このサイトは、2011年6月まで http://wiredvision.jp/ で公開されていたWIRED VISIONのコンテンツをアーカイブとして公開しているサイトです。

藤井敏彦の「CSRの本質」

企業の社会的責任(CSR)とは何なのか。欧米と日本を比較しつつ、その本質を問う。

環境ファンド様、正義を語る前に。

2008年5月26日

(これまでの 藤井敏彦の「CSRの本質」はこちら)

引き続き社会的責任投資(SRI)です。熱烈な支持者であったワタシが社会的責任投資にほんの少し懐疑心を抱きはじめたきっかけがあります。それは、SRIの自己表現にしっくりいかないものを感じたというか、正義の代弁者のような言動、過剰とも思える自己正当化に接したことでしょうか。

もちろん、ごくごく一部のことです。一般化してはいけません。ただ、折からのCSRブ-ムで神格化されてしまい、政治的にも時の環境大臣が旗を振るなどの追い風が吹く、といった状況の中では仕方ない現象だったのかもしれません。イメ-ジだけですが、仮想例を使えばこんな感じのコメントには考えさせられました。

  • 尊大型
    「調査票に回答しない企業は社会的責任を果たさない企業と考えざるを得ない(イメージ)」
  • 慢心型
    「面談調査せずとも調査票だけでわかることはたくさんある(イメージ)」

あるとき、仲の良い記者さんが興奮した面持ちでやってきて「アメリカのSRIの規模はあんなに大きいのに、日本もなんとかしないと、フジイさん、行政も。応援しますから」。某筋からブリーフィングを受けたそうなのですが、アメリカのSRIってほとんどが武器関係企業を抜くだけとか、タバコ会社を抜くとかするだけのネガティブスクリーニングだって、ご存知なかった。その旨を説明したら「騙された」って。日米の差を大きく見せたいがためでしょうが、一種の情報操作かな。

実は、背景について考えを巡らせていくと、構造的で知的にも興味深い問題が見えてくるように思います。その意味で、SRIというのはやはり壮大な社会実験であって、まだプラスにもマイナスにも評価できる段階ではないように思います。

この「実験」を担っている実務家は現状を安易に肯定することに慎重たるべきだと思うのであります。「SRIファンドの運用実績が一般ファンドと比べて上回った」とかいうことよりももっと議論すべきことは他にあるような。

さて、構造的で知的な問題の方ですが、社会的責任投資の一つの難しさは「投資する人と、企業を評価する人の乖離」にあるように思います。

社会的責任投資のルーツはアメリカの教会が資産運用にあたって、教義に照らし好ましくない企業への投資を避けたことです。この時点では投資家と企業評価者の乖離はなかったはずです。教会が仮に第三者の企業評価サービスを使っていたと仮定しても、お互いに相談しながら投資対象を絞ることが可能だったはずです。「なんでこの会社じゃなくて、こっちなの?」「かくかくしかじか、こういうわけで」とか。

今の環境ファンドにしても、社会的責任ファンドにしてもこうはいかないです。不特定多数の投資家を対象にする金融商品ですから。環境ファンドなら、まず、調査会社が環境に優しい会社を選抜します。それに環境以外の財務的な要素を入れて、最終的にファンドに組み込まれる銘柄が決まるわけです。決まったあとで証券会社さんが一般投資家を募ることになります。

一般投資家は、なぜある会社が環境対策に秀でているとして投資対象に組み込まれており、別の会社が対象から漏れたのかはわからないまま。証券会社の窓口で聞いても取り合ってくれません。投資家は判断過程から排除されているどころか説明さえ与えられない。

投資家と企業評価の乖離がなぜ問題になるのでしょうか。そもそも、SRIとは投資家の公共的価値観を投資に反映するための道具であります。しかし、理由はそれにとどまらない。普通の投資信託とのちがいを考えてみれば明かです。

普通の投資信託も対象銘柄が選ばれた理由は教えてもらえません。それはそれでよい。他方、SRIファンドではよくない。銘柄選択の理由を問う必要があるのです。必然性がある。ここ、SRIが普通の投資と本質的にちがうところであります。

普通の投資ファンドは投資収益率でのみ評価されます。パフォーマンスは事後的に計測可能。パフォーマンスが劣れば将来の募集に困難をきたすでしょう。ファンドマネージャーが対象銘柄を真剣に選ぶ圧力となるわけです。

SRIの意義は「トリプルボトムライン」という考え方で説明されます。投資の効果を金銭のみならず環境、社会への影響の計3つのボトムライン(収支)でとらえようということです。

一方で、環境を基準にある会社に投資した効果、「環境にどれだけプラスになったか」ということの事後評価は可能でしょうか。現段階では不可能です。環境ファンドのパンフレットは潜在的投資家に環境に良いことしましょうって語りかけますが、実際に募集に応じたとして、どれだけ環境に良い影響を与えたかは、最後までわからないままです。

事後評価ができない以上、事前評価、すなわち企業選別の厳格性が全てとなります。だからこそ、なぜA社ではなくてB社なのか、という問いが投資家から発せられなければならないのです。そして、きちんとした回答がなされる必要があるのです。さもなければ、企業評価は投資家からはブラックボックス化し、顧客である投資家から何の規律もかからないことになります。

現状は完全なブラックボックスになっている。これはどういうことを意味するのでしょうか。実際的な影響を一言で言えば、企業調査の質を向上させるインセンティブが欠如しているということです。

コストと時間をかけて企業の環境保護への取り組みを真剣に評価しても、投資家から評価されてファンドの規模が大きくなるわけではありません。逆にぞんざいなスクリーニングをしてもお客さんを失うわけでもない。面談調査すれば質問状だけではとらえられないところがわかります。でも、そんなコストのかかることをするよう促す圧力はかからないのです。

良心的な調査機関さんは調査対象企業には情報開示をし、結果に関する意見交換もきちんとされています。こういうところは応援したくなります。ただ、限界はある。他社との横断的比較は難しいだろうし、より詳細な調査を非調査企業が望むことは希でしょうから。調査対象企業からの圧力と顧客からの圧力を同一視はできない。

現在のSRIファンドや環境ファンドの企業評価が不十分であると主張しているわけではありません。問題は、不透明で評価しようがないこと。そして、なによりも、悪貨が良貨を駆逐する構造にあること。最大の犠牲者は真剣な調査担当者の方かもしれない。次回に続きます。

フィードを登録する

前の記事

次の記事

藤井敏彦の「CSRの本質」

プロフィール

1964年生まれ。経済産業研究所コンサルティングフェロー。経済産業省通商機構部参事官。著書に「ヨーロッパのCSRと日本のCSR-何が違い、何を学ぶのか」、共著に「グローバルCSR調達」がある。

過去の記事

月間アーカイブ