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藤井敏彦の「CSRの本質」

企業の社会的責任(CSR)とは何なのか。欧米と日本を比較しつつ、その本質を問う。

(ヨーロッパの)紳士はエリートがお好き 後編

2008年9月22日

(これまでの 藤井敏彦の「CSRの本質」はこちら

2003年秋、ベルギー・ブラッセルの在欧日系ビジネス協議会オフィス:

記者Aさん「ね、フジイさん、やっぱ、グラスルーツ(草の根)の力ですかね、ヨーロッパのCSRは」
フジイ事務局長「うーん、確かにそうかもしれませんけど、ボクちょっと違うような気がしてるんですよ。。。」
記者Aさん「でも、じゃなぜCSRがヨーロッパではこんなに盛んなんですか?」
フジイ事務局長「えーと、ちなみにお時間どれくらいありますか?次のアポは?あ、じゃ、手短にお話しますね。」

社会のシステムを大きく変えようとするとき、その時、誰がその責を担って推進役となるか、って問題なんですけどね。選挙で選ばれた政治家ですよね、普通。民主主義社会ですから。当然です。でもね、ヨーロッパっていうか、EUっていうか、ここでは少し違うんです。違うというか、やや複雑なんです。EUは一種の超国家組織だからというのもあるんですが。

ヨーロッパの統合を進めるというのは、まさに前代未聞の社会システムの大変革でしょ。第二次世界大戦の直後から進められていって、まだ続いてる。ついにユーロっていう統一通貨まで入ったわけで、よくぞここまで来たなって思うんです。ボクがこっちに来たときはまだベルギー・フランだったんですよ。

これを可能にしたのは独仏の和解ですけど、ドイツとフランスの歴史って壮絶な戦争の歴史。戦争が二度と起こらないように国同士を二世帯住宅みたいにする。欧州連合という大きな枠の中に同居することを少しずつ進めてきたわけです。国の間には税関もないし、パスポートなしに自由に行き来できて、自由に働けるし、お金まで同じにしちゃって両替も不要(笑)。いろんな規制なんかも、もちろん多少の違いはあるけど、基本的に同じ。だって、EUがつくった規制を受け入れるわけだから。

“depoliticize”って言葉、耳にされたことあります?ボクの電子辞書にも載ってないんですけど。“politicize”(政治化する)という単語に接頭辞の“de”をつけて反対の意味にしたものです。

ヨーロッパはね、統合を進めるプロセスを“depoliticize”する、政治的プロセスから切り離すことをどこかの段階で決めたのです。だってね、例えば、お互いに憎悪に燃えるフランスとドイツで、民意を問うて「民主的」に手続き踏んでいったら統合なんて進まないから。

欧州統合は、一般大衆の関与できないところで進められていったのです。わかるでしょ、日本じゃどっかの国と自由貿易協定を結ぼうというだけで、農業がいつも足かせになって進まないじゃないですか。あれは、ある意味民主的意志決定の必然でもあるんですよね。まして、国同士がくっつくっていうんですから。民意を聞かないで進めるしかなかった。欧州統合による恒久平和の実現という大きなビジョンを実現するために。

欧州統合推進の権限が欧州委員会に与えられます。重要なことは、欧州委員会はある意味の「政府」なんだけど、誰も選挙で選ばれた人がいないということです。大臣に相当する職にある人もね。しかも、「議会」は、最近でこそあれですが、長い間、基本的になんの権限も与えられてこなかった。選挙で選ばれていないってことは、大衆の意見を気にしなくてもいいってこと。しかも、議会によるチェックもない。欧州委員会の仕組み自体はフランスの行政府のコピーなんですが、ヨーロッパの一般の人々からは超越していて「官僚独裁」って表現する人もいるくらいです。

つまり、欧州統合は非政治的な「エリート」によって担われてきた。もちろん、このことにはマイナス面もあります。その名も「民主主義の赤字」って呼ばれるんですけど。

欧州統合がどんどん進んでね、EUの作るルールがリサイクル規制みたいに人々の日常生活の細部に関与するところまで来ているんです。このときに、「官僚独裁」っていうのは批判の対象になるわけですよね。自然なことですが。域内統合をさらに進める上で、民主的正当性の欠如は、「脆さ」につながりつつある。

ただね、社会が大きなビジョンを実現するためには、その担い手となるエリートが必要だっていう合意みたいなものは、日本よりヨーロッパのほうが強いとは思います。社会を前進させることの責を引き受ける意欲とそれだけの能力と先見性のある人。皮肉な意味での「エリート」じゃなくてね。

あ、すいません、もう時間ないですね。すぐ終わります。

で、CSRですけど。CSRも欧州統合というか、ヨーロッパが全体として取り組むべき政策としてエリートである欧州委員会が考え出した概念なんです。

もちろん、NGOの存在感も大きいですけど、NGOもね、こっちのNGOは政策に精通したエリートなんですよ。大きなNGOの幹部とお会いになれば、どういうことかすぐおわかりになりますよ。ちなみに彼らの給料、ボクより良いです。さすがに日本の新聞社ほどではないかもしれないけど。運転手つきって点では、新聞記者さんと同じかな(笑)。もちろん、待遇いいからエリートってわけじゃないですよ。是非彼らと議論を戦わせてみてください。知的能力とビジョン、すごいですよ。

人的にもね、欧州委員会とNGOと大企業の間を人がぐるぐる行き来している。資金的にもね、例えば、ヨーロッパの環境NGOですごく有力なEuropean Environmental Bureau(EEB)ってNGOがあるんですが、活動資金の大半が欧州委員会と各国政府から出されているんです。面白いでしょ。

彼らは「草の根」の植林活動をしているわけではないんです。もちろん、そういう「草の根」の組織も沢山ありますけど。でも、CSRを形作ってきたNGOは、政策形成プロセスに参加するNGOです。政府と産業界とNGOが政策形成空間を共有している。

そういったNGOはね、ある意味で、EUのガバナンスの一部を形成しているんです。さっき、「民主主義の赤字」って言ったでしょ。政治的正当性に欠く欧州委員会は、それがゆえに自らに対峙する存在が必要なわけ。NGOはその一つ。逆説的だけど、欧州委員会は自分に反対してくれるNGOを求めているんですね。EEBの欧州委員会が出す規制案に対する批判も激しいですよ。

CSRは、そういうエリートたちによる政策アジェンダ設定の1つなんです。そもそも若年失業という社会的課題をどうするか、という方法論として出てきたんですよ、CSRは。ね、日本で語られるCSRと随分ちがうでしょ。

舌足らずで、すみません。とりあえず、こんな感じなんですよ。だからボクは「草の根」って印象をあんまり持っていないんです。申し訳ないです、ご期待に応えられなくて。ご質問があったらいつでもメールくださいね。喜んでお答えしますから。

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プロフィール

1964年生まれ。経済産業研究所コンサルティングフェロー。経済産業省通商機構部参事官。著書に「ヨーロッパのCSRと日本のCSR-何が違い、何を学ぶのか」、共著に「グローバルCSR調達」がある。

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