」を嗅ぎ取る人がいるのは、市場の力(=競争)によって進むことに貼ってある事後的「ラベル」であるからかもしれません。企業がやりたくないことはやらないでいい。この「自由度」の高さがある意味の「軽さ」感をもたらしているかもしれない。

「ロハス」の「軽さ」もまた国際的な文脈に置くと理解しやすいと思います。先日出た拙著「アジアのCSRと日本のCSR」から引用します。

パーム油の使用も同様に最近注目された正当性に関する事例の一つである。国内ではロハス(LOHAS)の流行で天然素材を用いた製品に企業も関心を寄せている。パーム油を使った石鹸やシャンプーは身体に優しいと謳われる。しかし、パーム椰子の大規模プランテーションは大規模な熱帯林の伐採、農薬類の大量使用等によって深刻な環境破壊をもたらしていると批判されている。

批判は環境問題にとどまらない。産業革命時のイギリスの囲い込み運動よろしく、プランテーション開発は先住民の生存権を脅かしており、人権問題としても国際的批判の対象となっている。つまり、パーム油を使うことの正当性には大きな疑問が投げかけられている。「パーム油を使った『ナチュラル』な製品」として売り込むことは、NGOから国際的社会価値への正面からの挑戦と見なされかねない。企業のリスク管理としては甚だ心許ないものである。実際、事業戦略の見直しを迫られる企業も出ている。このケースの皮肉は、ロハス的な健康、環境ブームの自己益性、つまり消費者は自分の健康との関係で環境を見ているに過ぎないこと、と国際的な環境問題の他利的公共性(=正当性)の間にある溝に企業が落ちてしまったということにある。

政治に関心が希薄で、電気料金や食べるものや着るものには神経質だけど日本の外の出来事には関心が薄い。この月面並みの重力空間に「エコ」と「ロハス」が漂ってしまう。

でもね、繰り返しになるけど、「エコ」や「ロハス」を語る企業や業界の方々の責任じゃないと思います。多くの知人が「エコ」製品の開発や「ロハス」コンセプトのマーケティングをしてます。彼らの努力は並大抵じゃない。食うか食われるか。ただ、彼らが渾身の力でジャンプしようとしている、その空間の重力がたまたま小さいのです。彼らの努力が浮遊感をともなう原因は「月」にあるんです。この場合、「月」は「日本」という社会。

だからもちろん、私も共犯です。われわれ日本人の国民性って深刻なのか、それとも享楽的なのか、イマイチよくわかんないですよね。ま、軽いとしても「耐えられない」ほどじゃないと思います。うちもごみの分別真面目にやってるし。

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プロフィール

1964年生まれ。経済産業研究所コンサルティングフェロー。経済産業省通商機構部参事官。著書に「ヨーロッパのCSRと日本のCSR-何が違い、何を学ぶのか」、共著に「グローバルCSR調達」がある。

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